五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

琵琶湖石山寺へ3

2014年03月19日 | 第2章 五感と体感
琵琶湖勉強会三日目の旭は素晴らしいものでした。琵琶湖を越した伊吹山方面から旭が昇り、さえぎる物の無い高い空に落ち着くまでのお日様は、のびのびと輝いていました。

毎日観ていても飽きない森羅万象の普遍性は普遍性であるがゆえの安心感を与えてくれます。
日が昇り、日が暮れて、月が出て、四季の移り変わりと天気や気候で、同じものが違う装いで地上の私達を楽しませてくれます。それが風情であり、もののあわれという感情を日本に住む者に与えてくれたように思います。

特に琵琶湖に生える松は、太平洋側で見る松とは違います。
一定の暴風にさらされることが少ないのか、故意的な形が作りやすい事と同時に、放っておくとそのままスンと育つような松に長谷川等伯の屏風画を思い起こし、等伯の松がさやさやと風に靡く様子が頭から離れませんでした。

三日間、日本人のアイデンティティを自分のアイデンティティに投影しながら琵琶湖のフィールドワークを満喫したわけですが、やはり、現場に立つことで見えてくるものに頑な何かに風穴を開ける事もできたようです。
異な場所に立つと、自分自身の理想と現実のギャップがおもむろに出てくるものです。その湧き立つ感覚が予想もつかないことなので、とても面白いのです。

三日目午前中で勉強会が終了。シスター方の作る料理に胃袋も満足し温かいおもてなしに感謝し、唐崎を後にしました。

午後、私達が向かったのは大津です。時間も限られていたので、タクシーで木曽義仲の義仲寺を通過し、そこにある芭蕉の墓に外から拝み、瀬田川の「瀬田の唐橋」を見、瀬田川~宇治川~淀川へと御当地に相応しい名称に変化する一本の川をしげしげと眺めました。そして、この瀬田は、粟津ヶ原でもあり、壬申の乱、源平合戦で木曽義仲が義経に追い詰められ自決した場所でもあり、このあたりに纏わる数々の能が作られています。「自然居士、源氏供養、守山の望月、義仲、兼平、巴、三井寺、蝉丸、、、ざっと挙げても大津周辺の能はこれだけ頭に浮かんできます。

大津は中山道と東海道の分岐点でもあり、商業の大拠点であったことも忘れてはなりません。琵琶湖に土地を持った近江の文化人はこぞって茶室を建て琵琶湖を望みながら茶の湯も愉しんだようです。

琵琶湖から流れゆく瀬田川を少し下ると小高い山が見えてきます。そこが石山寺です。
写真で見る通り、大きな石の上にお堂が建っています。紫式部がここで源氏物語を書いた謂われており、梅園を訪れがてら参拝する人々が鳴らす本堂の鐘が雑多で賑やかであることに近江の大らかさをも感じ、梅の香り漂う境内を歴代天皇が訪れた月見の庵を羨ましがりながら見上げ、石山寺参拝を果たしました。

来年も同じ場所で勉強会を行う予定です。
壬申の乱についてもう少し、皆さんと分かち合いたいので、来年はゆったりと近江京跡を歩いてみるのも良いかもしれませんね。

琵琶湖に纏わる歴史は、紐解きのように面白いのです。
大津あたりを中心に歴史を学んでいくと、時系列の整理もできます。
東と西の分岐点であり、放射線状も伸びていく動線を想像するだけで、わくわくゾクゾクです。
私も更に勉強を深めてまいります。


☆☆

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コメント
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