京都や近江、奈良を旅していると仏教よりも以前に伝わってきた道教の匂いを感じます。
地図を開き寺社や霊峰の位置と方位を見るときっちりとした五芒星が描かれたり、東西と南北が美しく十字の線を引けたりと、何時間でも地図を見ながら歴史の古層を思い巡らすことができます。
未だに私達は道教、仏教、神道、ゾロアスター教や景教+キリスト教、富士講、地元に伝わる伝説等が重ねられた不思議な空気感を意識せずに体得しているのです。
無理やりに神仏習合を引き離そうと明治政府がやっきになったとしても、長年蓄積してきたアイデンティティを引き剥がすことは出来なかったと思います。でも神仏分離をすることで、大抵の人は身についた信仰心を持ちながらも宗教というものを面倒くさいものとして考えるのを放置してしまったことが、今の私達に影響しているのかもしれません。
明治の歴史となると、三学期に大急ぎでやることが多く、教科書の目次を最初からやっているといつも古墳時代や奈良時代あたりばかりが記憶に残る傾向にあるようです。だからゆえに、私のように奈良病(奈良好き病)にかかるのかもしれませんが(笑)。
人の身体に宿る魂から湧き出す感情は、風土と人を通して考え方を育くみます。蓄積された考え方はいつしか自分の素地となり、感情が湧いてくるのです。この感情と思考の相互関係が陰陽のように交じり合い、それが「私」という個性と成っていくように思います。
地図は、自分の祖先だけでなくアイデンティティのルーツまでも想像させてくれます。
地図を見て、実際にフィールドに立って、改めて書物を開くと、身体の芯に沁みていくのを感じます。
滋賀の地図を見ながら次に立つ場所をチェックしています。
今、芸大美術館では湖北の寺社の展覧会が行われています。「観音の里の祈りとくらし展」琵琶湖・長浜のホトケ達・4月13日までです。
私にとって地図は空想のための大事な道具です。春の風に吹かれるままに「帰りは秋ごろかな~」と言って、身軽に旅に出たいものです。
・・・、と、妄想しながら、日々を慌ただしく過ごすことが私の現実ですが、心はいつも旅人、そしていつもエトランゼな感覚があるのは、そういうところから湧いてくる感覚なのだろうと思うのです。
そういえば、母方の祖父がそうだったことをふと思い出しました。山頭火を好み、エスペラント語を若い頃学んでいた教育者でしたが、定年退職して画塾を経営しながらふらりと旅に出てしまう人でした。80過ぎてから英語を本格的に勉強しだし、幼い頃からカッケーじいさんだと思っていました。きっとその影響もあるのかもしれません。というか、大ありです((笑))
☆☆
クりック応援お願いします♪「生き甲斐の心理学/五感で観る」
人気blogランキング
地図を開き寺社や霊峰の位置と方位を見るときっちりとした五芒星が描かれたり、東西と南北が美しく十字の線を引けたりと、何時間でも地図を見ながら歴史の古層を思い巡らすことができます。
未だに私達は道教、仏教、神道、ゾロアスター教や景教+キリスト教、富士講、地元に伝わる伝説等が重ねられた不思議な空気感を意識せずに体得しているのです。
無理やりに神仏習合を引き離そうと明治政府がやっきになったとしても、長年蓄積してきたアイデンティティを引き剥がすことは出来なかったと思います。でも神仏分離をすることで、大抵の人は身についた信仰心を持ちながらも宗教というものを面倒くさいものとして考えるのを放置してしまったことが、今の私達に影響しているのかもしれません。
明治の歴史となると、三学期に大急ぎでやることが多く、教科書の目次を最初からやっているといつも古墳時代や奈良時代あたりばかりが記憶に残る傾向にあるようです。だからゆえに、私のように奈良病(奈良好き病)にかかるのかもしれませんが(笑)。
人の身体に宿る魂から湧き出す感情は、風土と人を通して考え方を育くみます。蓄積された考え方はいつしか自分の素地となり、感情が湧いてくるのです。この感情と思考の相互関係が陰陽のように交じり合い、それが「私」という個性と成っていくように思います。
地図は、自分の祖先だけでなくアイデンティティのルーツまでも想像させてくれます。
地図を見て、実際にフィールドに立って、改めて書物を開くと、身体の芯に沁みていくのを感じます。
滋賀の地図を見ながら次に立つ場所をチェックしています。
今、芸大美術館では湖北の寺社の展覧会が行われています。「観音の里の祈りとくらし展」琵琶湖・長浜のホトケ達・4月13日までです。
私にとって地図は空想のための大事な道具です。春の風に吹かれるままに「帰りは秋ごろかな~」と言って、身軽に旅に出たいものです。
・・・、と、妄想しながら、日々を慌ただしく過ごすことが私の現実ですが、心はいつも旅人、そしていつもエトランゼな感覚があるのは、そういうところから湧いてくる感覚なのだろうと思うのです。
そういえば、母方の祖父がそうだったことをふと思い出しました。山頭火を好み、エスペラント語を若い頃学んでいた教育者でしたが、定年退職して画塾を経営しながらふらりと旅に出てしまう人でした。80過ぎてから英語を本格的に勉強しだし、幼い頃からカッケーじいさんだと思っていました。きっとその影響もあるのかもしれません。というか、大ありです((笑))
☆☆
クりック応援お願いします♪「生き甲斐の心理学/五感で観る」
人気blogランキング