五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

フォーカシングについて

2011年04月15日 | 第2章 五感と体感


「写真:Parisパッサージュ巡り2 ギャラリーヴィヴィエンヌ」

感情の整理ができず、不安感ばかりが湧きあがりどうしていいのかわからない…

やることが多すぎて何から手を付けてよいのかわからない…


そんな時に、自分自身をフォーカシングしてみては如何でしょうか?

過去のブログに何度も書いていますが、、、
もう一度、おさらいです。

大震災から一カ月経ち、私自身もまだ暫くの間「自分の心身を観察しながら生活したいな」と思っています。
自分の心身の状態を自分で守る以外、誰も守ってはくれないのです。大切な自分自身をもっと大切にしていこうではありませんか(^^)

フォーカシング

①あなたの不安を思い巡らしてみてください。その不安感、いったいいくつありますか?

②いくつか数えられたら、ひとつだけ「不安なこと」を選んでください

③一つ選んだ不安なこと・・・  その感情はどんな感情ですか?

④それについて、最悪のシュミレーションは、どんなものでしょう?

⑤それについて、最高(ハッピー)のシュミレーションは、どんなものでしょう?

⑥さて、どうでしょう・・・どう折り合いをつけましょう「acceptance」


★不安なことを数えるだけでも良いようです。
それだけで、何かが解決することもあるようです。

不安感は人の本質です。

不安感との向き合い方で、人生も変わっていくように思います。

だからこそ「不安感」と丁寧に向き合っていきたいものです。


クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は今ヘンだ、という意識化

2011年04月14日 | 第2章 五感と体感


[写真:Paris パッサージュ巡り・ギャラリーヴィヴィエンヌ]

大震災のため延期になっていた勉強会の最終回が昨日行われました。窓いっぱいの桜を眺めながら、素敵な時間を過ごさせていただきました。半年間お疲れ様でした。<フォーカシングの技法は、こんな時こそ役立ちます。体得していく修業を互いに続けてまいりましょう(^^)/>

3月11日以来初めてお会いした皆様は、東京周辺にお住まいです。
でも、それぞれの方がそれぞれの怖い経験をし、それぞれの関わり方をし、過ごされてきたことを聴かせていただきました。
そこで、私達は被災者の一人であり、大きな不安感を抱えて過ごしている、という現実に改めて気付かされました。

避難しているわけではないから、私は被災者ではない・・・という考え方をちょっと変えてみる必要がありそうです。

自分の心身の状態をチェックし、見極めてみることを心がけると、自分のストレス度が見えてくるかもしれません。

無気力になっていたり、
眠りが浅かったり、
持病が悪化していたり、
アレルギーがひどくなっていたり、
急に涙が出てきたり。。。
食欲がないとか、過食気味とか、
妙に怒りっぽくなっていたり、
時々、または常に不安感が湧きあがってきたり・・・

如何でしょうか?

「自分は疲れているんだ・・・」「自分の症状はストレスなんだ・・・」「自分は不安なんだ・・・」
そんなことを思ったら、その湧き出した思いを、そのまま受容してみることが大切なようです。

大震災以降一カ月書き綴ったブログには、自分の不安感と向き合う内容が書かれてあります。よろしかったらご利用ください。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どのくらい先の将来を見据えるか?

2011年04月13日 | 第2章 五感と体感


[写真:パレロアイアルの回廊入口 Paris]

昨日、某国某首相の会見を見て、ふと大切なカウンセリングの「聴き方」を思い出しました。

「あなたが抱えている不安な感情は、只今の不安感?、一カ月先くらいの不安感?それとももっと先の不安感?」

某国某首相は、傾聴する立場から見ると、かなりお疲れのご様子だと思いました。

今、現在に早急に対処しなくてはならないことだらけなのに、将来の津波で被害を受けた地域の構想を重点に置き語っていらっしゃいました。

不安感に押しつぶされて、どうしていいのかわからず訪れてくる人も、たいてい、今をすっ飛ばして、うやむやな将来の構想を語り出したりします。

「今現在」の自分の不安感を見据えていく作業が、将来を積み上げていきます。

夢を持つことは大事ですが、「今、自分が何をすべきか」つまり自分の役割遂行を意識化することが大事なのです。

私自身が「今日」をどう過ごすか。
「自分の役割は何か?」そして、「どのくらいの将来を見据えてプランを立てていくか?」

それらの事柄を見据えて自問自答していきたいものです。
そうすれば、ある時期、突然強いられる自己決断に勇気と希望が湧いてくると信じています。

今この時を逃避していたら、夢を描いた将来は幻に終わるだけです。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分は何のために生きているのか?

2011年04月12日 | 第2章 五感と体感


「写真:Paris パレ ロワイアル」

「私は、何のために生きているのか?」

このテーマは、人類に与えられた永遠のテーマだと思っています。
この質問に即答できるとしたら、平素よほど自分自身について思索していらっしゃる方だと思います。
生き甲斐の心理学を学ぶ中、常に「私は何のために生きているのか」という自問自答を繰り返してきました。

私自身、これだ、という明確な答えはありません。
答えが見えないからこそ、将来への目的とか希望が生まれてくるのかもしれない、とも思っています。

スクールカウンセラーとして思春期の中高生と関わる中、いつもしみじみと思う事があります。それは、経験は確かに私の方が豊富ですが「湧き出す感情は、何ら変わらない」ということですです。
「感情」の領域は、年齢、性別関係ありません。

その感情の取り扱い方次第で人生の矛先が変わっていくのです。

自分を自分にとってよりよく生かしていくために「考え方」や「行動」に自分だけの傾向が個性の美として成されていきます。

私は、何のために生きているのか?

自分の個性は、自分自身が死にゆくまで変化していくはずですし、心は自分が考えている以上に広くて大きなものです。

何を取捨選択して生きていくか?
どんな考え方を大切に生きていくか?

「私」が幸せであると、少なくとも、同じ屋根の下に住む家族も幸せになります。幸せな家族それぞれと関わる人々も幸せを感じていきます。
だからこそ、「みんな」ではなく「私」を大切にしていきたいと思うのです。

「私」は何のために生きているのか?

このテーマを「自分が死にゆくまで意識していたい」ことが、この問いの私のおぼろげな答えであろうかと思っています。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祈りの姿

2011年04月11日 | 第2章 五感と体感
大震災から32日目、3月からちょうど一カ月が経ちました。

祈りは、人の心をおおらかにします。

4月8日はお釈迦様の誕生日でした。

花で飾られた華やかな天蓋に鎮座するお釈迦様は右手を天に上げ、天上を指し、左手は地に下げていらっしゃいます。

お釈迦様に甘茶を注ぎ、大震災からの、復興に向けて祈りました。

お釈迦様はお生まれになると直ぐに、7歩進んで四方を顧み、「天上天下唯我独尊」とおっしゃられたそうです。
広辞苑では、「宇宙間において自分より尊いものはない」という意味、と記されています。


何を信じるかは、人に与えられた、個人の自由意思によります。


その祈りの姿は、普遍的美しさを醸し出します。

何故なのでしょう。

私は、今年ほど人の祈る姿に尊さを感じたことはありません。

今まで、自分が祈ることで手いっぱいだったような気がします。

人が祈る姿に理屈のない美しさがありました。

平安な世の中は、「祈りの情動」から生まれてくるようにも思います。


今回はこんな体験もしました。
甘茶を注ぎながら、小学校1年生の頃に住んでいた福井県大野市のどこかのお寺の花まつりで同じことをした体感が蘇ってきました。
「なんと美しいのだろう」と思ったことが、まるで昨日体感したことのように蘇ってきたのです。
甘茶を注ぐ自分の手の動きまで蘇りました。

人の記憶の不思議さを感じた瞬間でもありました。

人の祈りは、何世代にも受け継がれ、人のDNAにまで記憶されているものかもしれません。

食べること、祈ること、寝ること、この三つが満たされたら、人は何でもできるような気がしました。

一番大切なことは、祈りから見えてくるようです。

今日も手を合わせ、祈ります。

そして、世界中、どこかで誰かが常に祈っていることも忘れてはならないと思います。

祈りから湧き出す思いを大事にしたいものです。

自分自身、尊い者の中に含まれているのですから・・・

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理想と現実のギャップ

2011年04月08日 | 第2章 五感と体感
大震災から29日目

体調が悪かったり、不安感が増長している中、自分の不安な感情をそのまま「ああ、、、自分は今悲しいんだ・・・」「怖いんだ・・・」と、心の中に浮かぶ思い、感情を、自分自身の中に映すことは、今、心身に不調を感じている人に必要な自己作業だと思います。

こればっかりは、他人は助けてくれないのです。

自分自身で自分の思いや感情と向き合うことが、快方への第一歩なようです。

傾聴してくれる人が身近にいなければ、自分自身で自問自答していくこともできます。

その場合、自分の理想「こうありたい・・・」現実「でも、現実はこうだ・・・」

こうありたいのに、今は違う。。。

その理想と現実のギャップが、ストレスを生みだしていくのです。


「人の本質は不安」だそうです。


不安は、当たり前の「感情」です。

不安がなくては、自分にとって正しいと思う方向を見出すことはできません。
「不安」を知っているからこそ、「安心」がどういうものなのかが解るのだと思います。

さて、そろそろ理想と現実のギャップを自分の中で意識化してみては如何でしょうか・・・

でも、人には自分のペースがそれぞれあります。

時間の経過は、自然治癒力を含んでいます。

自分のペースを大切にしていかれることも、大事だと思います。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

話す。聴く。

2011年04月07日 | 第2章 五感と体感
大震災から28日目

この三週間、仕事を自らキャンセルすることなく、相手の都合に添いながら過ごしてきました。
諸事情で勉強会が中止になったり延期になったりしましたが、ようやく普通の体制に戻ってきました。

いま、「話したい気持ち」が湧きあがっている人がとても多いように思います。

ショックな体験をして、自分が何をすればいいのか解らず、呆然とする期間が過ぎ、自分がすべきことを行動する時期でもあるかもしれません。
又は、自分の感情と思考と行動がぴったりしてきた時期でもあるのではないでしょうか?

つまり、「感情・思考・行動がぴったりしている」というのは「寝る時は寝る。食べる時は食べる。勉強する時は勉強する等」自分が起こしている行動が、あるストレスによって思うように集中できない、、、というようなことです。

寝ようと思っても、不安感が増長して寝つけない。。。
食べていても、他のことに思いが行き、食べた気がしない。。。
仕事をしていても、家のことや離れている家族が心配で手につかない。。。
子供が目の前に居ないと、永遠に離れてしまうようで子供から目を離すことができない。。。

・・・大震災後、そのような事例が、後を絶ちませんでした。私も睡眠がままならず、寝ていても寝た感じがしない状態が続きました。

そろそろ一カ月経ちますが、まだまだ自分がどのような状態になっていくかは経過観察が必要なようです。

「大丈夫」だと思っていても、実は抑圧気味であったり、「健康だ」と思っていても、一カ月持ち続けていた緊張がほぐれて体調を崩したり、自分自身で思いもよらない自分に起きる現象を体験するかもしれません。

あきらかに、何かの不安に現在囚われて、それが不調の原因であったら、もう一度何が不安なのか検証しつつ、心許せる身近な友達、家族に話を聴いてもらうと良いかもしれません。

逆に、そのような友達が話をしだしたら、否定も肯定もせず、その人の発する言葉を聴いていただけると幸いです。

相手がネガティブに思っていることを「そんなことないよ~!」とついつい言ってしまいがちですが、無理な励ましは返って否定されたような気分になっていきますので、そのまんまを聴いてください。

そのまんまの言葉を、否定も肯定もせず、聴いていくことは、傾聴の大きな役割なのです。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不安の中にある感情を意識化してみる

2011年04月06日 | 第2章 五感と体感
大震災から27日目

いま、どのような不安な感情が湧き出しているでしょうか?

私の周囲でもいろいろな感情的な現象が起きています。

不安感

怒り

身体症状



錯乱


理想と現実のギャップから生まれる不安感は、大きく分けるとストレス曲線(上記5つ)となって表出されていくようです。

インターネットや週刊誌での「不安感を煽る予言的情報」や「放射能が取り除ける薬という、うたい文句で商売をしようとする人」が現れ出しました。それらを信じることによって自分の不安が解消されると思い、信じてしまう人も多く表れ出しました。

これもまた二次災害に値すると私は思っています。

まだ、自分の感情が整理できずに、うろたえている人が「直接の被災者ではない人」にも多い事が見えてきました。

もう一度、自己のストレス曲線の整理をして、大震災から一ヶ月の節目をより良い自己管理へと向けていきたいものです。

自分の不安は、いったいどんな感情なのでしょう?

自分は直接の被害者であるのか否か?
何を怖がっているのか?何を恐れているのか?何が不安なのか?
何が思うようにならないから怒りの感情が湧いているのか?
何故、やる気が起こらないのか?
不安が自分を取り巻いているなか、何故そうなのか?

自問自答をしながら見えてくる不安感に包まれている自己の感情は、自分自身の何かの気付きに繋がるかもしれません。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不安感のおさらい

2011年04月04日 | 第2章 五感と体感
大震災から25日目

3月11日以降、不安感の整理について触れてきました。

ここで、もう一度、おさらいです。

そろそろ一カ月が経ちます。

地震と津波、原発事故の被害を受け亡くなられた方々のご冥福を祈るばかりです。
そして、被災者の皆様は大きなストレスを抱えられ、いろいろな思いを巡らすことなど出来ない状況であられる方も多くいらっしゃることでしょう。

そして、
東北地方以外に住まう方のストレスは、如何でしょうか?

毎日入る情報をどう解釈しているでしょうか?

2.3週間経ってくると、受けたストレスに対する解釈が、だんだんと個性化されてくるようです。

もう少し簡単に表現するならば、
3月11日以前から持ち備えている自己の性格が11日以降の不安を解釈し、その人なりの考え方へと変化している、ということ、です。

つまり、
その人が持つ「考え方や湧き出す感情の傾向、そして、それによって起こす行動の傾向」が、より一層その人らしくなっているのです。

人は、無意識に自分の過去の記憶と今回の体験を比較考察しています。

昨日我が家に集配に来てくれた阪神大震災を経験した宅配のお兄さんは、自分の記憶と重ね、今自分がするべきことを吟味していました。いつもよりも心を押さえて物静かに語る姿が印象的でした。

ある友人は、怒りと恐怖で情緒が不安定です。でも、何かあると必ず神経質になりやすく社会に対して毒舌を吐く傾向があります。

また、さらに不安感が増長し身体症状に出ている人にも多く出会います。

でも、
「自分だけがへん?」だとは思わなくても良さそうです。私自身も「へん」なことは、解っているつもりです。

自分に湧き出す不安感を治めていく方法を知っているか知らないかは、将来に大きな違いをもたらすようです。

「「

不安感をどう取り扱うか。。。


今日、今、只今、私は何が不安なのだろう


まず、一番不安なことは、何なのだろう。


そのことを意識に上げてみたら、その不安な気持ちは、いったいどんな感情なのでしょう?


この不安感がなくなったときの最高のイメージは、何でしょう?「最高でハッピーなシュミレーションは?」


逆に、最悪のイメージは何でしょう?「最悪なシュミレーションは?」


そして、自分の不安感の折り合いをどうつけていくか。。。

」」

上記の質問は、フォーカシングという技法です。


折り合いをつける。。。という、ところがミソなのですが、ブログでは、表現しにくいのでこの程度にとどめておきます。

ただ、「自分の不安感を一つだけ選んでみる」ことだけでも、何かが整理されていくかもしれません。

不安が重なり身体症状にでていらっしゃる場合、静かに座り、目を瞑り、不安感を意識化してみることを試みてみるとよいでしょう。

(明日は腰越勉強会です。参加者の皆様、お待ちしています♡♡腰越は計画停電が解除されたようです。ただ、寒いので暖かい服装でお出かけください)

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

箱根にドライブ

2011年04月03日 | 第2章 五感と体感
大震災から24日目

昨日は、気分転換を思い立ち、たまたま家族が揃ったので箱根のドライブを愉しんできました。

東名高速の海老名パーキングエリアに寄ると、「あぁ、、、そうだ、世の中は春休みなんだ・・・」
子供の春休みに旅をする家族の幸せな様子を眺めたことで、脳の片隅に固まっていた緊張がほぐれたような開放感を得ることができました。電車に乗っていても近所で買い物をしていても、なんとなく皆が緊張していて、その様子が空気の固さとして体感している日々を過ごしていたようです。

そして、なんだろう・・・

みんな、優しい。

混んでいるパーキングエリアのカフェテリアでは、どの方もいつも以上に笑顔で席を譲り合っているようで、しかも、誰もが心やさしく声を掛け合い、「ありがとうございます」と丁寧に応じているのです。

丁寧な言葉遣いは、気遣いの表現そのものなのかもしれません。

日本語の美しさは、「ことのは」に宿る感情が裏打ちされているからこその美しさのように思います。

箱根ターンパイクを心地よくドライブし、
目の下に広がる相模湾と春霞の富士山を臨み、
春風に新芽の青さを聴き、
たぶん、この数週間、私はこれがしたかったのです。

緊張の中から、自然を五感で感じ取ることは、難しい事です。
私の場合、自分の感性が見えにくくなると、毛穴がふさがったような閉塞感に陥ります。

自分自身で、自分の健康の条件を整えることも、自己責任なのです。

ひとつの方向だけに向かい続けていると、他のことが見えなくなります。

気分転換は、必要です。

気分転換のおかげで、自分の中に無意識に蓄積されていた閉塞感を意識化することができたようです。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皆と一緒?それとも

2011年04月02日 | 第2章 五感と体感
震災から23日目

ここ数日、「ここで逃げたら戻ってきた時、村八分に遭う。だから逃げられない」という言葉を多く耳にします。

皆が大変な時、自分だけ逃げるのは卑怯なことなのでしょうか?

「村八分」という言葉にものすごく違和感を感じながらも、冷静になって自問自答してみました。


村八分は、「湧きだす感情」のどうしようもない現実かもしれません。

確かに自分が生まれ育った場所を離れ、安全な場所に待避しても、そこに留まる人々の想いを想像するといてもたってもいられない気持はするでしょう。でも、人には人の個性があります。小さな子供には将来があります。そして、親には子供を守る本能を持ち備えています。

「怖い」「怖くない」は、人の原初感情と云われています。

自分の中に湧きあがる「怖いか怖くないか」の感情は、「何かを決断する時の基準」なのだと思います。

自分の基準は、自分にしか解りません。他者のことは解りません。

こんな事態だからこそ、自分の体感と五感を大切にしていきたいものです。

人から何を言われようと、自分を守るのは自分自身です。

「皆、一緒になって」というスローガンに煽られないよう、自分自身の現実吟味力を見据えていきたいと思います。

私は私。このような時だからこそ、自分の身体と心と魂を点検していきたいものです。

・・・尊い命を大切に・・・

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠ろう。休もう。

2011年04月01日 | 第2章 五感と体感
大震災から22日目

東北の海に面した市町村の心理的現況を夜中のテレビで見ました。(NHKのクローズアップ現代です)


役所の人々が不眠不休の状態である現実。

大きな体育館での避難生活のため、自分と隣の方との囲いが無く、泣きたくても泣くことのできない現実。

そして、
「皆が、休んでいないから、私も休むことができない。休めば、皆にサボっていると言われるから休めない・・・」
と、口々におっしゃっていました。

「皆とは誰のことだろう」

現地に赴いた精神科医の「休もう・眠ろう。そうしないと二次災害が起こります」というアドバイスにも、役所のスタッフは耳を傾けず、静かに立ち上がり去っていきます。

「心を病んだクライエントの状態、現象」をテレビで見ながら、私も思いました。必ずこのままだと二次災害が起こる、と。

原発での作業員の方々も、ろくな寝具を与えられず、重労働にも関わらず粗末な食事で凌ぎながら国家的任務を果たしているようです。


・・・ヘンです・・・


人は、休まないと充分に活動することはできません。必要な思考が低下していきます。判断力が鈍ります。

私は私です。
私の心身を「私」が守らなければ、誰が守るのでしょう…

今回のことは、一カ月で解決できる問題ではありません。長い長い年月がかかります。
一人の人間のできることには、限界があります。
自分の限界を自己受容することから、問題と向き合う心がけをしてほしいと節に願います。
そろそろ一カ月です。休んでいない人々の心身は限界を超えているはずです。

労働体制の組み直しをぜひお願いします。

そして、一日も早く、囲いのあるプライベートな部屋で生活できることを切に願います。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする