五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

ぴかぴかの一年生と好奇心

2013年04月15日 | 第2章 五感と体感
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学や専門学校、就職、転職、、、

人生においてぴかぴかの一年生を経験する回数は、数えてみると案外あるものです。

不安感と好奇心はいつも隣合わせです。

不安感より好奇心が増していくと、自分にかかっているストレスがプラスの方に向いていきますが、好奇心よりも不安感が増長すると段々と見えてくるものが狭まってきます。

好奇心で目を輝かせる人に会うと「めんどくさいなぁ~~」と、思いながらもついつい目の輝きに私の好奇心が向いていってしまいます。
結果、人が喜ぶ姿を見ることで、私自身も生き甲斐を感じていくのです。

人との関わりを閉じてしまうと、共感し合う喜びの機会も減っていきます。

私自身、自分の好奇心の強さのお陰で、それに比例して動き廻ざる得ない状況に陥るわけですが、それが私の傾向であると、最近は居直りつつあります。

先日、稲取の温泉旅館で、初めて大きな鯉が爆睡しているのを見ました。ほんとうに横たわってクタッとしているのです。海水魚の寝姿を思い出し、夜だから寝ているんだ。。。と、思いながらも従業員を呼び尋ねました。すると、やはり、これは寝ている姿なので問題がない、と、軽やかに答えが返ってきました。
従業員さんも初めてこの姿を見た時はびっくりしたそうです。

鯉の寝姿に興味を示さない人もいれば、興味津々でいつまでも眺めている人もいるわけです。

ちょっとしたことの好奇心は、新しい環境に歓びを見い出すことのきっかけになります。

柱の陰から眺める時間が長ければ長いほど、不安感は増長していきます。鯉が寝ているのか死んでいるのか確かめないでいたら翌日、恐る恐る池を覗いていたことでしょう。

とりあえず、自分の内から表出する好奇心から関わっていくと、徐々に自分にとって居心地の良い環境が整えられていくはずです。

与えられた環境は変えることはできませんが、自分の好奇心から環境に飛び込んでいくと自分好みの環境を自分が構築していくことは不可能では無いはずです。

与えられることばかりを望むよりも、自らを主人公にして悔いの無いスタートを切りたいものです。


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猪股邸公開日所感

2013年04月14日 | 第2章 五感と体感
世田谷区成城の猪股邸は世田谷区が管理運営しています。
年に二度、邸宅の一般公開と共にお茶会を催しています。
お茶会と同時に私の友人が花を活けています。

贅を尽くした猪股邸で花を活け、茶を点てることができることは、華道や茶道をしている方々にとってはただのボランティアの場所では無く、修業の場でもあり、しかも多くの人に喜んでいただける遣り甲斐のある機会を得る場所でもあります。

設えるまでの期間に時間を掛け、どんな軸を掛け、どんな花器を使い、どのような草木や花を活けるか・・・。
これらは一日で準備できるものではありません。庭を整え、水を打ち、客を招きます。
これを人をもてなす為の計らいと言います。

昨日と今日二日間の開催なのですが、新聞に大きく掲載されたため、午前中の段階で例年の3倍の人が訪れ、邸宅内はてんてこ舞い。しかも、建築物の見学に気を取られ、平気で活けた花にお尻を付けている人や茶室を見ながら電話で喋っている人や、自分のお茶を出してくださっているのに茶席でうろうろしている人等…。
普段見ることの無い光景を目の当たりにし、さすがに腹が立ち、花にお尻を向けている御婦人に「花にお尻がついていますよ。お気を付けなさいませ」と慇懃に声を掛けざる得ないあり様。

まるでお正月の初詣に露店が連なるお寺の参道のを歩いているような感覚が、静かな佇まいの邸宅に出現した感覚を覚えました。

凛としたストイックさの中に野草の儚さと大らかさを見る側に同時に湧き立たせる友人の花が私は好きです。

きっと今日も大賑わいの猪股邸であることでしょう。

お祭り気分の大衆の行動は止められません。
大変でしょうが、世田谷区民ボランティアの皆様の一層の努力を期待しています。

「与えられた贅沢な空間」を読み取る感性を磨き続けていきたいものです。

人の計らいを感じ取るには、人をもてなす経験を積まなくては感じ取る感性は身に付かないと思います。

死ぬ瞬間まで学び続けることを意識できる人生を過ごしたいものです。

鎌倉時代に鎌倉の人々が源氏物語を読み更けた事を知り、「品位」は簡単に身に付くものではなく「質実剛健」も一夜で築きあげられたアイデンティティでは無く、学習し続けることで自分のものとして分化してゆくものであることを考えていたばかりでしたので、私自身も昨日の猪股邸でよき学びをさせて頂きました。やっぱり吾妻鏡読まねば。。。

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頼朝の住んだ伊豆

2013年04月13日 | 第2章 五感と体感
平清盛の母(ほんとうの母ではありません)の計らいで命拾いした頼朝は伊豆に流されます。
心も身体も伸び盛りの時にです。

一方、常磐御前の息子である遮那王牛若は、義朝の子であることを伏せられて、鞍馬寺で育ちます。
源氏の残党が、琵琶湖周辺や鞍馬の山中に身分を隠して潜伏し、牛若が育つのを今か今かと待ちわびる様子は、時代を経ても理解できる心情であり行動だと思います。

今回の伊豆の旅では韮山にも寄り、北条氏のテリトリーであり頼朝が流されたあたりの風景を体感しながら江戸幕府鉄砲方江川太郎左衛門が作った鉄の鋳造施設「反射炉」を久しぶりにと見学しました。
鉄砲、大砲の必要性を幕府に説きながら、なかなか受理されず、ようやく下田に反射炉建設中にペリーが来航しました。それによって建設は中断。セキュリティー上の理由で場所を移す必要性が出、そこで自分の土地である韮山に建設することとなっりました。鉄を大砲に鋳造し、狩野川から船で運び、駿河湾から海路で江戸お台場まで運んだそうです。

第二次世界大戦中、私の父が伊東に疎開し、伊東からわざわざ韮山に通った高校もあり、半世紀近く、何かと身近な場所ではありましたが修善寺の通り道として通り過ぎるだけでした。

昔、このあたりは、ぽつんと反射炉があるだけで、大きな狩野川の土手ばかりが目立つ場所であるという印象しかありませんでしたが、北条邸跡などもあり、地味ではありますが歴史の重要な場所でもあるのです。

歴史を知ると、土地の見方も変わってきます。

現在、韮山、伊豆長岡、大仁が統合し、今は伊豆の国市となっています。このあたりの地図をよく眺めているうちに奈良から明日香にかけての地形に似ていることに気付きました。

葛城山もあり、その袂に伊豆の国市役所があります。まさに奈良の地図と重なるような場所に葛城山があるのです。
伊豆の国市の葛城山はロープウェーがあり、お天気が良いと駿河湾が見渡せるそうです。

北側を向くと富士山が悠然と見えます。

伊豆に流された頼朝は、思春期のショック体験は大きかったはずですし、流刑の身としての生育史は辛いものであったと思います。
でも、伊豆のこのあたりの「気」は、富士山からの気が渡り、清々しい空気が流れていました。

頼朝も見たであろう富士山を眺め、感慨深い旅となりました。

平家物語を読み、吾妻鏡を読んでいないのは、ちょっとまずいな、と思いつつ、読書欲がふつふつと湧いてきました。

余談ですが、反射炉の江川太郎左衛門は、清和源氏から途絶えず現在42代目だそうです。数万点に及ぶ古文書の中から、未だ吾妻鏡は発見されていないそうです。これがどういうことを意味するかは、皆様の想像にお任せしますが、韮山の歴史研究員の方にお話を聞くこともでき、有意義な歴史学習をさせていただきました。

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金目鯛

2013年04月12日 | 第2章 五感と体感
伊豆の稲取温泉で伊豆七島を望みながらひたすら海の風景を楽しんできました。

14,5年前までは、漁港に行くと金目鯛が山ほど売られていて、一尾六百円で手に入っていたことを記憶しています。
新鮮な金目鯛を購入し、煮付けや刺身を堪能していた頃を懐かしく思い久しぶりに訪れた稲取でしたが、近年の不漁で、金目の価格は目が飛び出るほど高く、いやはやびっくり!一尾4.400円と聞き、一緒に行った母がせっかく来たんだから、と、一尾買ってくれました。

一尾の魚を手厚く梱包していただき、実家で留守番の父と、就職して間もない息子のために、稲取から天城と箱根の山越えをして運びました。往復料金含めると超高級魚!
それにしても、日本の魚はほとんどが高級魚になってしまったように思います。

稲取には防波堤を利用した海水プールもあり、夏になると幼い子供でも安心して海で泳ぐことが出来ます。
温泉も湯疲れしない優しさがあり、味よし、景色よしな場所です。

魚博士とあだ名がついていた魚類好きの息子のために休みになると磯にくり出していたことを懐かしみ、鎌倉からひたすら海岸線を走る旅でした。三浦半島から伊豆の磯遊びのスペシャリストになれるくらい磯から磯へくり出したことが昨日のことのようです。
ひたすら岩場を覗いていたので、背中ばかりが焼けているくらいの極端さ。釣りはしなかったので、魚屋さんで買った魚で観察するのも習わしで、幼稚園児には考えられないくらい多くの魚を食していました。

トビウオやホウボウ、コチやタイ、ブリやサワラも勿論の事。。。

そんな昔を懐かしみ、金目鯛を一尾購入。

夜に帰宅し、早速煮付けに。(食い意地がはっているお陰で結局なんだかんだ台所に立つはめになるのですが((笑)))

旅館で頂く金目も良いけれど、やっぱり自分で煮付けた味は、これまた満足。。。

お高い一尾の金目は、たぶん少なくとも5人の口の中に。。。

社会人二週間目の息子の口にも入り、皆満足。きっと金目さんも満足。

めでたい金目鯛でございました。

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感情の取り扱い編

2013年04月11日 | 第2章 五感と体感
自分の感情を取り扱うにあたり、過去に経験した何かが解決していなかったり、自分の傾向を過去の経験によるものだと深く決めつけていると、いつも何かが起こる度に、その何かに対する感情では無く、「育まれた環境の中で考え方を身につけてきた自分」の傾向から感情が湧きあがってくることも多いように思います。

「自分はどのような考え方で育てられ、そして、育てられながらどのように自分が解釈して育ってきたのか。」

このテーマを、ちょっぴり意識しておくと、自分の感情の種類が見えてくるかもしれません。

理想と現実のギャップが不安感を生み、その不安感が怒りだっり、孤立感だったり、疎外感だったり、人によってそれぞれです。そのそれぞれの感情を自分の言葉で考えてみることができるでしょうか。

感情の言語化は、自分を活かしていくための道しるべになるように思います。

(注:ブログgooのメールは使用しておりませんので、左横のNPO法人CULLカリタスカウンセリング学会のアドレスもしくはfacebookにお願いします。)

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美容室で考えた

2013年04月10日 | 第2章 五感と体感
通い始めて15年ほどの美容院のオーナー兼美容師さんは、思索の深い人です。
思索が深くても、嫌みなく軽やかに客商売に上手に応用しているところが、尊敬できる人です。

今回、またしも美容院で面白いテーマを与えられました。

「日本には、古来から誕生日を祝う習慣が無い」というお題です。

「4月8日はお釈迦さまの誕生日だ」という話題に、美容室のスタッフ全員、「へぇ~~」という回答。
 
冬至や春分、夏至が古代の宗教儀式に繋がり、それが諸々の宗教の重要なメモリーとして定着し、それぞれの基点となり習慣化されていくわけですが、太陽暦、太陰暦、どちらも取り入れていくことで各地の習慣と交じり合い、各地で個性化し、文明の変化やそれによる人の生活変化によって変容し続けています。

(最近は「文明の発達」とか「ヒトの進化」という言葉をあまり使いたくないので、文明(ヒト)の変化とあえて書かせて頂きます。)

現代では「今日はお釈迦様の誕生日」だと言っても「花まつり」と繋がる人は希少です。

そのような話題を楽しみながら、そう言えば、「日本は数え年で自分の年齢を一つ重ねていく習慣があったので、誕生日を意識しない生活が長かったのでは。。。?」と、オーナーの問いかけ。

「ほう。。。そう言えば、昔は、お年寄りは、数え年と実年齢を分けていて、しかも法事での会話は、数え年が主体だったよね。。。」と、私。

NHKの「のど自慢」でも、私が幼い頃は、マイクを持ったおじいちゃん、おばあちゃんが、自分の年齢を言う時は必ず「数えて〇歳です」と、言っていたことに不思議な気持ちを覚えていたことを思い出します。

そして、各歴史上の有名人の誕生日よりも命日「〇〇忌」を大事にしていることも面白い習慣であると思います。

昔は識字の問題もあるかもしれませんが、確かに私自身、誕生日をダイレクトに祝いってもらうよりも、黙ってプレゼントを差してしてもらう方が、照れが無くて有難い、という感情の流れがあります。

美容師さんと、「そういえばそうだよね。。。」と、互いに照れ笑いをしながら、DNAに組み込まれた「自分の傾向」を呼び覚ました時間を過ごさせて頂きました。

「男は黙ってサッポロビール」というコピーに、共感性を湧き立たせるのは、何も男性だけではないわけです。


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天への扉を開くと…

2013年04月09日 | 第2章 五感と体感
昨日は、近所のお寺に甘茶を頂きに行ってまいりました。

昔々幼い頃2年ばかり住んでいた福井で出合った初めての花まつりは印象深くお寺の参道の露店を抜けて行くと、お釈迦様が花に包まれておはしまし、「なんと美しい事よ。。。」と、目を輝かせて佇んだことを鮮明に覚えています。
福井のお寺の幼稚園では、本堂に大きな(当時の私の背丈から見ると巨大であった)観音開きがあり、朝のおつとめの時はその扉が開かれ、きらきら輝く仏壇が表われ、まさしくこれが観光だ~♪と、思うくらい、毎回扉が開かれるのをわくわくして待ち望んでいまるような子供でした。

近所のお寺に行くと、まだ花筐に花を飾っている最中でしたが、お釈迦様を置いた銀のお盆に甘茶を注いでくださり、「甘茶、第一号ですね。どうぞどうぞ、」とお寺のおばあちゃんに言われ、ありがたく甘茶第一号を務めさせていただきました。

「こんなにお天気がいいから、お花が直ぐにしおれちゃうから、このくらいでいいわよ!」と従業員いやいや寺男に指示するおばあちゃん。それを無視して楽しそうに花筐に花をさす寺男にエールを送りながら、ほのぼのとお釈迦様に甘茶をかけて、「一番だから、御利益たくさんですね。」と、言うと、おばあちゃんは「良い事たくさんあるわよ。さっ、私が作った甘茶を飲んでいってくださいね。」と促され、これまた第一号の甘茶を頂くことなり、単純な私はこれだけで極楽感を味わせて頂きました。あ、、、もしかしたら、寺男ではなく、住職さんかもしれませんね((笑))

勿論、甘茶も頂き、普段は通り過ぎるだけのお寺に、妙に親近感を抱かせて頂きました。

「扉を開くと、そこから絢爛豪華な世界が待ち受けている」という、サプライズ感を体感したいという期待感は、私自身未だに持ち備えています。いまや子供が初めて目にするワンダーランドは、観音開きの中に鎮座する仏様では無く、神社仏閣や教会でないことは自然な流れなのかもしれませんが…。

扉を開けると、そこは曼荼羅の宇宙であった。。。とか、扉を開けると、そこは天の国そのものであった、、、とか、そのような驚きを体験する機会が非個性的になることは、やっぱりもったいないな、、、と、思うのです。

「私」が終わる時に最後に観たいものは、扉を開けると天女が楽を奏でながら舞いながら天を駆け巡っている様子です。

脳の中に原型を持ち、それを育てていかないと天の国は描くことはできないように思うのです。

だからこそ、生きているうちに自分の育った環境で慣習化されている祀りごとを大切にしていきたいものです。

私の場合、扉を開けると天女の舞う(雲中供養菩薩)平等院鳳凰堂が、理想の頂点かなぁ。。。

朝からこんな妄想をしてしまうと、一日が終わってしまいますので、この辺で留めておきます。

天を創るのも天を無くすのも自分次第なのです。色即是空。。。

いまどきの子供のイメージする天国はディズニーランド。。。だったりして。。。??それもまた然り。

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花まつり

2013年04月08日 | 第2章 五感と体感
今日はお釈迦様の誕生日です。

天上天下唯我独尊とは、一人一人の個の尊重を言っています。私はこの言葉が好きです。
自分自身を受容し自分自身を尊重していれば、他者に対しても同じことを思えるはずですし、でも、なかなかそれが出来ないのが「人」であると思います。
だからこそ、「天上天下唯我独尊」と自分自身に唱えながら、自分の心と身体と魂を大切にしていきたいと思っています。

花まつりでは右手で天を指し、左手で地を抑えるお釈迦様の御像を拝し甘茶を頂きます。

「花まつり」という言葉の通り、春の花で囲まれた花筐が美しく、私の幼い頃の古い記憶の原型の一つでもあります。

本来なら、東大寺でお祝いしたいところですが、奈良は遠し。。。
東大寺の花筐は、馬酔木と椿がメインです。たまらなく素敵な花筐です。
花筐を思うと「奈良にゆきたし」という情動がふつふつと湧いてしまいます。

ならば近所のお寺にでも行くとしますか。。。

復活祭から一週間。お祭り続きの地球です。



「生き甲斐の心理学」会報21号を昨日発送しました。ご協力いただきました皆様、ありがとうございます。ご興味がおありの方は下記の方法でお問い合わせください。

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然れど習い事

2013年04月07日 | 第2章 五感と体感
自分の趣味を深めるために教室に入門し、先生に教えていただくことは、大人であれば大人のお付き合いが大事です。

「自立」と「配慮」は、大人の習い事の基本かもしれません。

長年かけて技術を習得し、それを生業にしている先生に付くのでしたら尚更です。

幼い頃から何かしらの習い事をしてきた私自身、礼を欠いた若気の至りも多く経験しており、だからこそ自立した立場になり、他者から何かを学ぶようになった時に必要以上に気を遣ったりするのは私の若気の至りの経験学習からきているようです。

趣味の世界は、然れど趣味であるのです。
自分の好きなことを習得するために努力も必要ですし、勉強もしなくてはならないし、何よりも先生に習う時は謙遜でありたいものです。

趣味であるからこそ、「人と成り」が見えるというのもありそうです。好きなことをやりたいための情動の強化の傾向から、その人の生育史があからさまに見えてくるものです。「お里が知れる」と、表現すると解りやすいかもしれません。

「場を見て察することを必要とする日本人のこんなところが嫌だ」と思っている自分自身も「察することに欠く人」を見ると「空気読めないし、礼儀無いし、配慮が足りん!」と、怒ったり嘆いたりしてしまうわけです。

自分の趣味は自分自身の楽しみではありますが、習い事という場で他者との関係性の配慮に欠けたら「我儘な人」にしか見えてきません。

「呼吸が合う」ということはどういうことなのか、気功をしながら、自分との対話を繰り返していきたいものです。

呼吸を整えながら陰陽を巡らせ、心身共に健やかに生きることは、我田引水では得られないのです。


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怪人の棲む劇場と怪人は棲まない能楽堂

2013年04月06日 | 第2章 五感と体感
「オペラ座の怪人」、「ノートルダム・ド・パリ」など、華やかな劇場や荘厳な教会のバックヤードには、美しさや神聖さとは対象的な闇の世界がある、と、いうのは、とてもカトリック的な発想でもあり、そうした環境に育った人々が生み出す光と闇の対称性を題材にした芸術作品は多種多様にあります。

先日、国立能楽堂のバックヤードを隈なく静々と歩き回り、陰の気と陽の気がどんなものか佇んでみましたが、ヨーロッパで感じる光と影の体感は得ませんでした。

自然界に含まれる肉体と精神は、既に何かに含まれているような感覚で、境界線があるとしたら見所と舞台の結界がそれにあたるかな、と感じました。

つまり、「人の体内に宿る陰と陽」を自分自身がコントロールしたり翻弄されたりするのであって、環境が整えられていれば、それを活かすも殺すも自分自身だ、という、空気感をまざまざと感じさせられたのです。

自分の中にある光と影は、対極的なものであるわけですが、自分の中にある陰と陽は、対極でありながらも常に廻り続けているものであることを自分の中で証明したような体感を得ました。

「含まれる」「廻る」そして対極の間には必ず「即ち」という言葉が入ることが日本人のアイデンティティを語る上で不可欠であることを証明できるのが能であるようにも思います。

翁になり、鬼になり、里女になり、武者にもなり、それらを自らが廻ることで一人の人間に在る「陰即陽」を表現できるのが能の面白さでもあり、取り憑かれてゆく要因にもなるのだと、ひとり頷いております。

私自身、カトリックというフィールドに実際立つことで「空論」を体感で納得することを目指していることが薄々感じては居ましたが、自分の中に在る空を求める欲求が能に投影されている事を改めて気付かされています。

自分とは何者か? 結局は、こういうことを考えて居たい私なのです。フィールドに立ちながら、ね。

立たねば解らん。立たねば感じぬ。然り。

:::

皆様の応援のお陰でNPO法人CULLカリタスカウンセリング学会の会報第21号が出来上がりました。嵐の中発送作業を行います。嵐が止んだら発送いたします。なお、今回は4月ですので、年会費の徴収を行います。新規にご加入される方も年度初めですのでお得です。「生き甲斐の心理学教育普及活動」の応援、今後ともよろしくお願いいたします。


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今日は二十四節気の「清明」

2013年04月05日 | 第2章 五感と体感
今日は二十四節気の「清明」です。

初春は立春、雨水。
仲春は啓蟄、春分。
晩春は清明、穀雨。

能楽の発表会から解放され、呪文に取り憑かれたように謡うのを止めたら、外の音が聴こえてくるようになりました。

夜になると虫が鳴き、今朝は小鳥たちがクチュクチュと囀る声が聴こえてきます。

自然界の音が賑やかになると、風景まで動きだすかのような感じになります。確かに草木の芽が出て、花が咲き、土の生き物がもぞもぞと動きだすわけですから、厳密に言うと風景は常に動いているということになります。

私達のNPOが関わっている宮城県山元町で一月末に開催した「生き甲斐の心理学講座」では二十四節気をテーマにしました。

その時に、「自分が好きな節気は何ですか?」との問い掛けに、多くの方が「清明」と答えていました。

「万物発して清浄明潔なれば此芽は何の草としれる也」(暦便覧)

清明とは、「清浄明潔」を略したのものだそうです。

清明とという言葉に初めて触れても、その言葉から迸るエネルギーが多くの人に感じられたようです。
一つの言葉が持つ力の影響力を改めて考えさせられました。

東大寺の修二会、薬師寺の修二会、新薬師寺の修二会もそろそろだと思いますが、4月8日の花祭に向けて自分の心と身体が春の光と共に外へ外へと向いているのがよく解ります。

言葉から感じ取る体感を意識化してみると、見えなかったものが見えてくるかもしれません。


「暦の風景・青菁社」参照)


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ヒノキ舞台を踏んだ

2013年04月04日 | 第2章 五感と体感
能楽の仕舞いと謡いを習い5年です。横浜が本拠地であるので、発表会は横浜能楽堂と上大岡にある久良岐能楽堂(帝国ホテルが持っていた能楽堂)での発表会がメインで、年に数回ある催しを含め、発表会の舞台に立たせていただく機会が結構あり、その度毎に一喜一憂しながら稽古を積ませて頂いています。

流派は金剛流。

能楽は五つの流派から成っており、「観世、宝生、金春、喜多」とあります。

金剛流久良岐会を主宰する熊谷先生の古希の祝いと会の20周年を記念し「今年は国立能楽堂で」ということになったのです。

国立能楽堂の舞台を踏むことができるなど、想像もしていなかったことなので「冥途の土産」(本気です^^)にするために、悔いの無いよう、一所懸命練習しました。いつもこのようにすれば悔いはないはずなのですが(笑)

仕舞いや舞囃子の地謡をさせていただきながら、長年かけて出来た舞台の傷をじっくりと眺めました。床にできたあの傷、この傷が魂の刻印のように見えてきて、なんとも幸せな心地良さが体中を駆け巡り、なんと自分は幸せなんだろう、、、と、至福を感じました。そうなんです。至福感とはこういう感覚なのです。

雲林院のクセを舞ったのですが、去年はどっぷりと武者を舞ったお陰で激しさを楽しみ、急に与えられたゆるりとした時空に出来ていなかった基礎を学ぶ良い機会にもなり、とても勉強になりました。
舞台の檜は、厚みがあり、深く柔らかく温かい感触でした。
ゆるりとしている仕舞いのお陰で、見所が良く見渡せてしまったこともちょっとした発見でした。国立の座席の傾斜は舞台に立つ人が自然な目線で隅から隅まで一気に見渡せるようになっていることがよく解りました。寝ている人も隈なく見えるわけです(笑)

舞台脇の簾は、和室になっていて、簾を通して拝見する能は、なんとも美しい風景でした。しばらくそこに座り見ていると、平安時代の御簾から外を見る貴族になっちゃったような気分にもなり、お得感満載。

丸一日、舞台裏から舞台までの隅々を歩き、今朝足袋を洗おうと足袋の裏を見ると、ほぼ汚れはありませんでした。

維持管理する皆様の心がけも改めて伝わり、ありがたいありがたい、と、お天道さまに手を合わせ、昨日の檜舞台に感謝する朝を迎えました。

次は何を舞わせていただけるのか、、、何を謡わせて頂けるのか、、、目の前にニンジンをぶら下げられる事が習慣化している自分にも苦笑し、仕事を頑張る気力も漲り、今日から新たな気持で働くことができそうです。

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理想と現実のギャップの解釈

2013年04月03日 | 第2章 五感と体感
理想と現実のギャップがあればあるほど、不安感は増していきます。

でも、解釈によっては、それが原動力になり仕事を成功させたり、素晴らしい芸術を生み出したりしていきます。

「出来ない出来ない、」「まだまだ、」
などと思いながら、一所懸命取り組む姿は、希望の光を感じます。

でも、

「どうせ出来ないし、自分はダメだし、」「わかんないし…」「知らないし…」などと口に出している姿を見ていると、見ている私までエネルギーがそがれていくような気分になります。

自分の不安感を自分はどのように解釈しているのか、改めて点検することがきるのであれば、自分の防衛機制が何なのかが見えてくるかもしれません。

「不安な自分」を自分自身がどう解釈しているのか、自分の心の内を素直に自問自答できているだけでも「気力」がみなぎってくるようです。

心の内を素直に言葉に出すことができてくると、自分にかかったフィルターが剥がれるような感覚になります。

不安感を口に出す時の「その心は?」に焦点を当てる勇気があれば、人生を前に進んでいけるようにも思うのです。

自分の人生は一度きりなのです。自分を成り立たせている心と身体と魂を大切にしたいものです。


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歌舞伎座オープン

2013年04月02日 | 第2章 五感と体感
本日4月2日は、銀座の歌舞伎座がリニュアルオープンです。

新年早々、歌舞伎座の近くで表装の展覧会をしたおかげで外構が整ったビルに何度か足を運び、高いビルに変身した姿を見上げ、オープンを心待ちにしていました。

出雲阿国の始まりの頃は女歌舞伎が威勢を振るっていたようで、流行を作っていたのも役者です。ロザリオを腰にぶら下げ舞いを披露したりすると、大衆は「我も我も」と真似をしていきます。サントリー美術館で開催されていた「歌舞伎展」では、その頃のロザリオが飾られており、ちょっとびっくりしましたが、千利休がロザリオをぶら下げ歩いている姿の画もあるくらいだから、「洒落た人」の今も昔も変わらないように思います。

江戸時代、藩に抱えられ武士の嗜みとして大事にされてきた能楽とは違い、大衆芸能として守り続け、進化し続けてきた歌舞伎は、明治維新もなんのそので、計り知れない図太い生き抜き方が歌舞伎役者自身のDNAに組まれているようにも思います。

そうはいっても、能好きの私は、「能楽頑張れ~^^//」とエールを送り続け、「出来ない出来ない」と言いながら稽古をつけていただき、牛歩の歩みの自分の体得度に呆れつつも、能楽の魅力を知ってしまったからには、もう止められません。

能楽にしても歌舞伎にしても文楽にしても、魅力に取り憑かれると、この心地良い体感をいつまでも得て居たいという情動に駆られます。モモクロやAKB、ジャニーズや宝塚に憧れる人たちと同じ感覚なのだと思います。萌える対象が違うだけの話です。

新歌舞伎座、一見外見は今までの歌舞伎座と変わらない錯覚に陥りますが、上を見上げると天高くビルが刺さっているような感じの建物です。ビルが乗っかっていると解釈するか、天空まで永遠に伸び続ける建物であるという解釈か、それは、これから日本の伝統芸能の中で一番派手やかにプレゼンテーションしていく先駆者的な存在として活躍する役者さん達を、暖かく見守ってゆきたいと思いますし、新しい歌舞伎座に足を運びたいとも思っています。

祖父母が足を運んだ戦前、戦後の歌舞伎座。そして平成の歌舞伎座を加えると私のDNAは少なくとも三回の建物を経験することになるわけです。

先祖代々、世々とこしえに続いていくことを願いつつ、リニュアルオープンのお祝いを申し上げます。

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ハレの日

2013年04月01日 | 第2章 五感と体感
4月1日、新年度の始まりです。

我が家では、今日から新社会人として社会に飛び出す息子がおり、久しぶりに新鮮さを感じています。
きっと、今日は新入社員と新入生が右往左往する一日となりそうです。

春休みに入ると朝の電車が多少空きますが、今日から普段通りの通勤通学ラッシュは覚悟ですね。

今年はキリがよく復活祭が3月31日でした。気持ちの切り替えにもなり、ハレの日を本当に晴々と迎えています。

幼稚園から今日まで19年間、我が子がどんなことを体験して社会に出ていくのかは、想像もつきませんでしたが、今朝、「22年前の自分に22年後はこんな感じだよ」と伝えました。

関わる学校の入学式ももうすぐです。
小学校までの12年間の経験は宝物です。これから中学高校6年間に体験することも自分自身の宝物となります。
喜怒哀楽を共にしながら、「人と成ること」の行程を互いに歩み合ってゆきたいな、と思います。

私のできることは小さなことですが、小さきものを通していくつにも繋がりあっていきます。
その繋がりがどこまで見えていくかはわかりませんが、それを信じていると達成感も深まります。

ハレの日を心に留めてみると、「私自身も身の丈で頑張るぞ^^/」と、気力が外から入ってきたような感じがしています。


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