今から半世紀前(50年前)の1973年1月2日、日大講堂(旧国技館)で行われた試合結果です。
WBAフライ級戦:
王者大場 政夫(帝拳)KO12回3分 挑戦者チャチャイ チオノイ(タイ)
*ボクシングに興味を持ち始めてから30年も経ってしまいました。これまでに多くの試合を見、記事を読んできました。そしてボクシングに関連した映画や漫画にも目を通してきました。日本ボクシング史に残るこの試合をこれまでにハイライトではありますが、何十回も見てきました。そしてこの試合に関しては、ボクシング関連の雑誌、特に特別号/増刊号には必ずと言っていいほど記載されてきました。それほど親しみのある試合ではありますが、いまだに本当のボクシングの試合でこのような光景が見られるというのは信じがたいものです。
(今も色あせない伝説の一戦「大場対チャチャイ」。)
正月気分に浸っていた日本国民は、チャチャイの殺人的な右のロングフックで現実に引き戻された1972年の年明け。通算82度もの実戦を行ったチャチャイが自身の「ベストパンチだった」と言わしめた右で大場は弾かれるようにダウンを喫してしまいます。大場はそこから反撃を開始し、終盤に逆転勝利を収めました。これだけだったら、今日に至っても「伝説の一戦」として謡われていないでしょう。
この試合で何が凄かったかというと、大場はダウンを喫した際に右足首を捻挫してしまいました。現在ならその時点でドクターストップがかかるのではないでしょうか。また、試合続行が認められても、選手本人が棄権を申し出る事でしょうな。
足を引きずりながら反撃を開始した大場。ただ反撃するのではなく、手数でチャチャイを圧倒していきます。チャチャイは弱い選手どころか、それまでに2度世界のベルトを腰に巻いている筋金入りの実力者。大場はそんな強豪を相手に、大きなハンディを背負いながらも反撃し、ポイントすらも大きくリードする形に。
そして12回、大場は一体何発のパンチを放ったのでしょうか?それまでの疲労とダメージに加え、パンチの嵐に見舞われたチャチャイは、3度のダウンを奪われギブアップ。その瞬間、この試合は歴史に残る一戦として記録と記憶に残ることになりました。
(12回、遂にダウンを奪った大場。)
試合は12回3分ちょうどで終了。もしこの試合が現在のように、世界戦12回戦で行われていたとしたら、超がつくほどの劇的だった試合が、さらに伝説度を増すことになっていた事間違いなしだったでしょう。
167センチとフライ級では長身だった大場。しかもまだまだ23歳と育ち盛りだったため、常に減量苦が付きまとっていました。毎試合ごとにその次の試合予定が決まっていた大場ですが、このチャチャイ戦の時にはその後の予定は白紙状態だったそうです。この試合後、上の階級への転向が現実味を帯びていた矢先、試合から僅か23日後の1月25日に、交通事故で他界してしまいました。
フライ級のすぐ上のスーパーフライ級/ジュニアバンタム級は1980年に新設されたため、大場が活躍した時期には存在していませんでした。しかしもしスーパーフライ級があれば、当然の如く2階級制覇を遂げていたでしょうね。ちなみに当時の2階級上のバンタム級王者はWBAがアーノルド テーラー(南ア)でWBCがラファエル エレラ(メキシコ)。両者とも長いバンタム級の歴史ではその名が埋もれてしまう存在だっただけに、大場が即挑戦しても、大場が勝利する可能性が高かったのではないでしょうか。
(「永遠のチャンピオン」大場 政夫。凛々しく、そして精悍な顔つきですね。)
この伝説の試合から半世紀経ちました。一言で書く/言うのは簡単ですが、半世紀というのは50年。まさに日本、いや世界ボクシングの歴史に残る一戦でした。