< 花のゆくへはしらねども をしむ心は 身にとまりけり 西行 |
昨夜来の風雨、そして今日も強い北風が吹き荒れ、桜の花も無残に散りその短い命を終え、花吹雪となって地面に舞い降りた。
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去る3月10日、69歳の生涯を閉じた花道家・安達瞳子さんは、31歳のとき、父親に反旗を翻し、骨董の櫛を持って「椿の家」を出た。
「桜を生けたい」と思ったからだそうだ。
「なぜ桜ですか」と聞くと、「桜は花道家にとって、道の真ん中にそびえる巌なのです。避けて通るのは悔しいでしょう。よじ登りたいのです」と答えたという。
「ああ見えて、校庭の桜の木に登ったりする、お転婆な子でしたね。長い黒髪でね。テストのときに髪の毛を引っ張ると、黙って答案を見せてくれました」
と語るのは、幼馴染みの阿部武彦・ヒノキ新薬社長である。
家族ぐるみで親交を結んだ氏が、納棺に立ち会って言ったという。
「あんなきれいな瞳子は見たことがない。まるで満開の桜のようでした」 その桜も散ってしまった。
2006.04.03