
私は自分の足で歩いている頃、車椅子のひとを見て気の毒に思った。みてはいけないものをみてしまったような気持ちになったこともあった。
車椅子に乗れたことが、外に出られたことが、こんなにもうれしいというのに。
幸せってなんだろう。喜びってなんだろう。
ほんの少しだけどわかったような気がした。
体育の授業中、鉄棒から転落して、首から下の運動機能を失った星野富弘さんの言葉である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
< 私は傷を持っている でもその傷のところから あなたのやさしさがしみてくる 星野富弘さん 「風の旅」より |
都内の銀行に就職して間もない頃、職場に生きがいを見出せず煩悶していた私に、上司が一冊の詩画集を贈ってくれた。
それが星野富弘さんの『風の旅』であった。
「傷」というたった3行の詩が、“すべてのことに偶然はない、無意味なことはないのだ”ということを私に教えてくれた。
つまずくことも、失敗することも、傷つくことも。
目の前の出来事から逃げず、そこから何かを学ぼうと謙虚に受け止めれば、私たちは、傷を掛け替えのない宝にかえて、より力強く、より豊かに歩みつづけることができるのだ。
俳句は挨拶とよく言われる。こんにちは、さようなら、ありがとう。
風雨に耐え、わずかなときを懸命に咲き、道行くひとをなぐさめ、喜ばせてくれる花々。
花を詠むことは、やがては枯れてゆく命を、俳句という器に永遠に留めることだ。
こんにちは、さようなら、ありがとう・・・・・。
星野さんは、ご自身の絵や詩に花の美しさを称え、命の交歓をするのである。
黛まどかさん(俳人)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「傷・れんぎょう」の詩は“杖”となって、今も私の歩みを支え、困難に出会ったとき乗り越える助けをしてくれている。
「星野富弘詩集」の解説の中で彼女はこう結んでいる。
2006.04.06