勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

生きているから・・・

2006-04-21 23:43:16 | Weblog
-生きているから-

痛みを感じるのは
生きているから
悩みがあるのは
生きているから
傷つくのは
生きているから
私は今かなり生きてるぞ

-星野富弘さん-
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 体育の先生になって、二ヶ月がたちました。
1970年6月17日。その日は、梅雨にはめずらしく青空がでて、さわやかな初夏の風がふいていました。
 放課後、体育館にいくと、ひさしぶりによくなった天気のせいでしょうか、いつもより、からだがかるくなっているような気もちでした。そんな日は同じ宙がえりでも、からだが自然にうきあがるのです。
 
 生徒たちにつづいて、何度めの宙がえりをしたときでしょうか。
どうしたことか、マットに頭からおちてしまったのです。でも、いままで何十回とやってきた失敗のひとつだと、べつに気にもせず、ひっくりかえっていました。

 しかし、ひっくりかえったまま、どうしても、起き上がることができないのです。
そういえば、おちた瞬間、耳の奥のほうで大きな音がしたような気がしました。ひたいには、つめたい汗をかいているようでしたし、どうもいつもとようすがちがいます。

 手をうごかそうとしましたが、ふしぎなことに、どこに力をいれてよいのかわかりません。
足はふらふらと空中をただよっているようで、首から下が、どこかにいってしまったのではないかと思いました。

 生徒たちも、いつもとちがうようすに気づきはじめ、三人、四人と、心配そうにわたしのまわりをとりかこみはじめました。
・・・・・腕があるんだろうか・・・・・?
横にきた一年生の男の子に、おそるおそるきいてみました。
「手をもちあげてくれないか?」
その子は、ふしぎそうな顔をして、わたしの横から何かもちあげました。
「もうすこし高く」
男の子がもちあげたのは、まぎれもないわたしのふとい腕でした。

 しかし、その子がにぎっている感覚もなければ、もちあげられた感じもありません。
「腕はあった」と思った一瞬のよろこびも、いきなり、おそろしいやみのなかへ、つきおとされた感じでした。
「たいへんなけがをしてしまったぞ・・・」
からだの奥のほうから、そんな声がしてきました。
あおざめた母の顔が、すーっとまぶたにうかびました。
年とった父の顔も、うかんできました。

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 こうして星野富弘さんは、首から下の運動機能を失った身体で、口に筆を咥え、美しい絵と詩 を描くまでの苦悩が始まったのです。

 先日、星野富弘さんの記事をアップしたときに、コメントをくださったおにぎりさん との出会いがありました。
彼も頚椎骨折の経験をなさったとかで、そんなハンディにもめげず、一生懸命に生きている姿がブログからも感じられます。
彼には5歳になる、耳に障害を持つ男の子がいるそうですが、そのことも明るく語っておられます。でも、ちょっとウルウルです。

 一生懸命に生きる姿は感動を与えてくれます。皆さんにも応援していただこうと思ってこの記事を取り上げました。
同時に、お暇なときにこちら も見ていただけると嬉しいのですが。
2006.04.21