勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

アドバイス

2006-04-11 22:08:24 | Weblog
 40代の半ばを過ぎた頃、今の仕事への疑問を感じ、先行きの不安感や、他の仕事への憧れなどもあり、友人の誘いに乗ってお店を開いた。
歌えて踊れるお店を目指した。共同経営である。
100万単位ではないお金を投じて開いたお店だったが、オープン前の準備の段階でこの選択が間違いだったと感じた。

 一度決めた事を翻(ひるがえ)すのを良しとしない僕にとって、何が何でも続けなければと我慢した。

 しかしお店をオープンして一週間、オープン記念の行事が終わった時点で、共同経営の相手に告げた。お店を辞めることを。
彼とは長年の付き合いではあったが、親密な付き合いではなかった。その人となりを充分に把握していなかったのである。
つまり僕の見る目が間違っていたわけで、自分の責任である事には違いない。
お金をどうするかという事は二の次であった。幸い出資した半分以上は返ってきたが。

 それからの身の振り方にも迷った。今のお店を退店するとき、送別会を開いて送られ、餞別も貰った。それから一ヶ月も経っていない。今更戻るわけにはいかない。他の職業を考えた。
しかし他に才能のない僕にとって、どうしてよいかわからなかった。
そんな時、前からダンスのお客様であったお医者様の奥様がいた。
理知的でそれでいてざっくばらんな楽しい方であった。彼女自身もご主人が自分の病院の看護婦との浮気で、修羅場を潜り抜けた体験の持ち主でもある。

 そんな彼女が、悩む僕にアドバイスをくださった。
「人間生きていれば、一生に一度や二度の恥ずかしい思いはするものよ、そんな事気にしないで今までのお店に戻りなさい」 
この言葉で決心がついた。
当時の店長に訳を話すと、「もし戻ってきても他の人にはとやかく言わせないから、安心して戻って来い」そう言ってくれた。これもありがたい言葉であった。

 彼女のアドバイスがなかったら、僕の人生はまた変わっていたかもしれない。
その体験が今の職業を一生の仕事と考えるようになり、同時に引き返す勇気も必要なのだと知った。
それ以来開き直りの人生が始まったのである。
たった一言の適切なアドバイスは、人生を変えることもある。
2006.04.11

出会いは宝

2006-04-10 23:57:49 | Weblog
 サラリーマンから身を転じ、今の職業に就いてかれこれ30年。
紆余曲折はあったものの、振り返ってみると適職だったような気もする。
若い頃は、この仕事が嫌になったこともあった。

 一時体調を崩して入院した事もあったが、検査をしても悪いところはない。考えられるのは精神的なもの、ストレスなどによる心の病と診断された。40代になったばかりの頃である。
今でもそれがストレスからきたものだとは半信半疑でいる。

 そして今、この職業に感謝している。多くの女性との出会いは宝物であった。
様々なジャンルの職業や、立場の違う人たちとの出会いは、いつも教えられる事ばかり。
主婦を初めとして、本人やご主人が会社の経営者であったり、社会的に大きな仕事を持つ人であったり、その他様々なジャンルの人とのお付き合いをさせていただいている。

 僕の技量ではとても出来ない経験も、たくさんさせていただいた。 
そんなお付き合いの中で得た経験や知識は、今の僕にとって大きな財産となっている。

 また女性の深層心理も垣間見る事ができたり、僕なりに話題も豊富になったような気がする。

 思いもよらなかった事だが、はぐれ雲 さんからそんな体験談をブログで披露する事を勧められた。
特別ドラマチックな事があったわけではないが、人との出会いを大切にし、これからも大いに経験をさせていただこうと思いながら、差し障りのない範囲で、折に触れて楽しい話題を披露してみようと思い立った。
そして皆さんとの出会いも大切にし、いい歳を重ねていきたいと思うのです。
2006.04.10

ヘクソカズラ

2006-04-09 20:45:00 | Weblog
 植物には素敵な名前がついている。特に花の名前には、可愛い名前、美しい名前、ロマンチックな名前、それぞれにいい名前が付き、なるほどと思わず納得させられることが多い。

 そんな中でも、とんでもない可愛そうな名前をつけられた植物もたくさんある。
そのひとつが「ヘクソカズラ」である。

 先日、いつも楽しい ぐぅ^^ちゃまのお部屋 のコメントにこの名を使ったところ、何人かの方に「これは何ですか?」と質問をいただいた。
夏によく見る野草なのだが、可愛い花である。
詳しくは、以前 我がブログ でも紹介したことがあるので、もう一度ご覧いただければ幸いです。



-へくそかずら-

町も人も 

美しい名前が多くなりました
 
でも何だか疲れます

ここに 小さな花があります

「へくそかずら」といいます


「へくそかずら」

呼べば心が和みます

「へくそかずら」

「へくそかずら」

つぶやきながら

夕べはぐっすり眠りました

-星野富弘さん-


星野富弘全詩集 Ⅰ より

2006.04.09

あなたに会えてよかった

2006-04-08 23:21:11 | Weblog
 ちょっと「にっこり♪」しませんか?
 
「60歳のラブレター」から抜粋
 
 「お母さん、もう少しやせた方がいいよ。それにブスでみっともないよ」
そんな長男の言葉に、「何を言ってるんだ。お母さんは少しも太ってないし、綺麗じゃないか!!」
その後に少し私の方を見ながら、それに私に聞こえるような声を出して、
「神様お許しください。私は今日一つ、いえ二つ嘘をついてしまいました」
あなたの優しさに包まれてもう30年。これからの長い人生、よろしくお願いします。
                         加賀美高代さん(50歳)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「お~い、他に捨てるものないか?」
粗大ゴミを出し終えたあなたの問に、「もぉ、ないよぉ~」。
「あっ!お前捨てるの忘れとった」
「捨ててもいいよ、この美貌、この若さ、すぐ拾う人おるもん」
「そやろな~、お前ならまだ拾う人おるかもわからんな~、そやけど拾うた人、今度の粗大ゴミの日まで長かろな~」
普段はジョークなどと縁のないあなたの言葉に、
「座布団一枚!」と私。
                         工藤千代子さん(52歳)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 あなたはご主人と、或いは奥様とこんな会話してますか? 
相手のいない方、僕と楽しいお話しませんか、僕もいないのです。(にっこり♪)

2006-04-07 23:58:34 | Weblog
 人生、長くやっていると多くの方々から教えを受けてきた。皆さんもそうだと思うが、師と仰ぐ人はたくさんいる。
時には反面教師と思える人もいるが、それはそれで己を見つめるうえでありがたいことであり、感謝したい。
思いつきではじめたこのブログからも、多くの出会いと教えをいただいている。

 そんな中でも人生の師と仰ぎ、尊敬する人がいる。
趣味で習った歌の先生でもあるのだが、僕が働くホールの専属バンドでもあったバンドリーダーである。

 音楽性は勿論の事、その優れた人柄や謙虚さ無欲さは、今までの出会いのなかでも、数少ない素晴らしい人間性の持ち主である。

 既にバンドは解散したが、歌手の方たちからの信頼も厚く、指揮者として今も活躍しておられる。
特に美空ひばりさんの晩年はすべて、氏の指揮で歌っている。
彼女が若い頃の専属指揮者であったが、一時我がホールの専属バンドとなっていたためブランクがあり、自身のバンドの解散を機に彼女の強い要望で、指揮者として信頼を一身に受けていたのである。
それは、その手腕は言うに及ばず人間性からくることであるのは、容易に察せられる。

 美空ひばり特集などでは、テレビにも出演しているので、ご存知の方もいるかもしれませんが、彼女の歌うシーンでは指揮者として画面に写ることもある。
ひばりさんのエピソードを聞くのも楽しみのひとつであり、彼女の知られざる一面は、世に言われる女王というよりも、愛すべき可愛い人柄のようであった。

 氏は落語にも精通しており、落語家に師事もしていたそうで、ユーモアも豊かで楽しい人である。 

 僕が一時体調を崩し悩んでいた時も、心配していただき、手を尽くしてくださった。
こんな方を師と仰ぎ、今も交流があることが嬉しく、もし皆さんがテレビでご覧になったときには、そういう方だと知ってご覧いただきたい。
写真は本人の許可を得て掲載しています。
2006.04.07

残花

2006-04-06 21:13:31 | Weblog


 私は自分の足で歩いている頃、車椅子のひとを見て気の毒に思った。みてはいけないものをみてしまったような気持ちになったこともあった。
車椅子に乗れたことが、外に出られたことが、こんなにもうれしいというのに。
幸せってなんだろう。喜びってなんだろう。
ほんの少しだけどわかったような気がした。


 体育の授業中、鉄棒から転落して、首から下の運動機能を失った星野富弘さんの言葉である。
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-傷・れんぎょう-

私は傷を持っている
でもその傷のところから
あなたのやさしさがしみてくる

星野富弘さん

「風の旅」より

 都内の銀行に就職して間もない頃、職場に生きがいを見出せず煩悶していた私に、上司が一冊の詩画集を贈ってくれた。
それが星野富弘さんの『風の旅』であった。
「傷」というたった3行の詩が、“すべてのことに偶然はない、無意味なことはないのだ”ということを私に教えてくれた。
つまずくことも、失敗することも、傷つくことも。
目の前の出来事から逃げず、そこから何かを学ぼうと謙虚に受け止めれば、私たちは、傷を掛け替えのない宝にかえて、より力強く、より豊かに歩みつづけることができるのだ。

 俳句は挨拶とよく言われる。こんにちは、さようなら、ありがとう。 
風雨に耐え、わずかなときを懸命に咲き、道行くひとをなぐさめ、喜ばせてくれる花々。
花を詠むことは、やがては枯れてゆく命を、俳句という器に永遠に留めることだ。
こんにちは、さようなら、ありがとう・・・・・。

 星野さんは、ご自身の絵や詩に花の美しさを称え、命の交歓をするのである。

                               黛まどかさん(俳人)

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 「傷・れんぎょう」の詩は“杖”となって、今も私の歩みを支え、困難に出会ったとき乗り越える助けをしてくれている。
「星野富弘詩集」の解説の中で彼女はこう結んでいる。
2006.04.06

花篝(はなかがり)

2006-04-05 23:58:57 | Weblog
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月も朧に白魚の
篝(かがり)も霞む春の空
冷てえ風もほろ酔いに
心持ちよくうかうかと
浮かれ烏(がらす)のただ一羽
ねぐらへ帰える川端で
竿の雫が濡れ手に泡
思いがけなく手に入る百両
ほんに今宵は節分か
西の海より川の中
落ちた夜鷹は厄落とし
豆沢山に一文の
銭と違って金包み
こいつぁ春から縁起が良いわい

「三人吉三」から

 歌舞伎演目の通称『三人吉三』といわれる、和尚吉三・お嬢吉三・お坊吉三という三人の吉三を名乗る盗賊の物語のなかの名台詞である。
季節は今より少し早い、早春の節分。舞台は大川端、今の隅田川といわれる。
篝(かがり)も霞む春の宵の桜も、今日の冷たい雨には耐えられなかっただろう。

 春を表わす言葉には、美しい表現が数限りなくある。
あるブログで「花篝(はなかがり)」という言葉を知った。
「花の名所などで夜焚く篝火」のことだそうだ。


 そのブログの主、無精庵徒然草・やいっちさん花篝は闇を深くする から一ヶ月ほど前の記事にTBをいただいた。
過去のブログを読んでいただくこと自体嬉しいことであるが、さらに嬉しいことには、身に余る言葉を添えて、我がブログを以下のように紹介してくださったことである。

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 全くの偶然だが、このサイトの最新の記事が「桜散る」となっている。「昨夜来の風雨、そして今日も強い北風が吹き荒れ、桜の花も無残に散りその短い命を終え、花吹雪となって地面に舞い降りた。」と、小生の関心事をうまく丁寧に掬い上げてくれている。嬉しい出逢いだ!
 西行の、「風にちる花のゆくへはしらねども をしむ心は身にとまりけり」なる歌の冠せられた画像なども実に素晴らしい。
 なんだか、小生の感傷的な散る花びらへの、あるいは花びらに対する世間の扱いへの狭量なる心の結果としての憤懣が、やんわり窘められたような気がしたりして。

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 この方は文章を書くプロの方 でもあるのだが、この方のブログ、知識の宝庫であり、その方からこの様な紹介をされて嬉しくない筈はない。
ご自身も言っておられるが、僕にとっても嬉しい出逢いである。

 またこの記事のマクラにしようと「三人吉三」の台詞の検索をしていたら、なんとまた、この無精庵徒然草・白魚から歌舞伎に…に行き着いたのである。
2006.04.05

ぺんぺん草のうた

2006-04-04 23:05:23 | Weblog
 想像してみてください、口に咥えた絵筆で絵や字を描くことを。

 星野富弘さんは、中学校教師として赴任後2ヶ月足らずで、クラブ活動で指導中鉄棒から落ち、頚椎損傷を負った。
首から下の運動機能を失いながら、母の手を借りて口に咥えた筆で詩を書き絵を描く。

 手が動かないので、三度の食事も母に口に入れてもらっていた。
「産んでくれなけりゃよかったんだ。チクショウ!」そう言って母親を責め、自殺まで考えたという。

 それでも星野さんは、手足は動かずとも口が動くと、前向きな考えを持つようになり、絶望の淵から立ち上がり、絵と詩を描きつづけている。

 「目が回り、咥えた筆のガーゼは、よだれでぐしょぐしょに濡れ、ほっぺたを伝わって枕に浸みる。そして吐き気がしてきた」 

 そんな星野富弘さんの詩集には、弱いものへの優しさに溢れた詩が、宝石のように輝いてぎっしりと詰っている。

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-なずな-

神様がたった一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れるぺんぺん草の実を見ていたら
そんな日が
本当に来るような気がした

星野富弘
2006.04.04

桜散る

2006-04-03 23:34:00 | Weblog
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風にちる
花のゆくへはしらねども
をしむ心は
身にとまりけり

西行

 昨夜来の風雨、そして今日も強い北風が吹き荒れ、桜の花も無残に散りその短い命を終え、花吹雪となって地面に舞い降りた。

  
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 去る3月10日、69歳の生涯を閉じた花道家・安達瞳子さんは、31歳のとき、父親に反旗を翻し、骨董の櫛を持って「椿の家」を出た。
「桜を生けたい」と思ったからだそうだ。
「なぜ桜ですか」と聞くと、「桜は花道家にとって、道の真ん中にそびえる巌なのです。避けて通るのは悔しいでしょう。よじ登りたいのです」と答えたという。



 「ああ見えて、校庭の桜の木に登ったりする、お転婆な子でしたね。長い黒髪でね。テストのときに髪の毛を引っ張ると、黙って答案を見せてくれました」
と語るのは、幼馴染みの阿部武彦・ヒノキ新薬社長である。
家族ぐるみで親交を結んだ氏が、納棺に立ち会って言ったという。
「あんなきれいな瞳子は見たことがない。まるで満開の桜のようでした」 その桜も散ってしまった。


2006.04.03

春暁

2006-04-02 23:09:41 | Weblog
-春暁ー
春眠暁を覚えず
処処に啼鳥を聞く
夜来 風雨の声
花落つること知んぬ多少ぞ
☆ 
春眠不覺曉
處處聞啼鳥
夜來風雨聲
花落知多少

-しゅんぎょう-
しゅんみんあかつきをおぼえず
しょしょにていちょうをきく
やらいふううのこえ
はなおつることしんぬたしょうぞ

春は眠くて夜明けも気づかない
あちこちで鳥が啼き
夜中に風雨の声が聞こえた
どれだけ花が散ったことであろう

「声に出して読みたい日本語」より抜粋
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 あれほど待ち遠しかった桜も、東京では今が見ごろ。しかし今日は朝から曇り空で、風も強く、夕方からは強い雨になった。
せっかく咲いた桜の花も「夜来風雨の声、花落つることを知んぬ多少ぞ」である。

 ところで春になると眠くなるのは何故だろう?
冬よりも夜明けが早くなる春は、温かさに夜が明けたのも気がつかず、春眠暁を覚えずとなってしまうようだ。

 人の脳には眠りの機能があって、その機能の働きがいい人ほどしっかりした睡眠が取るれるのだという。
年寄りが早く目覚めるのは、その機能が衰えたからで、よく眠れるということは、若い証拠であるらしい。

 快眠と昼寝は、夜の寝付きや朝の目覚めもよくなり、良い睡眠はすべての健康の元といわれ、成人病予防にもなり肌荒れを癒し、美肌効果もあるという。

 眠れる森の美女になるよう、春眠を多いに楽しもうではありませんか。
男性は、星の王子様になって美女を迎えに行きましょう。
2006.04.02

花は上野

2006-04-01 22:53:11 | Weblog
春爛漫
 

 昨日の寒さから一転、暖かくなった土曜日午後の上野公園は、立錐の余地も無いほどの混雑になり、あちらでもこちらでも宴会の花盛り。
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ハァ~ 
花は上野よ 
チョイト
柳は銀座 
ヨイヨイ
月は隅田の 
月は隅田の屋形船 
サテ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ
ヤットナ ソレ ヨイヨイヨイ


「東京音頭」
 一昨日、お客様ご夫妻からの招待を受けて行った、浅草の通称ウンコビル、アサヒビールタワーで、隅田川を眺めながらの生ビールの味はまた格別であった。
 ここのビールはさすがに旨い。アサヒビール直営の生ビールの口当たりのまろやかさは、あまり飲めない僕でも旨さの違いがわかる。
 

アサヒビールタワー21階からの眺めです
2006.04.01