
航空自衛隊 浜松広報館 通称 エアパーク。浜松基地の南東サウスタキシーウェイ南側に位置し、広報活動を行っている。
正面にはF-86Fセイバーのブルーインパルス2代目塗装機が展示されている。このデザインは映画出演を機に制定されたらしい。

TVで見た86ブルーのアクロに感化されヒコーキ好きになったといっても過言ではない。
では中に入ろう
館内には所狭しと過去活躍した飛行機が展示保管されている。

古いであろう順に。まずはゼロ戦。52型かな。ワイヤーでつるされ飛行形態で展示されている。

続いてはTJ28 trojan うーんあまり良く知らんがな。

続いてはT-6テキサン。練習機だ。静浜にも保管されている。

ヴァンパイア。試験的に1機輸入されたようだ。

続いてT-34メンター。こちらも練習機。テキサンの後継機種か。

こちらはT-33シューティングスター。入間基地所属機が河川敷に墜落し、全機用途廃止が早まってしまった悲しい過去も。

続いては、初の国産ジェット練習機T-1.多くのジェットパイロットを育てた。

そしてブルーインパルスのカラーをまとった、T-2高等練習機。必ずしも扱いやすい機体ではなかったようだ。

初の国産ビジネス機を流用した三菱MU-2S。救難機として活躍。現在のU-125Aの先輩だ。最後は浜松基地だったか。

で連絡機B-65.海自でも使用されていた。

F-86F 空自初のジェット戦闘機。こちらはブルー塗装機。

こちらはレーダー装備のF-86Dセイバードッグ。要撃戦闘機としてF-1の先輩か。結構短命で終わったが、ゴジラと戦ったことも。

そして空飛ぶ鉛筆とも、最後の有人戦闘機とも言われた、F-104Jスターファイター。201空~207空まで7個飛行隊が全国に配備され、順次F-15に機種更新された。

こちらは国産初のジェット戦闘機F-1.T-2とは兄弟だ。3空、6空、8空の3個飛行隊に配備され、その後F-2へ引き継がれた。

こちらはH-19救難ヘリコプター。ずんぐりとした愛嬌のある姿。世界的にヒットしたベストセラーヘリだ。

シコルスキーS62J。ベストセラーのS61/HSS2の前身か。撮影を始めた初期に厚木にいたのを思い出した。

V-107 バートル。現在のCH-47チヌークの前身。CH-46とは兄弟。
以上が現在屋内展示されている機材たちだ。懐かしいものあり、初めて見る機材ありで、なかなか楽しかった。あまり時間がなく駆け足で回ったので、今度はじっくり見にこよう。
さてここには屋外展示の機材もある

展示館と展示館の間に挟まれたF-104J。どうしても光が回らない。

そしてフライングバナナことH-21B救難ヘリコプター。模型でしか見たことなかったぜ。

そしてC-46輸送機。映画で活躍しているのを見ただけだな。

そしてナイキJ。日本の空をまもります(守ってました)
さあ、もう少しでブルーが飛ぶ。撮影場所に戻ろう。