こんにちは。
あっという間にもう年末ですね。
皆さまはいかがお過ごしでしょうか。
振り返ると今年はコロナに振り回された1年でした。
ですがそのおかげで企業はテレワークという働き方改革に気づき、
私たちの生活がいろいろな人やモノに支えられていることに気づいたのは
良かったと思います。
さて、来年はどうなりますでしょうか。
あらためまして、今年も大変お世話になりました。
ここのところ病災に見舞われてばかりで、私の前世がどんな悪行をしたのかと震えていました。
老化と病気の切り分けが難しい年齢になってきているのも事実ですが・・・・
来年こそは病災を振り払い元気に動き回り、
そしてもう少しブログを更新する時間を作りたいと思います(来年の抱負)
どうぞ来年もよろしくお願いいたします。
ではその3です。
エジソンは全米に直流で電気を供給しようと動き出し
まずはマンハッタンのダウンタウンを目指します。
ニコラ・テスラ登場。
フランスから渡米途中の場面だと思います。
船中で二相交流モーター(仮)のアイデアを書き留めています。
1882年9月。
ダウンタウン発送電の日を迎えたエジソンは緊張気味。
窓に映った自分を見て前髪をなおそうとするけどうまくいかず
「やめやめ」みたいな手ぶりの場面がとても気に入っています。
NY証券取引所の前で演説をするエジソンは観衆の前で見事送電を成功させます。
「かつては夜空に輝いていたものを閉じ込めた」ってすごくファンタジックですね。
メアリーとインサル。
テスラも。
一方、WHは交流で電気を供給することを決意。
ホープ氏に相談します。
ここで名前が出てくるハイラムは、
炭素棒を使用する電球を発明し特許を持つハイラム・マキシムです。
この作品、あちこちで「特許」という言葉が出てきますので
電流戦争と言うよりネガキャン戦争と言うより特許戦争だったような気もします。
例えば、電話機。
特許申請はエジソンが早かったものの書類不備でリジェクトされ
その間にベルの申請が承認されたので電話機と言えばベルになりました。
エジソン自身、特許を売って大金を手にし、
後にテスラは騙されてしまい特許を手放しているしで
この時代から特許の取得がいかに大事かがわかります。
話が少し横道に逸れました。
エジソンと手を組み彼の電球で交流システムを実現させたいWHに
ホープはある男がそれにトライしたが失敗したと言います。
その男とは・・・・
GEのフランス法人、コンチネンタル・エディソン・カンパニーに勤めていたテスラは
アメリカで仕事を得るためにエジソンを訪ねます。
要約すると、効率が良い交流を推すテスラに
直流用に設計された工場システムをテスラの交流電源で稼働させたら、
褒賞として5万ドル払うと提案したそうです。
1884年
インタビュー(?)を受けるメアリーですが
途中、ある言葉が出なくなり詰まります。
単語を度忘れしたような感じです。
こんなに私はしょっちゅうなんですけど(年齢)
そのあと、一緒に外出する約束をしていたエジソンのところにいきますが
蓄音機の改良に熱中していたエジソンは明日行くからと言い、
子どもたちだけで外出したメアリーは倒れてしまいます。
頭痛を訴えたメアリーに眼精疲労だと診断する医師。
その場で治療費が払えないエジソンはサインと引き換えに後払いにしてもらいます。
続きます。
それでは皆さま、良いお年をお迎えくださいませ。