一を聞いて十を知るな!
これは、4月9日の読売新聞の「五郎ワールド」の見出しで踊っていた文字である。
我が意を得たり! とその記事を小躍りして読んだ。
それは何故かと言うと、我が家の長が「一を聞いて十を知る」ことがお得意だからであり、
そしてそれが行き過ぎると、本人にも周囲にも不都合なことを生じさせるからなのである。
つまり、この世では知らぬが仏の方が幸せなことが多い、と私は常々思っており、
そして、そんな私は「極楽とんぼ」とか「おぼこ主婦」「箱入り主婦」とか呼ばれていて、
当然、私の意見は軽薄愚論と却下されることが多く、話し相手にならないのである。
* * *
こんな状況下でも私は、長の言う軽薄愚論を振り回し日々負けじと奮戦していた。
それが、それが、何と!天の恵みとばかりに私の目の前にこの言葉が現れたではないか!
もう100万の味方を得たような気分である。
* * *
記事によると、かの大隈重信公はその気性の激しさから
「村正の名剣」と木戸孝允に喩えられたとか。
その大隅重信公に五代友厚が送った書簡の中の第一条がこの言葉だったのである。
「閣下の恩恵を被る者は其(その)美を挙げて、その欠を責むる者なかるべし。
今友厚は従来の鴻恩の万分の一を報ぜんため、閣下の短欠を述べて赤心を表す」
として
第一条 : 愚説愚論を聞くことによく堪えるべし。
一を聞いて十を知るは閣下の賢明に原因する欠点である。
と率直な忠告をしている。
* * *
まったくもって同感である。
100万の味方を得て、長に言ってみた。
「五代友厚の言葉だけど、大隈重信に一を聞いて十を知るな!って忠告の書簡を送ったんだって」
それと「愚説愚論を聞くことによく堪えなさい、とも書いてあったらしいよ」と。
すると、長曰く「それは偉い人の話だ」と。
一を聞いて十を知る長、いったい如何なる理解に及んだのだろうか。
一を聞いて一を知る人間には計り知れないところだが、
知らぬが仏で生きていて、何ら問題もなく、
返ってそちらの方が良い結果を生むことだって多いのである。
そして軽薄愚論だって意外と有益な話かも知れないのである。
五代様はやはり素晴らしい!
改めてときめく記事であった。
これは、4月9日の読売新聞の「五郎ワールド」の見出しで踊っていた文字である。
我が意を得たり! とその記事を小躍りして読んだ。
それは何故かと言うと、我が家の長が「一を聞いて十を知る」ことがお得意だからであり、
そしてそれが行き過ぎると、本人にも周囲にも不都合なことを生じさせるからなのである。
つまり、この世では知らぬが仏の方が幸せなことが多い、と私は常々思っており、
そして、そんな私は「極楽とんぼ」とか「おぼこ主婦」「箱入り主婦」とか呼ばれていて、
当然、私の意見は軽薄愚論と却下されることが多く、話し相手にならないのである。
* * *
こんな状況下でも私は、長の言う軽薄愚論を振り回し日々負けじと奮戦していた。
それが、それが、何と!天の恵みとばかりに私の目の前にこの言葉が現れたではないか!
もう100万の味方を得たような気分である。
* * *
記事によると、かの大隈重信公はその気性の激しさから
「村正の名剣」と木戸孝允に喩えられたとか。
その大隅重信公に五代友厚が送った書簡の中の第一条がこの言葉だったのである。
「閣下の恩恵を被る者は其(その)美を挙げて、その欠を責むる者なかるべし。
今友厚は従来の鴻恩の万分の一を報ぜんため、閣下の短欠を述べて赤心を表す」
として
第一条 : 愚説愚論を聞くことによく堪えるべし。
一を聞いて十を知るは閣下の賢明に原因する欠点である。
と率直な忠告をしている。
* * *
まったくもって同感である。
100万の味方を得て、長に言ってみた。
「五代友厚の言葉だけど、大隈重信に一を聞いて十を知るな!って忠告の書簡を送ったんだって」
それと「愚説愚論を聞くことによく堪えなさい、とも書いてあったらしいよ」と。
すると、長曰く「それは偉い人の話だ」と。
一を聞いて十を知る長、いったい如何なる理解に及んだのだろうか。
一を聞いて一を知る人間には計り知れないところだが、
知らぬが仏で生きていて、何ら問題もなく、
返ってそちらの方が良い結果を生むことだって多いのである。
そして軽薄愚論だって意外と有益な話かも知れないのである。
五代様はやはり素晴らしい!
改めてときめく記事であった。