~ 備前焼の宝瓶 ~
この宝瓶は作家さんが自分のために作ったもの。
もう30年も昔のこと
陶房を訪れた時に、この宝瓶で自分でお茶を淹れて使っておられた。
それは、いかにも手びねりらしく、ぽってりとしていて温かみがあった。
もう、初めから私の胸にズキューンと来ていたその魅力は、
話している間中胸の中で増幅していった。
そして、とうとう我慢の限界を迎え
この宝瓶の魅力がどれほど私を虜にしたかを、一生懸命に訴えて
どうか私に譲って下さいとお願いしたのである。
そして、私の熱烈アピールが届いて譲って下さることになった。
越後美人さんには参ったなあ、、いいですよ、お譲りしましょう、と。
冒頭の画像は実物大で、手の中にすっぽりと収まる可愛らしさ。
この宝瓶を自分のためだけに手元に置いてお茶を淹れる、、
これが私のささやかで豊かな気分の源になっている。
こんな気分にさせてくれるものは、一生の内にそうそうあるものではない。
せいぜい80年やそこらの人生、心に響いたものは手に入れないと勿体無い。
ものは言ってみるものだ。
要は、心が通じることが大事なのである。
この宝瓶は作家さんが自分のために作ったもの。
もう30年も昔のこと
陶房を訪れた時に、この宝瓶で自分でお茶を淹れて使っておられた。
それは、いかにも手びねりらしく、ぽってりとしていて温かみがあった。
もう、初めから私の胸にズキューンと来ていたその魅力は、
話している間中胸の中で増幅していった。
そして、とうとう我慢の限界を迎え
この宝瓶の魅力がどれほど私を虜にしたかを、一生懸命に訴えて
どうか私に譲って下さいとお願いしたのである。
そして、私の熱烈アピールが届いて譲って下さることになった。
越後美人さんには参ったなあ、、いいですよ、お譲りしましょう、と。
冒頭の画像は実物大で、手の中にすっぽりと収まる可愛らしさ。
この宝瓶を自分のためだけに手元に置いてお茶を淹れる、、
これが私のささやかで豊かな気分の源になっている。
こんな気分にさせてくれるものは、一生の内にそうそうあるものではない。
せいぜい80年やそこらの人生、心に響いたものは手に入れないと勿体無い。
ものは言ってみるものだ。
要は、心が通じることが大事なのである。