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このゆずくんというのは、我が家の三人姉弟の末っ子、
のんびり、おっとり、ゆっくりの甘えん坊大将軍の息子のことである。
二人の姉の元で可愛がられ、物心ついた時に遊ぶ友達は
隣家の女の子二人のみ、という環境で育ったためか
今でも男らしさに欠け
決断力、実行力共に同年齢の人達に遠く及ばないのである。
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そんな彼を見ていて主人が嘆いたことがあった。
「なんであの子はいつまでも何も出来ないんだろう」と。
そこでよく言われる「桃栗三年柿八年」のあとにつく
「柚子(ゆず)の大馬鹿十六年」
を思い出した。
それは
別に柚子が他の果樹に劣っているわけではなく、ただ実がなるのに
桃や栗の五倍、柿の二倍はかかるということなのだ。
だから息子は ゆずであって
気長に育つのを見ているしかないのである。
私たち夫婦はこの時に、そう思い至った。
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そして現在、当の息子は
一応会社に行っているし、給料から生活費も入れている。
だけど、まだまだひよっこみたいで頼りなく、
親はいつまでも生きていて、いつまでも甘えられると思っている。
ところが、その彼が、この連休の前に言うのである。
「ボーナスが入ったから飯でも食いに行こうか」と。
その一言は、どんな一言よりも私たち夫婦にとっては嬉しい一言だった。
もちろん反対することなどなく、有難く、嬉しく、その申し出を受けた。
当日は彼の車に乗せてもらい御馳走になって来た。
会計をする彼の後ろ姿が、ちょっぴり頼もしく見えて
「ゆずの花の蕾がようやく出来た」
そんな気分が味わえたのであった。
なによりの御馳走だった。