ここは紛れもない大阪・梅田のド真ん中の地点です。左に阪急百貨店、正面に富国生命ビル、右に曽根崎警察署を見ることが出来ます。全て、今もそこで機能していますが、ビルの外観は変わり、その周辺も大きく変わりました。
上は昭和42年(1967年)の景色。道の真ん中を大阪市のトローリーバスが走っています。昭和28年に開業し、主に市内周縁部を走りました。最初の路線は大阪駅前~淀川区・神崎橋間で、写真の車両も「神崎橋」の方向幕を出しており、梅田の阪急前を大阪駅方向に進んでいるところです。トローリーバスは昭和45年に全廃されました。
こちらは翌年・昭和43年頃(1968年)で、自動車がどんどん増えている時だったそうです。そして右側の曽根崎警察署は、「東洋一の警察署」と呼ばれていました。その理由は、鉄筋コンクリート5階建ての「スクラッチクリンカータイル張り」。斬新な外観と構造が、当時としては珍しかったので「東洋一の警察署」と言われ、見物人が後を絶たなかったそうです。しかし、地盤地下で庁舎が傾き、現在に至るまでに何度か建て替えられています。
こちらは2005年頃。曽根崎警察も近代的になり、梅田パルビルには長らく「プロミス」の看板がありました。世の中で「サラ金地獄」等と言われても、看板は落ちそうで落ちないデザインの通り鎮座していました。
梅田パルビルには上から下まで、上新電機のディスクピアが入っていて、1階がカメラ、2階から上がCDやレーザーディスクを経てDVD売り場になっていました。90年代、この梅田界隈で輸入CDを最も取り揃えていたのは、ここだったと言えます。カントリーミュージックなどの品数も本当に豊富でした。
横断歩道を隔て南側には火事で焼失した喫茶店「アメリカン」があり、その向かいには映画館「梅田グランド」と「梅田花月」が。お初天神通りに入ると、昭和~平成には「養老の滝」「本陣」「八刀伝」「天狗」等、時代と共にいろんな居酒屋が賑わいました。
そして現在は、阪急百貨店も富国生命ビルも新しく建て替わり、こういう光景になりました。富国生命ビルは耐震性の問題から2008年に建て替えが進められ、2010年に竣工。特徴的なのは森の大樹をイメージしたという、地上に近づくにつれ面積が大きくなっていく下層部の複雑な構造です。さらにガラス面の複雑な光の反射を利用して、森の大樹の動きを演出しています。近くに行き、下から見上げると、まさに大きな樹に見えるから不思議です。
いつもビルが建て替わる度に、これが永遠に続くかのように思うのですが、次に大きく変わる景色を見るのは僕ではなく、次の世代の人々なのでしょう・・・。