青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

洗えるマスク ~効果はあるのか?

2020-10-15 | 今を考える

本日10月15日、東京都内で15日、新型コロナウイルスの感染者が新たに284人確認されました。この数・・・春先に大騒ぎして「緊急事態宣言」が出た時の感染者数と比較にならないほど多い。これから僕は個人的には更に感染者数は増えると思います。

しかし、その原因は「Go to トラベル」でも無ければ「Go to イート」のせいでも無いと考えています。

原因は人の心の「コロナ慣れ」ではないでしょうか?コロナウイルスに対する気の緩みです。

今日10月15日は世界手洗いの日です。感染症の予防のため、石鹸を使った正しい手洗いの方法を広めるための活動が世界各地で行われています。コロナウイルスに対して、気持ちを引き締める機会にしたいと思います。

春先よりも感染が増えているのに、春先の様に警戒していない人が多いのです。必死でマスクや消毒薬を求めた、あの大騒動はいつの時代のことだったのか・・と言うほど多くの人が油断している。

具体的に言うと、洗えるマスクを着用している人がとても多いのですが、効果はあるのでしょうか?製品の性能に対してあれこれ言う前に言いたいのは、「きちんと洗っていますか?」「手洗いしていますか?」「規定回数を超えて使っていませんか?」ということ!2日に1回洗濯機で回している、最初に買ったものをずっと着用している人がどれだけいるかが問題です。かなりの数の人がいると思います。

であれば、そのマスク、それはファッションというか形だけのマナーという意味での着用であり、感染予防にはなっていない。交通機関でそんな人の横に座ったり、そういう人の職場や学校で近くにいることがどれだけ危険でしょう!

コロナ慣れとは、そういうことです!

新型コロナウイルスの感染は止まらない。街中を歩けば以前よりもマスクの着用者は格段に増えています。でも、マクスをしていれば大丈夫とは言えない中、どんなマスクをすれば良いのでしょう?

人それぞれ意見が違い、その上マスクがコロナウイルスに対して有効であるという科学的な効果が、世界共通認識で確立されていない現在、ネットでどこを探しても、「このマスクなら大丈夫」「優秀なマスク・ランキング」等の正しい記事はありません

しかし、ウイルスはマスクと顔との隙間から侵入もすれば飛散もするので、その隙間が開かないものほど良い。その上、「全国マスク工業会」のマークがあり、PFE試験やVFE試験によってウイルスを99%カットと明示しているもので、日本製のものであれば最高水準の製品であると思います。中国製マスクなどには、試験結果についての言及もなければ、頬とマスクの間が隙間だらけの「パカパカ・マスク」(パカパカ横が開いて空気が通りたい放題なので)が多いので、飛沫防止にも感染防止にも役立たないと個人的には考えています。

大切なのは、日本製の性能の良い使い捨ての不織布マスクを、しっかり状況に応じて1日数回交換する。

これを「お金が掛かる」とか、「どのマスクでも同じ」だとか、「コロナが怖くて表に出れない」とか言わずに、みんなが徹底することが日本の安全・安心に繋がると考えるのですが、僕が個人的にブログに書くことが出来ても、政府が同じことを言えないのは分かります。科学的根拠が確立していない上に、どこの製品は良くてどこは駄目等と、いくつかの会社を潰すような発言は出来ませんから。

僕が1番知りたいのは、政府首脳や優秀な学者さんたちが、どんなマスクを使っているか!そういう人たちの「マスク人気ランキング」を、どこかがしっかり取材して公表してくれたら・・・これが本当に役に立つと思うのですが。


レンタルビデオ物語 2 ~ビデオ全盛期

2020-10-14 | 昭和・思い出は色褪せない

僕が店長として雇われた時、ビデオ店に利益をもたらすものは、新作映画と名作映画だと思い込んでいたのですが、実はこれが大ハズレでした。新作は確かに最初はよく出ます。しかしすぐに旧作に変身するのです。名作映画はコアなファンが見れば終わりです。それほど映画に詳しいお客様というのは、世間にはいないということがすぐに分かりました。

では何が利益を生むか。前回書いたようにアダルトビデオだったのです。これには当時純情な僕は驚きましたが、確かに回転がよく、次々とレンタルされて行くのです。貸出中の札がついたゴムがかけられるのは、アダルトばかり・・・。当時は馬鹿な経営者がいて、アダルトを目立つ場所に置く店もありました。アダルトは当然店の1番奥で、お客様の姿が見えないように棚を配置したものです。目立つ所にアダルトなんか置いては、子供用のビデオを借りに来る人や、女性客は入れません。そういう時代でした。

大体夜の9時を過ぎた辺りから、男性客が奥に消えていき、1人で複数のアダルトビデオを借りて行きます。単車のヘルメットを被ったまま取らない人もいれば、ろくに洗濯もしていない臭い服を着た若い男もいました。(帰った後も臭いので、カメ虫という名前で呼んでいました)その店では、借りたいビデオのケースをレジに持参し、そのケースの番号を見て、棚からビデオを出していました。ところが、返却された際に、中身が入替わっていたり、置き場所を間違えていたりで、数千本の中のどこかにその作品はあるのは間違いないのですが、なかなか出て来ない場合もありました。

しかし借りる方も中途半端に照れているので、「早くしろ!」と怒鳴ります。アダルトビデオで、過激なタイトルのものを借りる場合ほど、早く貸出して欲しいようで、いわゆる変態ビデオのケースを、カウンターの上に置かれたままにされるのが恥ずかしいのでしょう。しかし時には本当に見つからない場合もあり、「申し訳ございません。札が外れていたようで、貸出中です。」と最後の手段で収めようとすると、「どうして無いんだ!」と激怒する人もいました。大体、こういう人の多くが、教師、医師、新聞社勤務というのに、僕は非常に驚いたものです。こんな変態モノを見て、明日生徒の顔を見て何を考えるのだろう・・・と気味が悪くなりました。

当時は山本奈津子も人気がありました。


僕は本当に、ピンク産業にお金を1円も使ったことがない人間で、逆に異常と思われるかも知れませんが、アダルトビデオもエロ本も、ストリップもノーパン喫茶も、ソープランドもキャバクラも行った事がない。(ビデオ屋でこうしてバイトしていても、アダルトは見なかったし、返却されて来たビデオテープには、汚れていて触るのも勘弁してくれ!というものも結構あったのです。)こういうビデオやそういう場所は、必要悪だと分かっていても、いわゆるレイプ、痴漢、変態ビデオは行き過ぎた趣味の悪いものだろうと、店から全部撤去しました。(笑)すると、「どうしてここにはそういうビデオが置いてないんだ!」と客からクレームが出ます。置かないなら(仕入れないなら)、入会金を返せというのです。これには参りました。(笑)

そこでアダルトが無くても黒字にしてやる!と、「店長のお薦め」というシールを作って、僕が良いと思う映画に貼ったり、店に無い作品を取り寄せたり、音楽ビデオやプロレスビデオを仕入れ、他店と差別化を計りました。これによって、「あの店は・・・」と口コミで人が来るようになり、入会金が大幅に増えたのです!しかし名作目当ての客は、それを1回借りたら終わりで、リピーターにならなかったのです。リピーターは、やはりアダルト客だったのです。これにより、アダルトを全て店から追い出すという作戦は失敗に終わりました。アダルト客は毎回返却と同時に借りてくれる優良客だったのです。

基本的に予約は受け付けていなかったのですが、隣近所のお店の店主とは仲良くなり、(駐車場を共有していたりするので)便宜を計りました。そのおかげで嬉しい事に、向かいのパン屋さんからの差し入れ、隣の「小僧寿司」の主人からの差し入れ、もう1軒隣のローソンからも食事の差し入れを頂きました。これは助かりました。

しかし1度だけ「予約は受け付けない」という規則が破られる事件がありました。時代は前後する話ですが、東映の「極道の妻たち」の第1作がレンタルになった時です。

その筋としか思えない人達が、「このビデオが入ったら電話してこい。忘れんなよ」と凄んで行くので、「ハイ、分かりました。」と僕の留守の間に予約を受け付ける店員が続出したのです。「兄ちゃん、このポスターの映画な、入ったら1番に見たいから置いとけ。すぐに来るからな。」と言われても、「当店では予約は受け付けておりません。申し訳ございません。」と言うのは僕だけ。当時は暴対法なんてまだの時代だったので、チンピラが「なんやと~、表に出えや~」なんて言う事もありました。表に出て数秒で「話し合い」は終わりましたが。

しかし、大勢の気の弱い他の店員が予約を受けたので、3本しか入荷しないのに、予約は20件以上!この事態を収拾する為に、引き受けた店員には自腹を切って、他店にレンタルに行かせました。でも、こういう時に限って、予約した人より一見さんが先に来店して、「それ貸してや!」と。レンタル棚の箱にはレンタル中の札をつけてるのに、見えるところにビデオを置いていた馬鹿店員がいました。急いでダビングして、それを無料でその筋の予約客に差し出す奴もいたり。(笑)「自分で自分のケツは拭け!」と言えば、皆いろんな知恵を出すものです。

レンタルビデオ店の登場に活気づいたポルノ映画界。東映Vシネマのように、劇場用作品ではなく、ビデオ用に製作された作品がアダルトビデオと呼ばれ、毎月把握出来ないほどの数が続々とリリースされました。ちょっとタイトルを出すのがはばかれますが、「八神康子のいかせてあげる」というビデオが大ヒットしました。このビデオは30分ほどのものでしたが、この当時、ほとんどのアダルトが30分でした。この作品を出した会社が宇宙企画と言う会社で、20歳前後のアイドル並みの女の子を使った作品を作成。「まさかこんな可愛い子がこんな事を・・・」と思うような点がヒットに繋がったようです。この後アダルトでは、小林ひとみのブームがやって来るのです・・・。店員は大抵、無料でアダルトでも何でも見る事が出来るということで、募集すればいつでも集まりました。そんな時代だったのです。

しかしこの後、レンタルビデオ店には新たなドル箱が生まれます。これはアダルトすら凌駕するかという勢いがありました。そう、ホラー映画、ホラービデオです。「死霊のはらわた」と言う作品が火付け役になりました。血が飛び散るスプラッタームービーと言われる新しいジャンル名で呼ばれるようになりました。しかもこのブームは劇場よりもビデオ業界で爆発したのです。

いわゆる未公開ホラー映画と言われる、劇場で公開してもヒットしないだろうと思われ、お蔵入りしたホラー映画が続々とビデオでリリースされたのです。元々低予算で作られており、ストーリーにも見るべきものがないのですが、残酷描写や特撮だけは一見の価値がある映画が、マニアから一般にまで受け入れられたのです。また日本のスプラッターホラー映画もリリースされ、特に残酷シーンだけを売りにする「ギニーピックシリーズ」は、後にあの宮崎事件により社会的にも注目されました。

「ゾンビ」や「サスペリア」などは、まだA級と言ってもいいほどで、B級ホラーが天下を取りました。そこで僕は字幕の無い海外のホラー映画を、今度は仕入れました。何とかしてアダルトを駆逐したいと思ったのです。ホラー映画は人殺しのシーンがありますが、お化け屋敷みたいなものと思っていました。「デッドゾーン」とか「クリープショー」「悪魔のはらわた」「悪魔の墓場」という、なぜ日本盤が発売されないの?というものから、「ビデオドローム」「赤い影」「地獄の門」「血の魔術師」「血の祝祭日」「ビヨンド」「墓地裏の家」・・・

そして暇な時間帯に来るマニアには、意味が分からない部分の通訳?みたいなことをしていました。字幕なんかほとんどホラー映画には必要ないですから。(笑)それでもこのシーンは何と言っているのですか?という質問をしてくる当たりはマニアでした。(笑)

これらの作品は大当たり!僕が店長をする店は大繁盛しました。しかし問題が起きました。これらのホラーの売り物は残酷シーンの特撮ですが、大抵若い男女のカップルが追いかけまわされる。そこでボカシの入るようなシーンもある。作品の中でカップルが大抵Hをするからです。(笑)そこで税関で引っかかったのです。これは駄目ですよ・・・と。中には驚くような作品がアウトになりました。イーストウッドの「ダーティハリー」やナスターシャ・キンスキーの「キャット・ピープル」など。ロングショットだし影かヘアか分からない、ビデオの悪い画質では何が見えるんだ?というようなモノでしたが、アウト!でした。「時計じかけのオレンジ」も「シャイニング」など、スタンリー・キューブリックもアウト!今DVDでは、ボカシも何も入っていないのですから、時代は変わりました。

僕がビデオ屋を辞めようと思った「きっかけ」が、この後業界に起こりました。競争の激しいレンタルビデオ店の生き残り合戦が始まったのです。

つづく・・・

 

スポーツの日

2020-10-13 | 日記
今年は季節の移り変わりを、気が付けば感じている・・というのは、出歩く回数が減ったからです。
 
今週はちょっと暖かめの気候ですが、やっと「秋空」を感じました。子供の頃の運動会の日の空を思い出しました。
 
 
「体育の日」が「スポーツの日」に名称変更となったのは仕方が無いにしても、10月の第二月曜日というのは・・・。10月10日は東京五輪の開会式の日という歴史と、ほとんど天気が崩れない「特異日」という側面も持つ特別な日です。
 
スポーツの日は10月10日に戻して欲しい・・・こういうことを言うのは、年寄りだけかな?若い人は3連休になる方が良いのでしょうね。
 
因みに今では10日は、目の愛護デー、totoの日、空を見る日、トートバッグの日、転倒防止の日などの日になってしまいました。何か寂しくありませんか?
 
ところで、スポーツの日を今年は7月に移動させていたけれど、来年も7月23日(金)の五輪開会式の日をスポーツの日にするそうで、秋のこの時期に2年連続で祝日がないのも、違和感があります。

授業再開した大学の風景 ~洗えるマスクの心配

2020-10-13 | 今を考える

僕の母校が授業再開から、もうすぐ1か月になろうとしています。

この写真は実際の大学を撮影したものですが、3人掛けの机の真ん中は座れないようにして、教室全体から3分の1を空席にしていますが、一見すると満員の「密状態」かなという印象を受けざるを得ません。

会社員の方なら毎日の電車通勤、昼食などの外食がありますから、もう人がある程度いる場所は慣れないと仕方が無いでしょうし、逆に、GO TO キャンペーンを楽しんでいる人たちは、もっと人がいる状態に慣れていると思います。

英国が今コロナで、また混乱していますし、コロナはまだまだ終息していません。

恐いのは日本の中での気の緩みです。

その最たるものは、マスク、それも使い捨てではない洗って使うマスク。何度洗って使えるかの表示がないものが多い。2日に1回とか毎日洗わない人もいる。洗えるマスクは不織布マスクとそん色はないと言われますが、何度も洗って使いまわしたものの性能が落ちないなんてあり得ない。

僕は、洗えるマスクを使っている人の横には行きません。何度も洗って使っているので、既にマスクとしての効果が消えているかも知れないと思うからです。何十回も洗ったマスクの着用は、周囲の人に対して無責任ではないか?

日本は海外の様に感染者が爆発していません。このまま落ち着いて欲しい。南半球でまもなく春を迎えるオーストラリアでは、冬でもそれほどコロナは爆発しませんでした。日本もそうであり、マスクを付ける習慣が根付いたことで、これからインフルエンザの感染者数も死者数も、例年に比べて激減してほしいと心から願っています。


レンタルビデオ物語 ~黎明期

2020-10-12 | 昭和・思い出は色褪せない

ほんの数年前まで、レンタルDVD店をほぼ全国統一を果たした「TUTAYA」。今ではネット配信のせいで、どんどん閉店になっています。

今ではTUTAYAの名前を知らない人はいないでしょう。1982年大阪府枚方市の枚方駅前百貨店5Fに、喫茶店兼レンタルレコード店の「LOFT」を開店したのが始まりでした。1983年3月に枚方市岡東町に1号店である「蔦屋書店 枚方駅前店」を開業。その後加盟店舗への商品供給のため、日本出版販売と業務提携。中古商品を取り扱うユー・ファクトリー株式会社を設立。マーケティング部門として株式会社アダムスを設立。CD販売事業「TSUTAYA RECORDS」のフランチャイズ展開を開始・・・と、続々とその勢力を拡大。その後は新星堂の営業から、「ブックオフ」、「スターバックス コーヒー」の店舗運営まで事業を拡大しました。

こんな巨大な企業も最初は、「蔦屋」という1店舗で、僕の住んでいた大阪の北摂では江坂に1店舗あるお店に過ぎませんでした。レンタルレコード店が最初に登場したのは、1978年で、アメリカのフィラデルフィアに第1号店が出店されたと言われています。

日本では1980年に、東京都三鷹市に日本初の貸しレコード店「黎紅堂(れいこうどう)」の1号店がオープンしました。作ったのは立教大学の学生。当時のLPレコードは1枚2500円、レンタル料は1泊2日で250円に設定されていました。その黎紅堂が関西に1番に上陸したのが関西大学前店。そして石橋の大阪大学キャンパス前にも出来ました。当時の会員書はパウチもしていない紙の会員証でした。黎紅堂は後に倒産しますが、このレンタルレコード店が、現在のレンタルDVDへと続く長い道のりのスタートだったのです。

レンタルレコード業は、レコードを借りた本人が自宅でカセットテープに録音することを暗黙の前提にしており、当初、著作権侵害の可能性があり、レンタル業その物が違法であると問題視されていました。しかし利用者の増大に伴いレコード業界と和解、レコード業界にレンタルレコード店が一定の料金を支払うことにより決着。その後、映画ビデオにおいてもレンタルが始まりました。販売ビデオは当時1本16,000円~20,000円なんていうとんでもない値段がまかり通っていました。海外から字幕の無いビデオを個人で輸入しても1万円は掛かったのです。とにかくどれほど高額なものだったか、読者の方々には分かって欲しい。唯一の例外が、CICが発売した“ブロックバスターシリーズ”で、低価格を売り物にして、「フラッシュダンス」「レイダース 失われたアーク」「フットルース」「ストリート・オブ・ファイアー」と言った作品を、何と10,500円という低価格で発売しました。 (どこが低価格なのかと、今では思いますが)

レンタル・ビデオこそが、ビデオテープレコーダの売上を伸ばしました。テレビを録画する為にビデオデッキは購入されたのではありません。

レンタルビデオ店には、様々なジャンルのビデオが並べられていました。特に、最新の人気映画以外に大きな場所を占めているジャンルに、成人向けビデオ(アダルトビデオ)がありました。このアダルトビデオはレンタルの回転が速くて利益率も高いため、レンタルビデオ店の経営には大変重要であり、アダルトビデオの利益で、つまらない洋画を仕入れることが出来たのです。そしてこのアダルトビデオを見るために、ビデオテープレコーダを購入する人が急激に増加しました。ビデオテープレコーダを売るのに、町の電気屋さんは、レンタル店に対抗して、無修正の裏ビデオを持って走り回っていたのです。ブルーフィルムが8ミリ映写機の販売を伸ばした歴史が繰り返されました。

これは嘘でも何でもなく、ビクターや松下の営業マンたちが、ソニーのベータを潰すために、裏ビデオを電気店に持って行き、ダビングさせたものをビデオデッキ購入者にサービスとして渡した!そのビデオ見たさにVHSビデオデッキは売れました。ソニーが良識ある態度でポルノに手を出さなかったので、ポルノソフトはVHSが独占し、VHSとベータの戦争はVHSの勝利に終わりました。

ビデオのレンタル期間は、一般に「2泊3日」「7泊8日」などと表現されます。レンタル料金は、レンタル黎明期は結構な値段でした。ソフトの定価の1割の値段が基本で、2泊3日で2万円前後のビデオならレンタル料2,000円、15,000円前後のビデオなら1,500円のレンタル料、1万円以下は1,000円のレンタル料でした。その後暫くして、レンタル店が沢山出来、本屋さんなんかがレンタル店に商売変えしたりして、競争になり、1泊2日で500円程度が普通で、期間を超過して返却すると延滞料金を徴収されました。今のように1週間レンタルなんてなく、2泊3日で500円なら親切なお店でした。

当時はビデオデッキも高額でした。家で買ったデッキがモノラル音声仕様で10万円を超えていました。ところがレンタルビデオ店が出来た事で、ダビングすれば名作が自分のものになる!音楽作品ならステレオでダビングしたいし、映画でもHiFiステレオ作品が発売に。そこで友人と夜勤の工場でのアルバイトで死ぬほどの目に遭いながらも、10日間働き、そのアルバイト代で23万円もするHiFiステレオデッキを買ったのです。(この時代、アルバイトの相場は、ウエイターで時給500円でした・・・10日で23万円を稼ぐバイトが、どれだけ苛酷な労働だったか・・・

デッキを買った僕は、大阪から姫路の友人の下宿まで、ビデオデッキとレンタルした映画のビデオテープを持って走り(ダビングするには2台のデッキが必要で、彼と僕は23万の同じ高額デッキを持っていたので、最高の環境でダビング出来ました。)耐久レースなみの過酷なダビング作業に取り掛かりました。2時間毎に目覚ましをセットして、テープの入替え作業をするのです。(笑)ビデオテープ代もハイグレード120分が1本2500円もした時代ですが、電気屋でバイトをした時に、メーカーさんが売り込みの為に見本に持って来るビデオテープを貰って、しっかり無料で貯めていました。

でもレンタルビデオって、貸出中だと何回も足を運ばないとなりませんし、返却は邪魔臭い。レンタル代も高い。そこで考えました。何とかいつでも1番にレンタル出来て、お金も使わないで、姫路まで行かなくていい手段はないかと・・・。

そこで、このレンタル店・黎明期に、レンタルビデオ店でアルバイトをして、店長になったのが僕でした。(笑)入荷したビデオを1番にお店のデッキでダビング!しかもアルバイト代がもらえる。

当時邪魔臭かったのは、VHSとベータの両方を貸出していたことです。ケースの大きさが違うので、棚に収納するのが邪魔臭かった。他にも思いつくままに書くと、当時は入会金が1,000円くらいして、これがお店のいい儲けになりました。まだまだ1店だけでは満足出来る品揃えをしている店が少なく、みんなが複数の店の会員になる時代でした。もう時効ですが、レンタルビデオ店では大抵どこでもダビングサービスをしていて、お客さんの希望する作品を、店で販売している生テープ(値段設定高め)を買ってもらえるなら、30分1,000円~1,500円くらいでダビングしていました。違法ですが、店のオーナーの決めたこと。120分の映画なら6,000円くらいで自分のものに出来たんですね。マニアの方はよく利用されていました。FAXのサービスなんかもしていました。

つづく・・・