朝顔や 白きうなじに 小袖着て
馬糞 Bafun
《日本的美意識の所在について》
朝顔の後姿は、きりっと帯を締めた紫小袖の女性の
姿を思わせる。
時代劇の辰巳芸者にそんな姿を見たようにも思うが、
現代には所在不明の女性美である。
朝顔の 涼しき肌に 日は昇り
馬糞 Bafun
朝顔は朝陽に輝く花である。
夏の名残に咲いた朝顔が、初秋の風に吹かれて破れな
がらも、黄金の朝陽を収めて今朝も咲いてくれた。
毎朝がドラマチックである。
何の言い訳もない。
ひたすら、咲こうとしている初秋の朝顔がいじらしい。
朝顔や 白地に青く 雲晴れて
馬糞 Bafun
ああ、この穢れなき大和の空の青さよ・・・と思う
一方で、都会で見かける日本人に気高さが感じられない。
時に醜悪でさえある。
昔からそうだったのか・・・。
気高さは、空の青さと、島をおく海の繊細な風景、そ
して、四季折々の澄んだ美しさに育まれた美意識であろ
う。
そうした、日本伝来の美しさが役人どもの手によって
埋め立てられ、コンクリートやアスファルトで固められ、
電線を張り巡らせられて破壊されてきた。
環境破壊は、日本人らしさを破壊してきたのではない
かと思えるのである。
都市や環境の大改造がこれからの公共投資の課題であ
る。
そのとき、土地の強制収用を円滑に行わなければなら
ない。
地権者の欲望に振り回されてはならない。
課税標準地価に買収計画以前の適正価格を勘案して、
強制買収に踏み切るべきである。
買収資金には国有地を処分して当てればよい。
所有権といえども、都市の機能と日本の美のために用
いる責任がある。
まして国有地においてをや。
教育の基本には、家族愛、郷土愛、祖国愛が柱として
なければならない。
これを柱として、道徳があり、法があり、経済がある。
即ち、憲法の精神でもある。
Bafun
やまとの国を望む 有明の海