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+ 吉祥花・・・ いじめは凶悪犯罪である。 自殺もまた犯罪である。 自殺報道をやめさせよ。

2006年11月17日 20時07分00秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 知らぬ間の   吉祥草や   福よあれ

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 見捨てられて枯れそうだった苗を買い取って育てていた。

 蘭のようでもあるが花も咲かず、観葉植物かと思っていたら、いつ

の間にか紫の茎が伸びて花が咲いた。

 わが藪宿に小さなクリスマスツリーが立ったかのようで目出度いこ

とだった。

 

 紅葉を見に出かけた耶馬溪の露天で、我が家の草が縁起のよい花

「吉祥草」として売られていた。

 露店でつけた名前だろうと思っていたが、本名のようである。

 ユリ科の藪ランの一種であるらしい。

 

 よく見れば小さな小さな百合の花が集まって咲いているではないか。

 香りこそしないが、美しい。どの花も、花が開けば縁起が良いことで

ある。

 笑う門には福来るというが、花咲く門にも福が来るのである。

 

 

 

                     

   吉祥花  http://www.hana300.com/kichij.html

 

 

 

 

【自殺犯罪を抑止せよ】

 相変わらずNHKを筆頭に、自殺放送を止めようとしない。

 マスコミによる自殺教唆である。

 現実に自殺の連鎖を引き起こしている。

 放送による自殺教唆に問われるべきである。

 検察には是非、動いていただきたい。

 

 「いじめによる自殺」などと安易に言うなかれ。

 自殺は別問題である。

 いじめが要因となってはいても、自殺を必然ならしめる因果関係はほ

とんどの場合ありえない。

 もし、因果関係があるというなら、いじめは殺人ないし、自殺教唆に

なる。

 

 
 安易に、いじめによる自殺などというべきではない。

 陰湿ないじめという脅迫、恐喝、暴行傷害、という犯罪が、自殺の遠

因になっていることは間違いない。

 それほどの恐怖感と不安を与える犯罪なのだ。

 

 いじめは、犯罪である。

 学校がそうした犯罪の温床となり、無法地帯となり、教師は無責任

で防犯意欲さえなく、犯罪隠しのために知らぬぞんぜぬを決め込んで

いる。

 だから自殺では、自己殺人にすぎない。

 自殺もまた、間違っているのだ。

 

 「いじめによる自殺」という報道は、自殺を正当化するマスコミの悪

魔的な心が働いているのである。


 

 自殺は実質的に犯罪である。

 現に刑法理論上も自殺は犯罪である。

 自殺教唆の実行正犯こそは、自分を殺害した本人なのである。

 

 自殺の実質的違法性は、殺人と同様、人の生命を故意に短縮せし

めた罪である。



 人には寿命があり、寿命とはこの世で果たすべき修行時間と言って

よい。

 世俗的に言うならば、努力するのが人生であって、その努力責任を

中途放棄するのであるから罪深い。

 さらには、親への恩を仇で返す最悪の親不孝である。家族は、自殺

者を出した家族として社会的信用を著しく害される。

 

 人は一人では生まれ育たず、人生もない。

 人は人間関係として存在している。

 それを知ろうが知るまいが、人間としての矛盾行動が自殺であり、

それ故に犯罪の実質を持つのである。

 

 他人を殺すのがなぜ悪いかと言うと、他人のこの世での努力時間を

中断せしめるからである。

 その人の人生責任はその人自身にある。

 どんなに疎まれる人間であっても、死刑のルール以外に他人が決

定する権利はない。

 誰も悲しまなかったとしても、死刑ルールによらない殺人は悪なので

ある。

 

 「自分がされて嫌なことを他人にはするな」という説明は、エゴイスト

には通用しない。

 自殺したい人間は他人を殺すことも正当化されかねないではないか。

 

 霊的世界を理解する者にとっては、自殺者の所属が地獄界にあり、

自縛霊あるいは浮遊霊となって人に祟り、自殺せしめたりもする悪霊

であることを知っている。

 家族も祟られる。

 犠牲者と言う前に、実質は陰湿な犯罪者なのである。

 

 自殺が悪であることを理解しない親、教師、マスコミによって、自殺

が連鎖してゆく。

 厚顔無恥とは彼らのことである。

 校長までが自殺をする。

 自殺はいけないことだとは指導できないではないか。

 そのような愚かな者たちが、数多く教職にあることを思うと、寒気が

する。

 

 

 

 

 

 

 自殺の連鎖を断ち切らなければならない。 

  そのためには、まず、NHKをはじめとするマスコミに自殺教唆とい

うべき「報道」を中止させることである。

 その後、番組責任者、関係者を含めて、報道責任を追及することだ。

 

  次に、刑法改正も検討されるべきである。

 自殺未遂罪および、自殺罪を規定し、自殺罪の刑罰は不名誉刑とし

て、懲役の宣告刑と罰金刑とする。

 自殺未遂も同様であるが、教育刑を併科する。

 自殺が殺人の一種として犯罪であることを刑法自身が宣言すること

は犯罪抑止効果があり、違法性と加罰性を基礎付けるであろう。

 

 因みに、応報刑であってもその本質に教育刑の性質を持つことを忘

れてはならない。

 また、責任能力にしても、犯罪抑止力は本人に対する効果がなくて

も一般的な効果が重要である。

 

 責任能力とは、いわば権利能力の裏返しと考えるべきで、人であれ

ば、狂気であろうともその責任は本人にこそあるからである。

 自制能力がないことの責任も、その者の人生責任と言うべきである。

 そのように理解すべきである。

 

  教師たちよ、いじめが犯罪であることを子供たちに教えよ。

 学校を無法地帯とすることは許されない。

 いじめ犯罪の首謀者となる子供がいる。

 これを摘発して追放せよ。

 子供といえども、犯罪者としての責任はある。

 それを隠すなどということは、共同正犯の責任を問われるべきであ

ろう。

 

 また、自殺が犯罪であることも子供と親に教えよ。

 それができないなら、教師を辞めよ。

 教師を公務員としてはならないとつくづく思うものである。

 

 

                               Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

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