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+ 万葉の秋、耶馬溪・・・ 生涯スポーツ観光整備のすすめ 

2006年11月23日 14時06分33秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

                                
 
                                     ( 耶馬溪にて)

 

 

  耶馬溪に  額田の王kimi も  遊びたく


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

  秋耶馬溪は荒々しい奇岩片岩の岩山に根付いた黄葉樹林帯

である。

 杉植林に適さなかったのだろう、九州本来の広葉樹林の山が残

った。

 本来の山の緑も、秋の紅葉もすばらしい。

 燃え立つ秋である。深い山なのに、人々が列を成し、都の賑わい

が現れる。

 風流を愛する日本人の美意識は健在というべきか。


 

 秋といえば、額田王の歌が思い浮かぶ。

 天智天皇と藤原鎌足の前で、春山万花と秋山千葉の彩りを競う

歌遊びで、額田王が判じたという歌である。



 


 冬ごもり 春さり来れば

 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ

 咲かざりし 花も咲けれど

 山を茂み 入りても取らず  

 草深み 取りても見ず

 秋山の 木の葉を見ては

 黄葉(もみづ)をば 取りてぞ偲(しの)ふ  

 青きをば 置きてそ嘆く 

 そこし恨めし 秋山われは (万1-16)

 

 

 

 

 

 

 

   なるほど、秋ともなると、秋の深さが身にしみて「そこし恨めし秋

山われは」という気持ちになる。

 きっと額田王の歌は秋に歌われたに違いない。

 春は西行、秋は王女であることよ・・・。

 

 

 耶馬溪には長年憧れつつも縁がなかった。

 その朝にふと思い立って初めて出かけた。

 川の上流になるほど、秋深い岩山である。

 丹沢にもこういう風景があった。

 



 陽がかげってくると、さすがに冷えてくる。

 店じまいを始めたみやげもの屋の並びには、銭湯のようにして飛

び込み300円の温泉が湧いているからありがたい。

 ちょうどいい湯加減のかけ流しである。

 あったまってから中津の駅まで下ることができた。

 今度は時間をかけて玖珠まで歩きたいものだと思う。

 

 

 

   

 

 

 

【宇佐・耶馬溪駅伝の提案】  

 「恩讐の彼方に」洞門・耶馬溪駅伝を旧正月にやってはどうだろ

うか。

 宇佐神宮から中津、耶馬溪を経て宇佐に戻るというコースがふさ

わしいかもしれない。

 箱根駅伝に負けない九州の伝統を作りたいものだ。

 

 

 あるいは、紅葉の季節に歩行者天国にして、「秋山開き・百万人の

ウォーキング」というのはどうか。

 生涯スポーツの普及と九州の魅力を誇るためである。

 

 さらには、「生涯スポーツ観光戦略」として、駅から近いところに

温水プールや体育館を設け、銭湯を併設するとよい。


 各駅のスポーツ観光を楽しめるような九州にしたいものだ。

 

 生涯スポーツ振興には、こうした旅の楽しみが必要だと思うの

である。

 

 九州文明を拓くには、道徳・健康・風流が欠かせない。

 教育には文武両道である。

 武には、スポーツマンシップの教育が肝要である。


 

 九州文明を構想する「九州やまとの国」という発想を定着したい

ものである。

                         

                                  Bafun 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 青の洞門、手彫りの道の秋・・・  試練に自分探しの道がある  便利さの先に試練の道を求めよ

2006年11月23日 13時00分14秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 洞門に  手彫りし道の  奥の秋

 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 遅れていた紅葉だが、小雪の今が見ごろであろうか。

 思い立って、名高い青の洞門から深耶馬溪まで出かけたのは二週

間ほども前だったから、まだまだであった。

 耶馬溪と言うのは、巨大な岩でできた渓谷である。

 その入り口の青という川沿いの岩壁に掘られたのが、菊池寛の小説

「恩讐の彼方に」で有名な青の洞門である。

 

 よほど切り立った岩壁の中腹にあるのかと想像していたが、観光地

となった今は、車道のわき道に過ぎなかった。

 車道など作るべきではなかったろうにと思うが、便利な世の中には、

 命がけの人生の感動も、展示品か、アルコール漬けのサンプルのよ

うになってしまったらしい。

 

 古い古い自分探しの旅の跡である。

 

 

 

 

 

 

 人が求める生き甲斐、やりがい、情熱、挑戦というものは、試練であ

る。

 人は試練を求めているといってよい。

 その試練の成果は、人々が共有できる価値である。

 便利さであり、安全であり、美しさであったりもする。



 しかし、その価値の本質は、さらに高度の試練に至る道を提供したと

ころにある。

 実現された便利さや安全や快適さの中には、もはや自分の追求す

べき人生の場はないのである。

 安全、便利、快適、そうした現代社会の豊かさの中には、求めるべ

き自分の人生目的はないと言うことである。

 そこに満足してはならないのだ。

 

 求めるべきは、自分がチャレンジしようと思う不満足の中にこそある。

 不便さや、危険や、不快にこそ、チャレンジすべき人生の働き場所が

あるということである。

 

 

 

 

 

 しからば、目を転じてみよ。

 更なる便利、さらなる安全、さらなる快適・・・それもあるであろう。

 発展は無限であるのだから。

 今までにない便利、今までにない安全、今までにない快適・・・。



 新規開拓となれば、その実績は大きい。

 しかし、これを見つけるためには、人が行かないところに行き、困難

なところに智慧をめぐらせ、人気がないところに着眼し、人がバカにし

ている分野に足を踏み入れなければ見つからないであろう。

 

 自分探しの旅とは、試練探しの旅なのである。

 

 だから、豊かな時代の中にあっても、何のための便利、何のための

安全、何のための快適が求められるのかを、目的のところから洗いな

おして考えることだ。

 

 

 

     青の洞門に穿たれた明かり窓からの風景

 

 

 

 現代は、大衆の時代から個性の時代に脱皮しようとして苦しんでい

る時代と言ってよい。

 個性的であるという喜びは、多様な社会をもたらす。

 多様であることが無秩序であってはならないから、相互に理解し合

い、調和してさらなる発展を追求する社会の価値観をもたなければな

らない。

 だからこそ、いっそう、倫理(人の輪の理)、道徳(徳を養う生き方)

が大切になるのだ。

 

 他方、職業も文化も、個人がプロフェッショナルであることを望み、本

物を生み出そうとする。

 主役は企業ではなく、個人がプロとしての知識、技能、道具を求める

ようになるのだ。

 プロ仕様のものが、一般市場に求められるようになるであろう。

 

 

 

 

 

 

 個性の時代に生きるためには、凡庸であってはならない。

 一人一人がプロを目指さなければならない。

 そのために学び、そのために試練を重ねて鍛錬しなければならない。

 だから若者よ、便利な世の中に埋没してはならない。

 

 チャレンジせよ、チャレンジせよ、チャレンジせよ!。

 試練を求めて、自分探しの旅を始めている。

 試練とは、自分探しの楽しみである。

 そのことを肝に銘じて、挑戦することである。

 われもまた。

 

                          Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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