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+ 夜間飛行・・・ 板付環濠遺跡が問う、考古学の驕り

2007年11月09日 16時58分35秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  秋超ゆる  夜間飛行の  灯は上がり  
 
      
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 板付空港の夜景は空から見ても、街から見てもきれいである。

 板付には、紀元前500年ころから紀元3世紀頃までのものとされる

環濠遺跡がある。

 米作りの歴史が縄文時代にまで遡ることで話題となった。

 すると、縄文と弥生の時代区分が怪しくなった。

 米作りの紀元は、文明の起源とされる時代よりもさらに古い時代に

遡ることであろう。

 

 九州文明の起源はムー文明に遡るという仮説からの推定である。

 板付遺跡の時代にはすでに鉄器の農機具もあったのではないか。

 たまたま、祭司に用いた木製の鍬などが残っていただけの事では

ないのか。

 

 板付遺跡

⇒  http://inoues.net/ruins/itazuke.html

http://www.innovade.co.jp/map/?item=spot-002

 

 

 

 考古学の推論は、遺跡や遺物からの発想に縛られてはなるまい。

 物理科学や数学の世界のように、仮説合理性の実証科学として探

究すべきものではないのか。

 

 縄文人の服装のみすぼらしさを見るにつけても、そんな寒そうで美

観に乏しい服装でいたはずがないと思う。

 

 

 

                          弥生の貴婦人

 


 遺跡時代の空にも、渡りの鳥は飛んでいただろうが、現代には夜空

にも渡りの航空機が国際化時代の空へと渡ってゆく。

 それもまた、遺跡時代の人々にとって、想定外のことではなかった

だろう。

 空を飛び渡ることは、憧れでもあったと思うのだ。

 もしかして、UFOが見えやすい時代であったかもしれない。

 

 たかだか数千年前の人々を、原始人のごとくには思わないことだ。

 それは、心の退化した現代人のおごりというべきであるから。

 

 曇った心の窓からは、過去も未来も見通すことはできない。

 透明な心を取り戻せるか、そのことが国家百年の計というべき課

題である。

 

 

            立憲女王国・神聖九州やまとの国

             梅士 Baishi

                          

 

 

  

 

2005年8月号 改訂版

 http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/fa06d40b7065aa8add49d3a1331ce3f8

 

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