秋超ゆる 夜間飛行の 灯は上がり
馬糞 Bafun
板付空港の夜景は空から見ても、街から見てもきれいである。
板付には、紀元前500年ころから紀元3世紀頃までのものとされる
環濠遺跡がある。
米作りの歴史が縄文時代にまで遡ることで話題となった。
すると、縄文と弥生の時代区分が怪しくなった。
米作りの紀元は、文明の起源とされる時代よりもさらに古い時代に
遡ることであろう。
九州文明の起源はムー文明に遡るという仮説からの推定である。
板付遺跡の時代にはすでに鉄器の農機具もあったのではないか。
たまたま、祭司に用いた木製の鍬などが残っていただけの事では
ないのか。
板付遺跡
⇒ http://inoues.net/ruins/itazuke.html
http://www.innovade.co.jp/map/?item=spot-002
考古学の推論は、遺跡や遺物からの発想に縛られてはなるまい。
物理科学や数学の世界のように、仮説合理性の実証科学として探
究すべきものではないのか。
縄文人の服装のみすぼらしさを見るにつけても、そんな寒そうで美
観に乏しい服装でいたはずがないと思う。
弥生の貴婦人
遺跡時代の空にも、渡りの鳥は飛んでいただろうが、現代には夜空
にも渡りの航空機が国際化時代の空へと渡ってゆく。
それもまた、遺跡時代の人々にとって、想定外のことではなかった
だろう。
空を飛び渡ることは、憧れでもあったと思うのだ。
もしかして、UFOが見えやすい時代であったかもしれない。
たかだか数千年前の人々を、原始人のごとくには思わないことだ。
それは、心の退化した現代人のおごりというべきであるから。
曇った心の窓からは、過去も未来も見通すことはできない。
透明な心を取り戻せるか、そのことが国家百年の計というべき課
題である。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi
2005年8月号 改訂版
http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/fa06d40b7065aa8add49d3a1331ce3f8
http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/f0af2c9f232937db8f1497035e356bdd