提灯も ぶら下がりつつ 盆の入り
馬糞 Bafun
狭い路地の軒下に、それぞれの家紋の入った提灯が下がるよう
になった。
うちに下げる提灯は無い。
仏壇も無ければ、行きつけの墓も無い。
およそ、家の格式とは縁が無い。
今日は13日、盆の入りである。
関門海峡では花火大会というが、数日間続いた雷で堪能した。
海峡の船の行き来をみていると、少しも飽きることが無い。
その海峡で花火大会というのも、よい景色だろうなあとは思う。
泊まりがけで見るのはよいが、日帰りの混雑を思うと、家にいたほ
うがよい。
盆の入りは静かである。
【 オリンピックついつい観戦記 】
期待のかかったバトミントン女子ダブルス準決勝は、韓国チーム
との対戦だった。
見ていて不愉快になった。
あれでは、対戦している日本チームもしらけるだろう。
ルール違反ではないというが、審判にいちいち文句をつけ、なんと
も嫌な顔をする。
汚いなあと思う。
違反ではないのだからというが、違反にすればよかった。
スポーツは、清清しい戦いをしたいものである。
あのようなしつこく厚かましい試合をするのは、それが、韓国人気
質なのだろう。
嫌われるはずである。
人相も悪かった。
今後、バトミントンのルールとして、1試合中2回づつくらいのタイ
ムを認めるべきだ。
本当に不愉快な選手だった。
日本人選手はおっとりとしている。
さわやかなのはとてもいいが、もっと強くなってほしい。
それにしても、韓国人選手やチャイナの選手のプレイは品が無く
て、見ていて楽しくない。
国民が不幸なのだろう。
競争社会にあっても、気品は大切である。
気品には、圧倒的な強さが必要である。
厚かましさを恥じ入らせる強さが必要なのだ。
欧米のスポーツは貴族の特権であった。
それが「アマチュアリズム」と称して正当を装った。
しかし、単なる身分制とばかりもいえない。
それが、スポーツ文化としての品性というものではないだろうか。
文化とは、精神世界の個性的な表現であり、心の豊かさを創造
することだからである。
今回のオリンピック水泳で、初めて黒人スイマーを目にした。
アメリカの成熟を感じさせる光景だった。
反面、チャイナ、コリアにはまだまだ、品格がたりない。
文化的に成熟しているとはいえないということだ。
やはり、アジアのリーダーは日本でなければならない。
梅士 Baishi