送り火を 水面に揺らす 渡し舟
待つ人もあり 浄土の岸に
馬糞 Bafun
馬草 Magusa
八月十五日は原爆後の敗戦記念日、長崎精霊流し・・・
長崎の精霊流しは、爆竹三昧のにぎやかな祭りである。
しかし、精霊流しの爆竹を一度も聞くことがなかった。
西方浄土に勇壮に送り出すのも悪くは無いが、
涙川に精霊の笹舟を浮かべる精霊流しのほうが風情がある。
久しぶりに川蟹を見かけて、「蟹の精霊流し」を空想したことであった。
長崎は、浦上川や西山、鳴滝などから流れ込む川に沿って狭い平
地が削りだされている以外には、溺れ谷のような深い地形になっている。
鶴の港といわれる天然の良港、長崎湾は、かつて上海やオランダ、
ポルトガルにもつながっていたが、その背後には急峻な峠を越えなけ
れば、日本「本土」には渡れない、ボトルネックのような地形なのである。
長崎と本土を結ぶ峠道に長崎街道が細々と通じていたが、その峠を
越えてやっと長崎の町に入る入り口のところに、蛍茶屋という一服の町
がある。
昔は「ああ、やっと着いた」という安堵の旅人と、「ここでお別れします」
という旅立ちの人が入り混じった茶屋があったのだろう。
長崎街道とチンチン電車の終点であり、始点である。
長崎駅前の通り
長崎街道がどのように通じているのか、たどったことは無いが、いた
る所に蜘蛛の巣が張っているような細い道が通じているようである。
この蛍茶屋から長崎に別れを告げる最初の難関が「君が手も 混じ
るなるべし 花すすき」の句で知られる日見峠である。
長崎大水害のときは、山津波で道路が谷に崩れ落ち、集落が押し
流されるなど、多くの犠牲者が出た地域でもある。
このような住みにくい溺れ谷の僻地に人が住むのは、戦略的地形の
ためであろう。
バイキングのような土着の街があったのだろうか。
古代の歴史というべきものは無いに等しいであろう。
長崎という街は、多民族の町であり、外来文化の町であり、今は三
菱重工業という企業城下町である。
長崎も佐世保も、軍需産業を集積すると、その現代的意義がはっきり
とする。
軍用ロボット、小型航空機、ロケット、空母、レーザー・・・。
そうした製造業を集積するのである。
長崎は、やはり最先端のハイテク産業で豊かな街にならなければ好
きにはなれない町である。
左翼「市民」と暴力団が暗躍する「原爆と平和への祈り」などという貧
乏くさい呪いは、早くお払いしなければなるまい。
梅士 Baishi
送り火の 川辺の蟹の 走りけり
馬糞 Bafun