袖衣 残り香行きし 寒の梅
馬糞 Bafun
恋心というのは既に空想である。
しかし、恋心というのは本来空想かもしれない。
否、さらに心という実在が空想し、その空想に生きているのが人間
なのかもしれない。
では現実とは何か。
おそらく、空想と空想の関係が生み出す状況なのであろう。
恋心の空想は、梅の香りのようにかすかな風のようであったほうが
趣き深い。
美しいという感銘もまた、目には見えないものであるようだ。
さて、気温5℃、突風が吹く朝となった。
今を盛りと咲く寒梅は嵐にも咲きほこる。
そのようでありたいものだ。
時代が嵐であろうとも、上司が嵐のようであろうとも、凛として香り立
ちたいものである。
【 会議力を鍛えよ 】
断定的だと批判されることがよくある。
論は正しいが強烈で意見が出なくなるという苦情である。
大正デモクラシーのようには行かないらしい。
意見とは、「~なのではないでしょうか、~と思うのですがいかがで
しょうか」という問いかけ形式が受け止めやすいのかもしれない。
しかし、断定もまた強い形式ではあるが、覚悟のある意見である。
他面、問いかけの意見形式は、ある意味冷たい言い方である。
断定的意見を傲慢だという受け止め方はいわば、試合放棄であり、
負けた悔しさの捨て台詞である。
確信を伴う意見に対しても、「確かに~、しかし~」という評価と反論
で受け止めなければならない。
真剣な議論というのはある意味試合である。
力技があり、肩透かしもあるであろうが、それで勝敗がつく。
断定が通るとは限らないのである。
断定が負けるということは、その論理と実現可能性にいたるプロセ
スが判定負けしたということである。
結局、断定に至るのである。
断定だからとりあげないのでは、確信を排除する迷走会議であり、
休むに似たりということになろう。
いつでも取り下げますよという議論を好感するようでは、試練の時代
を克服することはできない。
反論せよ。
しかし、反論とは、別の提案である。
批判に終わっては無責任なのである。
そうすれば、断定的意見であろうと、それへの批判であろうと、建設
的な議論となるだろう。
アイデア会議はわきあいあいがよいだろう。
しかし、決定会議は格闘技的議論もあってもよいと思う。
民主主義の戦力は、いわば会議力である。
会社の組織が直接民主制をよしとするなら、会議力なくして行動力
もまたないということになる。
有言実行という訓練が必要である。
明治維新の志士たちを想起せよ。
丁々発止の激論の中から、近代日本の礎を築いてきたではないか。
ほんわか議論ではなりたたなっかたであろう。
天下国家の問題を自分に突きつけられている問題として立ち向かう
ことこそは仕事に立ち向かう気概でなければならない。
【日本は核武装すべきか】
そこで、日本は核武装すべきかという問題がある。
核兵器とは政治の道具である。
そう考えると、確かに、『坂本竜馬の霊言』で坂本竜馬霊が申される
ように、日本も独立国家として対等の国際政治をするために核武装し
て核廃絶を主導すればええ、という考えはなるほどと思う。
警察がピストル武装するのと同様である。
国家が軍隊を持つということと同様である。
とりあえず、ロシアの核兵器を輸入するという竜馬案に賛成したい。
核戦力は、ミサイル技術の優劣である。
核は輸入品でも、ミサイルで長ずればよい。
中長期的には、核兵器を無力化する新兵器を開発することだ。
国際政治で対等の実力をつけることは必然である。
核廃絶のための核武装という逆説である。
そのような議論が国会で封殺される状況は打破したいものである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi