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+ 創業の地に臥す・・・ カルマと悟り  大隈重信公いわく、文科省と日教組が癌である。

2011年10月17日 21時39分21秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 創業の  江戸に臥したり  里の秋

    梅士 Baishi 

 

  

 

 叔父の創業の地は飯田橋である。

 その叔父が奇しくも創業地の病院で末期癌の床にある。

 父を病院で死なせたことが悔やまれる。

 叔父は、自宅で最期を迎えられそうである。

 

 何れ去るべきこの世であるが、この世はいわば舞台で

あり、競技場である。

 舞台を去る人であるならば、その舞台で別れを惜しむ

のが舞台に残る役者の情であろう。

 

 久しぶりの東京であるが、お世話になった役者に花束

を届けに行こう。

 癌細胞撲滅の念を送ったが、奇跡を体験して長生き

し、元気に安らかに旅立たれんことを!

  

 

   

  

 それにしても、人の最期というのは安らかでありたい。

 霊道を開きかけた日蓮宗の従兄弟の霊感によると叔

は島原の乱の戦乱で切り殺されたのだという。

 そのような縁で島原に転生したというのだ。

 

 真相は不明だが、今世でもそのような戦さの続きをし

というのだろうか。 

 自分は島原の乱との縁はないと思う。

 この人生も、戦さはしていない。

 

 が、救世主を求める気持ちが子供の頃からあった。

 キリスト教との縁があり、幸福の科学に縁をいただい

たのはわが人生の栄光である。

 今世はそれだけで、最低限の目的は達した。

 

 残るは、せめて、日本変革の力となりたいという野望

である。

 それを、マスコミに代わるメディア事業に絡みたいと

いう思いがある。

 

 叔父にとって、最期の平安とはなんであろうか。

 島原の乱は、宗教革命でもなく、キリスト教の信仰の

証と言うものでもなかったと思う。

 理不尽な年貢取立てや労役による貧乏との戦いだった

のではないか。

 

 そのカルマは見事刈り取った人生だったと思う。

 しかし、それはこの世の執着でもある。

 目覚めるべきは、信仰なのではないか。

 キリスト教弾圧に対する抵抗運動という大義の御旗は

あったろうが、信仰の戦いではなかったはずだ。

 

 叔父から見れば、自分はノーテンキだねえという感

が、最初は叱責だったものの、次第に癒しに感じられた

ようである。

 そういう生き方もいいのかもしれないという感想であ

る。

 

 貧困を克服して出世するまでは、この世的には成功で

あるが、いわばあだ討ちのようなものである。

 宮本武蔵が連戦連勝して名を挙げたというところまで

である。

 

 しかし、それでは、カルマの刈り取りまでには達しな

い。

 悟りが必要なのだ。

 この世の成功を得てなお、執着しない境地が期待さ

ているのではないか。

 

 自分がもし、そうした悟りの触媒という役どころであ

れば、恩返しをしなければなるまい。

 

 

   

  

  日本国の癌~ 文部科学省と日教組 

 
 大隈重信の霊言が新刊された。

 その冒頭に、文科省と日教組が公教育を蝕む癌組織

あることが指摘されている。

 

 該当者よ、恐れ入るべし。 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

         梅士 Baishi 
       

         

  

    

 

 

 

 

 

 

  

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