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🐑➓  おいしい新米・・・ 終活の課題

2015年10月30日 10時10分41秒 | ◆ 日本国独立運動


 

  

 新米を  合掌して食い  おかわりし

   梅士 Baishi 

  

 

 

 

 体調不良で寝込むと決めてはいても、体内時計はどう

にも起きろと目を覚ます。

 節々の痛みが残っているから、発熱しているだろう。

 

 一年以上前に使ったはずの肝心の体温計が見からな

いから、折角の記録更新のチャンスも公されない。

 ともかく今日は病欠である。

 

 彼岸花以来、田園風景には出ていない。

 すっかり稲も刈り取られて、新米になっただろう。

 新米のご飯は格別においしい。

 

 普段、一杯の飯さえも食えない少食だが、新米となる

と、つい二杯目を平らげても物足りない。

 じつに、おいしい。

  

 

 

 

 

 

 

 老後の人生について考えなければならない時季差し

掛かった。

 終活というのだそうだ。

 死ぬことの意味と終わり方と作法が中心論点ある。

 

 老いて死ぬというのは、老衰、病気、事故が通常であ

ろう。

 年寄りが死ぬには、歳だからという大義名分がある。

 しかし、死に際しては心の持ちようが一番大事である。

 現実的には、葬儀や墓地などの冠婚葬祭も大きな問題

である。

 

 資産がある人は、その分配についても気遣いがあるだ

ろう。

 気がかりな子供の問題を抱えている人もいる。

 

 しかし、最大の問題は、老後の経済をどう賄うかとい

う生活不安のほうが大きいのではないか。

 十分に年金をもらえる公務員は別として、大した資産

のない多くの人の老後問題は経済問題であろと思う。

 

 老後は美しく、穏やかでありたいものだ。

 知的で文化的でありたいものだ。

 誇らしく死にたいものだ。

 

 そのためのチャンスを作る必要がある。

 これが終活の前提にある。

 お金のかかる老後ではなく、お金を稼ぐ老後でありた

い。

 

 精神的な終活は簡単な真理を受け入れるこある。

 すなわち、人はこの世で死んでも肉体を脱ぎ捨るだ

けで、自分という実相は死なないということる。

 自分という存在は永遠の生命であり、死なないという

ことである。

 

 すなわち、心停止しても、生前と同じ認識が継続する

のである。

 しかし、だからこそ、自分が死んだことを自覚しなけ

れば不成仏霊として迷惑な存在になる

 

 葬儀も墓地も、死を自覚させるためにある。

 自覚したら、自分の人生試合を振り返って反省し、

の転生に備えてあの世に還ればよい

 

 死の自覚がないということが、自分にも他人も祟る不

成仏霊の原因である。

 

 それができれば、葬儀も墓地もいらない。

 帰天式を行って、送り出せば十分である。

 

 残る課題は、健康に、生きがいと誇りを持って後ま

でよく生きるということだろう。

 

 そこで問題となるのが、経済問題である。

 穏やかに生きるためにも、死ぬまで続けられる収益事

業が必要な人がたくさんいる。

 

 これは、シルバー人材センターなどの福祉では果

たせない。

 生き甲斐を無視しているからである。

 

 こうした問題に取り組んでゆきたいものだ。

 終活支援ビジネスである。

 これもまた、世直しであると思う。

 

 人は誇らしく社会貢献して元気に帰天するべきである。

 

 

 日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国

  幸福実現党応援隊・中村梅士党  

          

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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