節分の 福口を開け 明日を待ち
梅士 Baishi
明日は2月3日、節分である。
ところで、今日は今年最初の庚申、福岡の藤崎にある
猿田彦神社には朝から長い参拝の列ができていたという。
奇特なことである。
庚申祭りと言い、猿田彦神社と言い、馴染みがない。
猿田彦は天孫降臨の道を照らし出して導いた伊勢の神
とされていることから、猿は神の道案内の神獣とされて
いるらしい。
災いを去り、幸福を連れてくるという縁起だそうであ
る。
悪霊が騒ぎ立ちやすい不穏な時期である。
本気で悪霊撃退の結界を張りたい。
プロテスタントのキリスト教は共産主義に親和性が高
い。
欧州でもキリスト教を冠する政党は社会主義政党であ
る。
神を否定する共産主義思想になぜキリスト教の牧師が
染まってしまうのか、はなはだ疑問である。
自分の恩師ともいうべき日本基督教団の牧師は極左と
もいうべき活動家だった。
東京では山手教会に属したが、そこの故平山牧師は、
全共闘誕生にも関わる共産主義者だった。
共産主義は神を否定してはいないと言っていたが、マ
ルクスがキリスト像だったのだろう。
牧師は労働者ではない、と言ったら、私は労働者だと
思っていると反論した。
労働者とは無産階級の貧乏人を言うが、貧乏人礼賛思
想そのものが貧乏神思想である。
神の国を作るというキリスト教的思想が、共産主義思
想に重なっているのだろう。
他方で人種差別と植民地主義を生み出したのもキリス
ト教である。
キリスト自身が有色人種だと言うのに。
しかし、共産主義とキリストの教えは異なる。
共産主義は多くの政治犯を生み出し、数百万人、数千
万人と言う大量の虐殺を行ってきた。
それが、神の愛であろうはずがないではないか。
愛の思想は自我我欲を克服した悟りの境地であるが、
共産主義は自我我欲の平等主義である。
愛の思想は個性と自由を愛するが、共産主義は個性と
努力を否定し、自由を遠ざける悪魔的平等思想である。
キリスト教徒は、その共産主義思想を反省するべきで
ある。
他の信仰を差別し、排除する差別意識を懺悔するべき
である。
愛は寛容であり、異文化をこそ豊かさとして受容する
はずである。
現代のキリスト教はキリストの思いに反している。
実際、キリストの霊言には、わたしは現代のキリスト
教にはいないと申されていた。
キリスト教徒なら、私の声になぜ気づかないのかとも
申されていた。
まことにもって、合点の行く話である。
キリスト教の不信仰と偽善を恥とせよ!
日本独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness・中村梅士党