鬼百合の 赤み差したり 日に点り
中村 梅士 Baishi
いや~、今日の暑さかな。
暑さのせいか、鬼百合のつぼみが長くなり、赤みをお
びてきた。
鬼百合は7月の暑い花である。
さて、この思考停止気味の暑さ、どうやり過ごしたも
のか。
しかし良いこともある。
壊れてしまったかとあきらめかけていたブラザーのプ
リンターが復旧したのだ。
全く黒のインクが印字しなくなったのだ。
何度ヘッドをクリーニングし、テスト印刷を繰り返し
ても改善しなかった。
ふと思いついて、まだ代えたばかりだった黒のインク
を取り外し、新しいものに取り換えた。
すると普通に印字したのである。
不良だったインクカートリッジを観察してみると、空
気穴が塞がっていることに気が付いた。
ああ、これですっきりとした。
オールインワンの高機能で、1万円そこそこの低価格
のブラザープリンターの評価を下げなくてよかった。
互換性インクのせいでなくてよかった。
キャノンはそれで失敗したからだ。
心理学は学生に人気のある科目である。
しかし、自分としては心理学には批判的である。
心理学に言う心とは、脳の作用である。
そこにまやかしを感じる。
霊的実相としての心は否定しているからである。
ならば、心理学ではなく、大脳生理学であろう。
では使い道はないのか。
学生たちが心理学に救いを求めるものは、実は幸福の
科学にこそある。
しかし、彼らの悩みに活路を与える方便として、心理
学を使うことは可能なのかと考えてみた。
心理学の過ちは、脳とは別存在の、オペレーターとし
ての心を否定しているところにある。
脳は心ではないからである。
しかし、心と言う自分の霊的存在と肉体的運動として
の心の作用の関係はある。
即ち、この世的刺激は脳神経の情報処理ソフトと計算
機の機能を通して心に伝えられ、心の現象は脳神経を通
して肉体運動に表現される関係がある。
ソフト部分は心の働きと体験によって発達する。
脳神経の機能的限界は心の表現の限界としての制限と
なる。
痴呆症は、脳神経の障害によって、肉体と心を繋ぐこ
とができない結果、「痴呆」といういわばプリンター異
常を起こすのである。
逆に心の本体がストレスや霊障と言われる波長の乱れ
を起こすと、オペレーターが異常であるから、脳神経に
よる表現も異常を示すという関係になる。
しかし、脳神経に障害がなければ、脳神経的表現を見
れば、心の性質を推測することができる。
その限りにおいて、心理学的観察と推察は、心の性質
の理解に役に立つと言えるのである。
但し、心の在り方については思想に踏み込まなければ
ならない。
宗教は霊的観点から心を開拓し鍛える教育である。
哲学は宗教の教えを霊界から切り離した思想として伝
えるものだといえる。
霊的観点を見失った哲学は、ニーチェのような悪魔思
想となるところに哲学の危険性がある。
その点、マズローなどの健康心理学ないしポジティブ
心理学は一歩踏み込んだものだと言える。
社会生活上好ましい考え方や感じ方を統計的観点から
示唆する点も、遠回りではあるが実証主義的分かりやす
さがあるともいえる。
心理学の否定ではなく、活用と言う観点から、心理学
入門を講じるとしよう。
少しでも、心の渇きを癒したいものだ。
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