傾けし 芙蓉にこぼれ 秋の暮
中村 梅士 Baishi
秋の日は斜陽である。
惜しみなく咲いていた芙蓉の花も数を減らした。
秋の日の短く、こぼれやすいことよ。
『宇宙の法・黎明編』の原案を拝読した。
映画は脚色され、誇張されている部分もあるが、3億
年前の人類は近隣惑星間の連絡船を持っていたようであ
り、現代人とは異なり、きわめて霊能力に優れた高度な
人類だったことが伺える。
強さによる序列支配の価値観はレプタリアンに特徴的
であるが、調和にも強さを除外しては成り立たない。
強さには、物理力による強さと、神の力を集中できる
調和の霊能力の強さがありそうである。
調和の霊感は、地球神の地球文明のコンセプトだが、
レプタリアンを撃退する強さを発揮するものらしい。
この問題をスポーツに置き換えるとどうなるだろうか
と考えてしまう。
従来から、ドーピングを撲滅するための活路は、人間
の潜在能力を引き出して勝つことにあると考えてきたが、
まんざら外れてはいないのではないかと思う。
もっとも、スポーツ科学万能の価値観では到底無理な
話ではある。
科学は数学論理と物理エネルギー至上主義の偏狭さに
弱点がある。
これに対して、地球神の強さは、生成、発展、消滅と
いう、根源的エネルギーを自在に発揮できるところにあ
る。
その強さはこの宇宙を有らしめている力であるから、
宇宙最大の力だと言える。
しかし、レプタリアン的強さは弱肉強食のエゴイズム
から発揮されるものである。
エゴからは調和の霊感は生まれない。
そのことを伝えようとしているのが、三億年前に遡る
戦闘竜ザムザの懺悔であり、悟りであったのだろう。
本当の強さの序列とは支配の構造ではなく、人々を守
り導くための高貴なる責任構造なのだろう。
強さに関する新たな観点はかなりの衝撃である。
無我の愛には最高度の戦闘力があるということである。
ザムザの地球人類としての3億年の転生輪廻は、愛に
よる戦闘力を磨いて地球神に仕えてきたのだろう。
レプタリアンの強さに感動はないが、信仰に目覚めた
ザムザの強さにはジ~ンとくるものがある。
日本軍の強さもそこにあったのではなかったか。
今の日本人では、チャイニーズ・エイリアンの餌とな
るほかはあるまいが、そのアニマは極めて栄養価が低い
ことであろう。
因みに、日本国民の血税を吸い続ける増税内閣の安倍
の霊体はドラキュラ型異星人かもしれない。
大蒜たっぷりのもつ鍋にしても、わ~、まずそう~。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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