日も暮れて ひと夏越せり ジャズタイム
中村 梅士 Baishi
今日も熱暑の一日だったが、氷嚢を抱えて稼働率50%程
度には仕事をこなせたかもしれない。
多くの課題を残したまま勝負に出すのは辛いものがある。
去年は、決戦の日に朝11時ころに笹栗の駅を出て、三郡
山縦走に出て、宝満山近くで日が暮れた。
もう少しだと思いながら、道を間違い、迷走の果てに野営
する羽目になったのだった。
水も食料もなく、ライトも携帯も電池切れ、その上雨にな
った。
気温は18℃にまで冷え込み、傘を握りしめる最悪の野営
だった。
夏場の三郡縦走はしたくない。
夏草に覆われ、途中の橋は不通、視界はほとんどなく、面
白くもなんともない上り下りだったのだから。
途中、墓参りをしていたばあさんは幽霊だったのだろうか。
明日は決戦前の最終講義である。
あとは、学生たちに頑張ってもらうほかはない。
まあ、人生は勝負の連続なのだ。
勝負をしている間が花である。
忙しいと言いながら、食事時にアニメ映画『黄金の法』を
久しぶりに再視聴した。
西暦3000年ころの未来からタイムマシンに乗って、25世
紀のニューアトランティスの都市に降り立ち、アリサとサト
ルのタイムラフティングが始まるのである。
『黄金の法』は、太陽の法、永遠の法と並ぶ古典的三部作
であり、エル・カンターレの歴史観が記されている。
その緻密な記述には圧倒されたのを覚えている。
クレタ文明のヘルメスの活躍は、アニメ以上にリアルに記
憶されている。
幸福の科学会員には常識的教養となっているであろうが、
一般の人と比べると、圧倒的な認識力の差であろう。
奇跡の賜物である。
今世界に起こっていることを語ると、一般の人には妄想の
ように聞こえるらしい。
幸福の科学に縁のない一般人には、今起こっていることが
たまたまのことにしか過ぎないらしいのである。
神の意志が働いているなどとは、狂言に過ぎないのだ。
トランプ大統領も習近平も、一般人ではない。
神を味方と思うか、敵と思うかの違いはあるが、ただ事で
は済まない事態になったことは分かっているのだ。
日本の不信仰な一般人とは愚かである。
天台智顗が、本仏が日本に下生するという霊言に接して、
たとい不遇の身に生まれても、再誕の仏陀に生まれ合わせた
いと願ったという逸話が遺っているが、涙があふれる思いで
ある。
尤も、今世どうなのかは分からない。
それに比べて、信仰心のかけらもなく、この時代の日本に
生まれている日本人とはいったい何なのだと思ってしまう。
一旦、清算されるべき時代であろう。
地獄への道も説かれているのだから、それくらいは読んで
ほしいものだ。
広い門をくぐる大衆の行き先である。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party