浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

「この差って何ですか?」

2019年08月06日 23時11分57秒 | TV番組

 

「この差って何ですか?」は、TBS系で放送されている世の中の様々な事象の゛差“を追跡するバラエティ番組であるが、思った以上に勉強になるので、ついつい見てしまう。今日(8月6日)の内容も、面白い話題が提供されていたが、特に、「卒塔婆があるお墓」と「卒塔婆がないお墓」の差という話題に興味を惹かれた。


「卒塔婆」には、葉書と同じように、差出人と亡くなった方の「戒名」を書いて、「日付」、この方に対して「何回忌のご供養」として塔婆を立てるということが書かれており、ありがたいお言葉の「お経の一部」が梵字(サンスクリット)で書かれているという。「卒塔婆」という漢字には、特に意味がなく、「ストゥーパ」というインドの言葉の当て字で「卒塔婆」になったという。そういえば、「ストゥーパ」という名前は、仏教国を旅していて、よく耳にした言葉だが、「お釈迦様の骨を納めた塔」のことで、仏教信仰のシンボルとして、各地に建てられたそうである。インドでは、お饅頭のような形をしていたが、日本に入ってきたら「五重の塔」になり、その「五重の塔」が石で作られた「五輪の塔」になり、さらに「木で作られた卒塔婆」へと変化していったようである。お金持ちは「五輪の塔」を建てられるが、お金持ちでない者は「卒塔婆」の木の板を立てるということになって、庶民に広まっていった。


「卒塔婆」を立てるということは、亡くなった方の死後の幸せを祈るために、応援してあげる行為の一つ、つまり、「卒塔婆」とは、法要や命日の時などに、死者があの世で成仏できるように、応援するために立てる物であるといえる。しかし、なぜ「卒塔婆」が無いお墓があるのか?それは、宗派の違いによるもので、浄土真宗だけが「卒塔婆」を立てないという。なぜ浄土真宗だけが「卒塔婆」を立てないかというと、修行という概念がないからである。


仏教の世界では亡くなった人は、仏様になることを目指して、死後の世界で修行をするが、その修行の方法が宗派によって違うのである。例えば、日蓮宗の場合、「南無妙法蓮華経」を唱えることで仏様になることを目指す。浄土宗の場合、「南無阿弥陀仏」と、念仏を唱えることによって仏様になることを目指す。曹洞宗の場合、「禅宗」と呼ばれる座禅をする宗派で、ひたすら座禅をすることによって、仏様になることを目指す。臨済宗の場合、こちらも禅の宗派で座禅をして、さらに禅問答のようなものを通して、仏様になることを目指す。つまり、これらの宗派は、亡くなった人があの世で頑張って、修行をすることで仏になることを目指すため、亡くなった人が仏になれるように「卒塔婆」を立てて応援してあげるが、浄土真宗の場合、「修行」という概念がないため、立てる必要がないのである。浄土真宗では、全てを「阿弥陀仏」という仏様にお任せする。「阿弥陀仏」の慈悲によって、どんな人でも全員が救われるというのが浄土真宗の考え方である。だから、お墓参りの時に「卒塔婆」を立てて死者を応援する必要がないのである。


最近、親鸞聖人の浄土真宗のアニメ映画や仏教講話を聴く機会が増え、このへんの知識が少しずつ身についてきたが、卒塔婆の話を聴いていて、点と点が線で結ばれ、より理解が深まった。出家して修行を積んだ者だけが救われる仏教より、我々凡人は、108もの煩悩を捨てようと無駄な修行努力をしなくても、絶対の幸福が得られるという浄土真宗の方がはるかに魅力を感じる。浄土真宗が大衆に普及していった背景もよくわかる気がした。仏教のことは全くの素人だが、いろいろなことを知ると世の中が見えてきて仏教ってなかなか面白いと思う今日この頃である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする