浪漫飛行への誘(いざな)い

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香港国際空港占拠を憂う

2019年08月14日 21時53分53秒 | ニュース

 

中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案への抗議デモは、鎮静化するどころか、香港国際空港の占拠まで発展し、相当数の便が欠航し、ハブ空港機能が停止している。数千人規模のデモが発生し、空港に座り込むシーンが連日テレビで報道されている。デモ隊を動かしているのは、警察当局の常軌を逸した暴力への怒りだというが、なぜそこまでやるのかなかなか本質論が理解できない。香港が中国に返還されたのは、1997年なので、あれから22年も経っているが、中国と香港とは体制も全く違っていたので、相容れないのは当然のことだと容易に理解できる。


香港には、今までに6回ほど行っているが、街自体、中国とは関係なく、独自に発展してきており、観光地としても大変魅力がある。映画「慕情」で有名になったビクトリアピークや高層ビル群等見どころもいっぱいあり、今でも多くの観光客が訪れていると思うので、この国際空港麻痺は残念でならない。空港も昔のカイタック空港から移転し、今は、チェクラップコク国際空港となっており、アジアのハブ空港として位置づけられているので、今回の騒動には大変心が痛む。このままでは安全確保もできず、観光客も減ってしまうと思うので、早く問題を解決して空港機能を取り戻してほしいものである。映画「慕情」に描かれた香港のイメージを壊さないでほしい。


「慕情」  https://www.youtube.com/watch?v=VP6sbDPB8cw

「香港国際空港」(平尾昌晃・アグネスチャン)


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深層NEWS「70歳定年時代」

2019年08月14日 00時15分20秒 | TV番組

 

8月13日のBS日テレの深層NEWSで「70歳定年時代」というテーマで、老後を輝かせる働き方の議論があり、興味を持って視聴した。神戸松蔭女子学院大学の楠木新教授がゲストとして解説にあたっていた。


高齢者の就業者数データとして、65歳以上で働いている人が862万人もいるということでちょっとびっくりした。どういう職種でどういう形で働いているかにもよるが、好条件で前向きに働いている人は少ないのではないか?給料は低くても、社会的接点を持っていたいだけとか、ただ何となくとか仕事を続けているとか、働かないと金銭的に生活ができないとか、ネガティブに働いている人が多いのではないかと推察する。雇用条件も、悲しいかな60歳時に比べると給与が半分以下になる人も多いようである。


先にも述べているが、男性の健康寿命は72.14歳(2016年統計)であり、70歳定年となると健康で自由気ままな生活ができる期間は、たった2年しかないので、可哀そうな限りである。60歳から70歳までが健康を保ちながら自由に一番充実して人生が謳歌できる時期であり、その大事な時に自由時間を犠牲にして働くという選択肢は自分には全くなかった。


番組では、定年準備のための行動7か条として、下記を掲げていたが、経験からもほぼ納得できる。


第1条 焦らず急げ

第2条 趣味にとどめない

第3条 子どもの頃の自分をもう一度呼び戻す

第4条 身銭を切る

第5条 個人事業主に学ぶ

第6条 手の届く複数のロールモデルを探す

第7条 「自分をどこに持っていくか」が」大事


自分の場合は、55歳位の時から、定年後どうするかの計画準備に取りかかっていた。大学で英語を専攻し、会社でも英語を使う仕事もやっていたが、結論として、自分の英語能力のなさを痛感し、強い劣等感を持っていた。従って、定年後は、海外に語学留学することを第一として、準備を始めた。当初は、期間は2年位、留学先は、オーストラリアのブリスベンを第一候補として、情報収集、現地下見も行った。先立つものは留学資金だったので、資金計画を立て、その頃から留学資金確保に向けての積立預金を開始した。


とはいえ、諸事情で当初計画通りには行かず、最終的には、期間は、6ヵ月に短縮(留学は3ヵ月、後は遊学)、留学先は、カナダのビクトリアに変更した。期間短縮は、専門学校の専攻がうまくヒットしなかったことと財政的要因で、留学先変更は、オーストラリア英語の方言が気になったことと皮膚ガン多発の社会的問題であった。ブリスベンは、下見を行っていたので、結果的には、1ヵ月間だけ、寮生活しながら語学学校に通った。カナダはビクトリア大学の3ヵ月の語学研修コースにお世話になったが、夫婦でのロングステイであったので、充実した6ヵ月で大正解であった。残念ながら英語能力を顕著に向上することはできなかったが、若者の友人を得たり、いろいろな経験ができて、60歳で卒業できたことに大いに感謝したところである。


留学後帰国してから、外人観光客向けに観光ボランティアガイドをやったり、好きな卓球・テニスを楽しんだり、海外旅行で新規に40か国(定年後10年間で)を訪問したり、ほぼ計画通り満足のいく10年間を過ごし、現在に至っている。70歳まで働いていたとしたら、全く実行できなかったことばかりであり、自分自身としてはこれでよかったと振り返っている。人それぞれだから、70歳まで働くことを選択する人もいると思うが、健康寿命を考えると、可哀そうに思えてならない。いずれにしても、「しあわせはいつも自分のこころがきめる」(相田みつを)である。

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