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蓮如上人の「白骨の章」

2019年08月18日 08時58分41秒 | 人生

 

8月17日に仏教教室に出席したが、今回のテーマは、蓮如上人の「白骨の章」であった。今までは、あまりよく知らなかったが、この「白骨の章」は、浄土真宗において、葬儀をはじめ、四十九日、一周忌などで最も多く読まれる有名な文章であるという。蓮如上人は、浄土真宗の中興の祖ともいわれ、親鸞聖人から200年後の15世紀に親鸞の教えを正確にわかりやすく信者に伝えるために簡単な文章で書き示した手紙を80通ほど残している(御文章または御文といわれる)。


この手紙の中で、「白骨の章」といわれる文章は、教義ではなく世の無常について書かれている。「朝には紅顔あって夕に白骨となれる身なり」などの名文としても名高いこともあって、宗派を超えて多くの人々に親しまれているので、知っている人も多いかもしれない。


意訳すると下記のようになる。


「人間のはかない人生をよくよく考えると、この世の中でおよそはかないものは、あっというまに迎える人生の最期である。いまだかって万年も生きたという話を聞かず、一生は早く過ぎるものである。現在でも百年を生きることは難しい。自分が先になるか、人が先になるか。今日とも明日とも知れない命で、遅れる人早く亡くなる人は、木の葉の露、雫の数よりも多い。そうであるならば、朝元気であった者が、夕方には死んで骨になるかもしれない。無常の風が吹いたら、たちまちのうちにまぶたは閉じ、呼吸も停止して、顔色がむなしく変って赤みを失う。そうなれば家族・親戚が集まって歎き悲しむが、蘇生効果はない。さてすべき事をしなければというわけで、遺体を野外に送り、夜中に火葬をして煙となれば、わずかに白骨のみが残るだけである。これはあわれというよりもおろかなことである。ではどうしたらよいかというと、人間のはかない命は老若の順とは限らないので、誰もが早い時期から死後の生の大事(後生の一大事)を心にかけ、阿弥陀仏に深くおすがりして、念仏すべきである。」


まさに、世の無常を説いた内容であるが、心にジーンと響く。無常の風は、目に見えないので突然に吹いてくる。老少不定で、年をとった人が先に亡くなるわけではないということも悲しいかな事実である。人生はあっと言う間に過ぎ去るが、そのスピード感覚は、10代は各駅、20代は快速、30代は急行、40代は特急、50代は新幹線、60代以降は、ブレーキの壊れた弾丸列車の如く過ぎ去ると講師は説明していたが、妙に納得。難度の海に放り出された我々は、小さな船の中で、丸太棒や板切れ(財産、健康、地位、名誉、仕事、家族等)に掴まりながら、何とか「どう生きるか(相対の幸福)」に必死であるが、その船は100%確実に滝つぼに向かっていることに気付いていないのである。いつ滝つぼ(死)に落ちるかも知れないのに、どう生きるかだけしか考えず、「なぜ生きるか(絶対の幸福)」を考えていないという。後生の一大事をいかに解決するかを教えているのが仏教である。


現在、自分の部屋に飾ってある掛け軸が何と蓮如上人である。妻の実家は、浄土真宗であるが、実家の片付けをしていた時に蔵からいくつかの掛け軸が出てきたので、我が家にもらっていたものの一つである。その掛け軸は蓮如上人が普及行脚する姿を描いたもので、親鸞聖人の仏教教室に通う前から偶然に掛けていたものである。お釈迦様の教えは奥深いと感じている今日この頃である。


写真は、掛け軸の蓮如上人

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