また、テレサ・テンの命日を迎えた。28年前、42歳の若さでタイ、チェンマイの常宿であったインペリアル・メーピンホテルで亡くなった。生きていれば、古希ということになるので、その姿は想像できない。昨年8月に彼女が終焉を迎えたホテルのスイートルームが記念館(テレサ・テン・スイート)として保存されているという情報をもとに、ホテルを訪ねたが、空振りに終った。当時、そのホテルはすでにインターコンチネンタルに売却されていて、改装工事中であった。コロナ禍の要因で、工事が遅れに遅れていたが、新たに「インターコンチネンタル チェンマイ メー ピン IHG ホテル」として、今年3月にオープンしたようである。当初、新しいホテルに衣替えした後も、彼女の部屋は従来のように記念として保存されるという話を耳にしたが、ホテル情報をネットで調べる限り、そのような情報は全くなく、処分されてしまったかもしれない。一部では、スイートルームは復元、公開されるような情報もあるので、どちらが正しいのか誰か教えてほしいところである。閉鎖であれば、残念な話であるが、誰もテレサのスイートルームがどうなったかネットで発信していないことのほうが寂しい気がする。”Out of sight, out of mind“を痛感するが、世界のテレサファンは何をしているのか?という思いである。
彼女のお墓は、台湾北部の金宝山の墓園に鄧麗君祈念公園として整備されているが、台湾の英雄として、蒋介石及び蒋経国両総統同様、火葬されることなく、そのままの姿で埋葬されている。台湾でこのような形で埋葬されているのは、この3人だけである。お墓参りに行ったのは、没後20年にあたる2015年の11月のことであったが、ネットでいろいろ調べて、お墓を通る路線バスがあることを知り、自力で辿りついた。当時、お墓への行き方について、日本での観光協会や旅行会社から確かな情報をもらえなかったので、寂しい思いをしたものである。台北からMRTに乗って、淡水という街に行き、そこから皇冠北海岸線という観光スポットに立ち寄っていく路線バスに約1時間乗り、Yun Gardenというところで降りると目の前が彼女のお墓のある鄧麗君祈念公園になっている。
墓園には大きなピアノの鍵盤、テレサのゴールドの像があり、お墓そのものは大きな大理石でできていて、墓石の上に、マリア様が見守っている。墓園には、絶えずテレサ・テンの歌声が流れている。中国語、日本語、英語の歌が1時間交代で流れており、そこに彼女が歌っているような錯覚に陥るほどである。台湾ではどんな行事が行われたのであろうか?日本では、嬉しいことに9日夜BS-TBSで「テレサ・テン名曲熱唱~戦後25年目の真実」という2020年5月8日に放映された特集番組を再放送してくれた。テレサの映像を見ていると彼女の可愛らしい姿が蘇ってきた。
テレサ・テンのことを知ったのは、日本でデビューする4年前の1970年3月の台湾旅行中のことで、その時からのフアンである。当時、彼女は、日本の歌謡曲をいろいろ歌っていて、台湾や香港で人気を博していた。彼女の透き通るような歌声は大変魅力的で、日本語の歌もさることながら、流れるような旋律を持つ彼女の中国語にはつい引き込まれる。当時から、レコードやカセットテープをいろいろ集めていたが、今やその多くはユーチューブで聴くことができるので、便利な世の中になったものである。中国語で歌っている日本の歌謡曲だけで70曲以上あり、個人的に1曲1分で連続して聴けるユーチューブも作成している。
画像は鄧麗君祈念公園
テレサ・テンが中国語で歌う歌謡曲70選: https://youtu.be/BRTSPgQoGq0
お墓参り映像: https://youtu.be/jSC4-RMhczg