日本において第二次世界大戦(太平洋戦争)が終わった日については諸説あり、主なものは以下のとおりです。
①1945年8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日。
②1945年8月15日:玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により、日本の降伏が国民に公表された日。
③1945年9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。
④1952年4月28日:サンフランシスコ講和条約の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日。
一般的には②で、終戦翌年から8月15日に非公式な形で追悼式が行われるようになったようです。
公式的には、
・1963年5月14日、同年8月15日から政府主催で「全国戦没者追悼式」が行われることが閣議決定。
・1982年4月13日、8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とすることが正式に閣議決定。
因みに、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシアでは、9月2日を対日勝戦記念日(VJデー)と呼んでいます。
憲法において戦争放棄している日本ですが、自衛隊という世界ではかなり上位と思われる軍事力(様々な分析はありますが)を有しています。
日本の弱腰外交はしばしば指摘されることですが、沖縄を始めとする国内にある米軍基地が、そんな外交の不味さをある意味でカバーしてくれている、もしくはいくつかの近隣国からの侵略やテロリストから守ってくれていることはそれなりに認めざるを得ないように思えます。(これにもいろいろ意見があるでしょうが)
その存在が多くのデメリットを生み出しているとしても、です。
しかし、実際に日本が攻撃を受け、戦闘状態に入った場合、果たして米軍の兵士が日本のために命を投げ出して戦ってくれることが本当にあるのでしょうか。
アメリカが日本を必ず守ってくれる、と言うのは幻想に過ぎないのでは...?
日本は自国の守りを人任せにしてはいけないのでは...?
最悪の事態が起こった時に、「想定外でした」では済まないのでは...?
福島原発の事故は、最悪の事態の想定に目を背け最善の対応をしてこなかったため起こったことだと、事故後の責任逃れ的発言や情報隠しなどから、殆どの国民が感づいています。
国防についても同様である、と言ったようなことを、自民党長期政権時代の反省や民主党政権の失政を踏まえ、日本の国防の有るべき姿はこうだと書いているのが、
<国防・石破茂著>
です。
帯書きには、こう書いてあります。
日本を狙っている国やテロリストが、「日本国民がまともになり、日本国がきちんとした防衛体制を整えてからではもう遅い、それまでにやるのだ」と思わない確証は、私にはありません。(本文より)
これは私見ですが、太平洋戦争における“最悪の中の最悪”の事態とは、ポツダム宣言の「黙殺」を「無視」と取られ、広島・長崎に原爆投下され、仲介を当てにしていたソ連にまで参戦されたこと、でしょうか。
戦争とはこうしたもの。
現代においてこんなことは無いだろう、と言うのは楽観過ぎ?
来たらざるを頼むなかれ、と言う古人の言葉があります。
まだ読みかけですが実はこの本、あとがきから読みました。
ノンフィクション系の場合、この本を買って後で後悔しないかどうか、本屋さんで“まえがき”や“あとがき”を読むことはよくあります。
小説ではこんなことは滅多にしませんけど、パラパラめくりくらいは...ね。