Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

日本三百名山回顧№125富山県、立山(百名山)

2024年03月27日 | 三百名山回顧

 越中富山の名峰立山は、日本3名山の一座であり古くからの信仰を集める山でもあります。立山という名は一つの山では無く、最高峰の大汝山や雄山、別山、真砂岳、浄土山などの山々を総称した山名です。

 そんな立山を最初に登ったのは昭和55年9月中旬でした。この時はテント泊で立山~剣岳~奥大日岳~大日岳などの山々を登った記録が、古いアルバムに残されていました。

昭和55年9月14日(日)~16日(火)  (室堂~立山~剣岳~奥大日岳~大日岳~室堂)

雄山から五色が原方面

真砂岳から剣岳方面

別山から大汝山~雄山方面

 

 

 2度目の登山は平成9年8月に、妻と二人で黒部第4ダムから立山ロープウェー真下の登山道を歩いて立山を登りました。黒部アルペンルートを利用すれば汗も掻かずに1時間足らずで室堂まで行けるのに、ワザワザ藪っぽい登山道を半日がかりで登り、その日は疲れて雄山直下の一の越山荘に泊ったように記憶しています。

 2日目は立山を登り、その後南の五色が原まで縦走してここでテント泊。3日目は黒部湖の平の小屋へ降り、そこから黒部湖の湖岸を歩いて黒部第4ダムへ下山しました。けっこうハードなコースでしたが、天気が良くて楽しく充実した山行でした。

平成9年8月16日(土)~18日(月)   (黒部第4ダム~立山~五色が原~黒部第4ダム)

黒部第4ダムから立山

登山道から黒部湖を見下ろす

大汝山山頂?

立山から五色が原方面

山頂から室堂方面

山頂から剣岳方面

獅子岳山頂

五色が原キャンプ場

 

 

 3度目は室堂の雷鳥平キャンプ場にテントを張り、奥大日岳~立山を縦走しました。この時の山行記録が当時のブログに掲載されていたので、下記に転記してみます。

平成25年8月22日(木)  (雷鳥平キャンプ場~奥大日岳~立山~雷鳥平キャンプ場)

 奥大日岳から新室堂乗越へ戻り、別山乗越への登山道を登る。途中で7名程の女性パーティと若いアベックを追い越すが、追い抜き際に挨拶するとアベックの女性はコンニチワと返答してくれたが、男性には黙殺された。私のような老いぼれに追越されたのが、面白く無かったのかもしれない。

別山乗越への登り

 お昼前、別山乗越の剣御前小屋に着いた。正面に剣岳が今まさに雲のガウンを取って雄姿を現そうとしている。感激の眺めで此処まで登って来た甲斐があった。

別山乗越から剣岳

 午後からすっかり晴れて登山日和となった。今日は立山を縦走して今夜も雷鳥沢でテント泊しようと決める。乗越から20分程で別山(2874m)に着いた。此処からも剣岳の眺めが素晴らしい。ついでに別山北峰(2880m)にも立ち寄る。

別山北峰山頂

 山頂に居たオジサンに剣岳をバックに写真を撮ってもらったが、その時剣岳は雲に隠れてしまった。別山へ戻ると真砂乗越まで大きく降って再び真砂岳へと登り返す。別山から30分程で着いた真砂岳山頂((2861m)には中高年のツアー登山の団体が山頂を占領して賑わいでいた。

真砂岳から室堂と奥に大日岳

真砂岳から別山方面

 此処から剣岳は別山の背後となり一部しか見えないが、行く手に富士ノ折立から雄山に続く稜線が一段と高く聳えている。左の眼下は豊富な雪渓を抱えた内蔵助カールが美しい。

内蔵助雪渓と富士の折立ピーク

内蔵助カールと後立山連峰

 一旦降って富士ノ折立への登りは急で厳しい。真砂岳から約30分で富士の折立に登り着いた。尖ったピークの標高は2999mで3千mまであと1m足りないだけだ。西側眼下は室堂平が一望に広がる。次のピーク大汝山の標高は3015mで立山の最高地点です。山頂から東側足下に緑色した湖面の黒部湖が横たわって見えた。

大汝山山頂

大汝山から黒部湖

大汝山から雄山

 此処から昨日登った雄山までは僅かな距離だ。雄山山頂に着く直前、荷物を積んだヘリコプターが飛び去った。山頂にいた作業員が「ヘリはすぐ戻って来るので危険だから山頂には留まらないでください。」注意され、急かされるように下山する。

 昨日悪天で苦労した道も今日は気楽に降って行ける。一ノ越からキャンプ場へ直行する道もあったが、途中でビールを調達したいので室堂山荘経由の遊歩道を降った。PM4時前なのに、まだ多くの観光客が散策している。今日午前に、別山乗越への登りで追い抜いた女性7名のパーティとキャンプ場手前で再会した。彼女らは雷鳥沢を降ってきたようだ。

ミドリヶ池から雄山

雷鳥荘から眼下に雷鳥平キャンプ場

同、地獄谷と大日岳

 雷鳥沢ヒュッテでビールを購入し雷鳥沢キャンプ場に戻った。すぐに夕食の準備に取り掛かる。長逗留している羽生の男性がトマトとキャベツのサラダをお裾分けしてくれた。彼は後一週間程は滞在する予定との事だ。私が「ジフィースとインスタントラーメンが余ってから入りませんか。」と言っても、「まだコメが3升もあるから食料は入らない。」と断られた。

雷鳥平キャンプ場

 彼の情報だと明日は朝から大雨になるという。明朝テントを撤収するまで何とか降らないで欲しいと願いながらテントの中で眠りについた。

 

 追信・・古いアルバムをチェックしていたら、昭和53年8月27日に立山の雄山に登っており、これが初めての立山登山でした。この時は立山から五色が原を経て薬師岳まで縦走した事が、アルバムの写真で分りました。

室堂の雷鳥平キャンプ地(昭和53年8月26日)

雄山山頂(昭和53年8月27日)

コメント
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