透明な気圏の中から

日々の生活の中で感じたこと、好きな作家についての思いなどを書いてみたいと思います。

『ブッダ』 (手塚治虫作)

2016-02-16 20:58:46 | 日記

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『ブッダ』(手塚治虫作)全八巻を読み終えました。「ブッダ」とは「目覚めた人」とのこと。広辞苑によると「ぶつだ(仏陀)」とは「〔仏〕(梵語buddaの音写。覚者・智者と訳す)目覚めた人の意で、悟りに達した人をいう。特に釈迦牟尼を指すが、広義には過去・未来おおび十方世界に多くの仏陀が存在するという。仏(ぶつ)。ほとけ。ブッダ。」とありました。

広辞苑によると80歳でクシナガラに入滅したとされる釈迦牟尼ですが、その生没年代は諸説あるようです。『ブッダ』第8巻の最終章はこのような言葉で締めくくられていた。ブッダが亡くなってから2千年以上たち、「仏教は中国やアジア諸国、そしてヨーロッパやアメリカの人々の心にまで深く浸透し、普及している。それは、『人々はどう生きるべきか』という人間愛の根元を教えているからである。」と。

ブログの最後に著者による第8巻の「あとがきにかえて」〔ゴータマ・ブッダ実伝〕からその一部を。 

ブッダは今のネパールの小族シャカの王族として、紀元前六世紀に生まれた。シャカ族はアーリア系の勇敢な部族で、コーサラ国の支配下にあった。

シッタルダの育ったのは、ルンビニーの近くの、カピラヴァストウという城である。カピラヴァストウとは、大昔、カピラ仙人という聖者が居て、城が築かれることを予言したからだという。しかし、その城の正しい位置は現在、まだわかっていない。ー略ーこの漫画の中で、重要な役割をするシッダルタの周辺の人物は、ほとんどみんな架空のもので、ー略ー。

仏典では、竹林精舎に居をおいたブッダのその後の行状は、断章的で、いつ、どこで、どうしたかが系統だって語られていない。ただやたらに有能な弟子が入門したことが次々に現れるだけだ。本書では、仏典に出てくるそれらの弟子のうち、書き漏らした者が多い。いちばん重要なのはサーリーブッダやモッガラーナと並び称されるマハーカッサバを加えなかったことだ。また大金持ちの息子のヤサや、女性出家者( ビクニ)のバターチャーラーなどもエピソードとして書きたかった。しかし、後半、これらの弟子の外伝が多く、作品ににまとまりがかけてきたことは残念である。

読後、今の心境にぴったりの選択だったと思いました。自ずとTPOに適った本を選び取っていることに自分で驚いています。

       

 

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