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「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

刑場まで付き添う 教誨師 -- 死刑執行の現実 (7)

2008年11月17日 22時47分21秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56587880.html からの続き)

 恨みに駆られて、 複数の命を奪った 凶悪犯。

 聖書を片手に 年老いた教誨師 (きょうかいし) は、

「 復讐はいけない 」と 語りかけました。

「 それが分かっていれば、 ここにいないはずだけど…… 」

 悔いを見せる死刑囚。

「 犯行の前に、 キリスト教に出会っていたら 」

 教誨師は 残念でなりませんでした。

 執行直前、 ある死刑囚は いきなり教誨師に抱きついてきました。

 体の震えが伝わってきます。

 教誨師は、 暗記してきた最後の言葉を かける余裕はなかったといいます。


 拘置所の死刑囚は、 希望すれば 月1回ほどの 個人教誨を受け、

 穏やかな心境で 死を迎えようとすることができます。

 ある教誨師は 明かしました。

「 刑務所の受刑者は 更生という希望がある。

 でも 拘置所に向かうときは、

 その希望がない 死刑囚のことを考えて 気が重くなる 」

 死刑確定者の 心の平穏を保ちつつ、 罪の重さを省みさせるのは、

 刑務官だけでは難しく、 宗教の助けが 必要なこともあります。

 教誨師の役割は 大きいといいます。


 豊島区の 霊園の片隅に、 ひっそりと立つ 東京拘置所の納骨堂。

 遺族が引き取りを拒んだ 死刑囚の遺骨が 納められています。

「 許されない罪を 犯した人であっても、

 せめて執行のあとは 他の霊と同じように 弔ってあげたかった 」

 引き取り手のない 遺骨を持ち帰り、

 自身の寺や教会の墓地に 葬る教誨師もいるそうです。

〔読売新聞より〕

(次の記事に続く)
 
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拘置 最長37年 -- 死刑執行の現実 (6)

2008年11月07日 21時45分26秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 帝銀事件の平沢貞通死刑囚 (当時95才) が 1987年に獄死して以降、

 執行されないまま 死亡した死刑囚は7人。

 このうち4人は 70才以上で、 10年以上の拘置ののち 病死しています。

 2006年には、 拘置中にリウマチを患って 両足が不自由だった死刑囚が、

 車椅子で 刑場に連れて行かれ、 刑務官に両脇を抱えられて 受刑したといいます。

 一貫して無実を訴えている 袴田死刑囚 (72) は、

 80年に死刑が確定した 数年後から、

 意味不明な発言を 繰り返すようになりました。

 拘禁反応という 精神の障害が指摘されました。

 死刑確定から 20年以上拘置されている 死刑囚は9人おり、

 最長は 37年10ヶ月になります。

 法務大臣によって 執行数に差があったことや、

 再審や恩赦を請求している 死刑囚の執行が 控えられてきたためでもあります。

 再審の請求は 執行停止理由ではありませんが、

 万が一にも 冤罪の人の命 を奪ってはならないとして 対象から外されます。

 長期間拘置の間に、 病気や精神的な 問題が生じて、

 死を待たざるを得ない 死刑囚もいます。

 再審請求で 執行が先延ばしになる 弊害はありますが、

 執行されないよりは いいのかもしれません。

 それとは反対に、 早期に執行される ケースも出始めています。

 裁判員制度を念頭に 争点が絞られて、 わずか2ヶ月で 判決が出され、

 被告が控訴を 取り下げたため、

 2年8ヶ月という 異例の早さで執行された 死刑囚もいました。

 長期拘置の矛盾を 見つめなおすべきなのかもしれません。

〔読売新聞より〕

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56719246.html
 
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告知は1時間前 -- 死刑執行の現実 (5)

2008年11月06日 22時17分41秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/56517461.html からの続き)

 「近づいてくる刑務官の足音が、 どの房の前で止まるか。

 奥歯をかみしめ、 耳を澄ませる。

 自分ではないと分かるまで、 体が固まって 動かなかった」

 死刑囚として再審無罪になった 免田栄さんは、 獄中生活をそう振り返ります。

 30年以上も 死の恐怖と隣り合わせでした。

 死刑の執行は 当日の朝、 死刑囚に告げられます。

 独房から呼び出され、 執行されるまでの時間は 約1時間。

 遺書を書いたり、 たばこを1本 吸ったりすることはできますが、

 スケジュールは 分単位で決められています。

 1970年代までは、 執行の数日前に 告げるケースもあったそうです。

 ある死刑囚は 執行の前3日間に、

 親族や弁護士と懇談して 別れを惜しみ、 好物の寿司を食べたり、

 他の死刑囚が 送別のお茶会を 開いてくれたりしたといいます。

 しかし 70年代中頃、 数日前に告知された死刑囚が 自殺する事件が起き、

 それ以来 告知は当日の朝になりました。

 「死刑囚が 常に精神的緊張を 強いられていることは遺憾だ」

 国連拷問禁止委員会は 日本政府にそう勧告しました。

 政府は 「当日より前に 告知すると、 死刑囚が不安定になり、

 深刻な精神的苦痛を 被る恐れがある」 と 反論しています。

 心情が安定している 死刑囚には、

 事前告知があってもいい という指摘があります。

 個々の事情を見極めて、

 事前告知と当日告知を 使い分けるべきではないでしょうか。

〔読売新聞より〕

(次の日記に続く)
 
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独房で待つ日々 -- 死刑執行の現実 (4)

2008年11月02日 19時55分16秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 大阪池田小学校事件の 宅間守死刑囚は、

 大阪地裁の死刑判決後、 控訴を自ら取り消して 死刑が確定しました。

 自殺を試みたことがあるため、

 カメラで24時間監視される 自殺防止房があてがわれて、

 そのカメラに苛立っていました。

 拘置所の死刑囚の独房は、

 4畳ほどで 便器と洗面台だけが付いており、 冷暖房はありません。

 宅間は、 「執行を待つ苦しみは 刑に入っていない。 不当だ」

 とも 言っていたそうです。

 刑事訴訟法は、 死刑確定から6ヶ月以内に

 刑を執行しなければならないと 定めています。

 しかし実際は 早くても2~3年かかります。

 宅間は弁護士に、 「6ヶ月以内に執行しないなら、 法務大臣を訴える」

 という手紙も 書いていました。

 死刑囚は 他の服役者と異なって、

 心情を安定させるために ビデオや将棋,碁を 一人で楽しんだり、

 自費で菓子や果物などを 食べることができます。

 宅間は 控訴を取り下げた 理由のひとつに、

 死刑が確定すれば 待遇が良くなるからと 明かしていたそうです。

 かつては、 死刑囚たちが 一緒に野球をしたり、

 短歌や書道を習っていた 時代もありました。

 しかし近年は 死刑囚同士のトラブルを防ぐため、

 集団処遇は途絶え、 他の死刑囚と 顔を合わせないようにされています。

 運動も入浴も すべて単独で、狭い居室に ぽつんと放置されています。

 4分の1の死刑囚は 面会も全くなく、 外部から隔絶されているのが 実態です。

 死刑囚は 「死ぬ」 という 将来しかありません。

 心情を安定させて、 犯した罪と向き合わせることは 非常に難しいといいます。

〔読売新聞より〕

(続く)
 
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絞首 130年続く -- 死刑執行の現実 (3)

2008年10月31日 21時07分07秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 死刑は 「絞首して執行する」 と、 刑法で定められています。

 死刑囚は 踏み台の上に立ち、 クビにロープがかけられます。

 別室の刑務官3人が 同時にボタンを押し、

 そのうちの1つが 踏み板と連動しています。

 落下の衝撃で 回転するロープを、 押さえる役目の 刑務官もいます。

 死刑囚は 自分の体重で 首の骨が折れ、 呼吸が止まりますが、

 心臓が止まるまでは 15分くらいかかります。

 瞬時に意識を失うので、 本人は苦痛を感じないはずだ といいます。

 踏み板の下で、 医師が脚立を使って 死刑囚の胸に 聴診器を当て、

 心停止を告げると 刑の執行は終了です。

 遺体は清拭され、 白装束に着替えます。

 首に索条痕 (さくじょうこん) は残りますが、 出血などはないそうです。

 現行の絞首は 明治6年に始まり、 当時は 斬首も併存していました。

 絞首は斬首と違って 体と首がバラバラにならず、

 親族が遺体を引き取る時の 悲哀感情が軽いとされます。

 1955年 最高裁は、

 「絞首刑は、 斬殺,銃殺,電気殺,ガス殺などと比較して、

 特に人道上 残虐とは言えない」 と判断し、

 これが絞首を維持する 法的根拠となっています。

 一方アメリカでは、 電気椅子やガス室から、

 苦痛が少なく人道的とされる 薬物注射が主流になっています。

 しかし、 法務省は 執行方法を見直す 検討はしていません。

 死刑を執行する 国の責任として、 できるだけ苦痛が 少ない方法を、

 外部の専門家も入れて 検討するべきだと指摘されています。

〔読売新聞より〕

(次の記事に続く)
 
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順番早まった 宮崎死刑囚 -- 死刑執行の現実 (2)

2008年10月30日 20時28分25秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 鳩山法相のときから 法務省は、

 死刑を積極的に 執行する方向へ かじを切りました。

 宮崎死刑囚のT弁護士は、 宮崎の処刑が 遠くないと感じます。

 執行の順番は 判決確定順が原則ですが、

 再審や恩赦を 請求している死刑囚は 通常あと回しになります。

 宮崎は 確定順で中間でしたが、

 T弁護士は 犯行時の責任能力を問うため 鑑定依頼をしました。

 他の死刑囚も 焦りを感じ、 再審や恩赦の請求を 相次いで出します。

 新証拠もなかったり、 棄却された前回の再審請求と 全く同じ理由で請求する、

 “執行逃れ” が大半でした。

 この請求ラッシュによって、 鑑定順が早い死刑囚が 執行対象からはずれ、

 宮崎の順番は 繰り上がっていきました。

 鳩山法相は法務省幹部から、 そのことを耳打ちされたといいます。

 刑事訴訟法では、 精神疾患で 刑罰の意味を理解できない 死刑囚には、

 刑の執行を 停止すると定めています。

 しかし宮崎は 死刑廃止論者の安田弁護士に、

 即刻 自分の再審弁護士になってほしいと 手紙を出したため、

 法務省は 宮崎が死刑の意味を 理解していると分析しました。

 T弁護士は法務省に、 再審請求の新証拠を準備していると 伝えましたが、

 効果はなく、 宮崎の死刑は 執行されました。

 形式的な再審請求によって 執行が回避できる現状を、

 考え直すべき 時期かもしれません。

〔読売新聞より〕

(次の記事に続く)
 
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「心を鬼に」 法相サイン -- 死刑執行の現実 (1)

2008年10月29日 20時54分08秒 | 死刑制度と癒し
 
 読売新聞 10月4日から17日までの 社会欄に、

 「死刑・ 執行の現実」 と題した 記事が連載されました。

 その要約を 書いていきたいと思います。

 来年5月に 裁判員制度が始まり、

 誰もが死刑の判決を 下さなければならない可能性があります。

 世論では 死刑容認が多数を占めますが、

 厚いベールに覆われてきた 死刑の実態を、記事は明らかにしていきます。

 今年6月、鳩山法相 (当時) は 3通の死刑執行命令書を 差し出しました。

 そのうちの1通は、 4人の女児を殺害した 宮崎勤でした。

 鳩山氏は 裁判記録すべてに目を通して、

 事件の残虐性を 頭に叩き込み、 心を鬼にして サインをしたといいます。

 宮崎死刑囚の独房の 斜め向かいには、

 オウム真理教元幹部の 新実智光が収監されていました。

 法相のサインの4日後、 新美被告は

 宮崎死刑囚が 刑場に連れて行かれることに 気付きました。

 職員が 宮崎死刑囚の部屋の荷物を、 台車に乗せ始めたからです。

 執行の日は、 普段の担当ではない刑務官が 独房の扉を開け、

 死刑囚に 外に出るよう命じます。

 その瞬間、 死刑囚は 刑の執行を悟るといいます。

 刑場に向かう途中、 控室で処遇部長から 執行を告げられます。

 和菓子や果物, 熱いお茶が用意され、

 教誨師の話を 聞くこともできますが、宮崎死刑囚は 頼むことはなかったそうです。

 刑場の 手前の壁の祭壇には 阿弥陀如来像と十字架、

 奥には 太さ3センチのロープが 天井から吊り下がっています。

 床は、ボ タン操作で開く 110センチ四方の踏み板。

 宮崎死刑囚はそこに立ち、 白い布で 目隠しをされて、

 静かに刑を 執行されたということです。

〔読売新聞より〕

(次の記事に続く)
 
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体感治安悪化

2008年06月13日 21時17分41秒 | 死刑制度と癒し
 
 秋葉原で無差別殺人事件が 起きてしまいましたが、

 治安は本当に悪くなっているのか、6月10日の朝日新聞からの記事です。

 殺人,強盗,放火,強姦で逮捕された 「凶悪犯」 は、

 2000年は7488人でしたが、06年は6459人に減っています。

 ところが 04年の調査では、61%の人が 「治安が悪い」 と感じ、

 75.5%が 「過去より治安が悪くなった」 と 答えています。

 実際は 悪くなったとは言えないのに、

 体感治安が悪化しているのは 何故でしょうか? 

 通り魔的な事件が 頻発していることが、ひとつの要因と 指摘されています。

 犯罪と無関係だった人間が 突然、

 面識のない 不特定多数の人たちに 狂気の刃を向ける。

 自分もいつどこで 被害に遭うか分からない、という恐れでしょう。

 共同体の崩壊と 人間関係の希薄化が、漠然とした不安を 招くとも言います。

 犯行動機が明らかでない 事件が増えていることも、

 社会に不安を与える という意見もあります。

 動機不詳の凶悪犯は、00年の103人から、03年には140人に 急増しました。

 また、凶悪事件を大々的に取り上げる、ワイドショーやネットなど

 メディアの影響力などもあるだろうと、個人的には思います。

 しかし それでもまだ、他の国に比べれば 日本は安全だといいます。

 殺人事件の認知件数自体は、戦後混乱期を頂点にして 現在まで減り続けており、

 約3分の1になっているのです。

 ところで 12日の記事にも書いたように、終身刑を設けている 多くの国は、

 仮釈放を認めており、実質的に 日本の無期懲役と同じです。

 一方、昨日の記事のように、

 日本の無期懲役は 仮釈放のない絶対的終身刑に 近寄っています。

 死刑,終身刑,無期懲役刑を 考えるに当たって、

 このような事実を きちんと踏まえておく 必要があるでしょう。

 国民が量刑も決める 裁判員制度では、

 感情やムードに流されない 理知的な判断が 求められると思います。
 
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無期懲役の重罰傾向

2008年06月12日 21時16分10秒 | 死刑制度と癒し
 
 読売新聞にも、無期懲役囚に関する 記事が出ていました。
(6月1日)

 昨年は無期懲役囚が、新たに89人 入所して、

 戦後最多の1670人に なったということです。

 それに対して、仮釈放はわずか3人のみ。

 厳罰を求める世論や、仮釈放者の再犯を恐れる 社会不安が背景にあると見られ、

 終身刑創設の議論にも 影響を与えそうだといいます。

 無期懲役囚は 1998年に968人でしたが、昨年はそれが 7割以上の増加です。

 戦後混乱期に 1279人まで増えた後、

 84年に713人まで 減少していたのに比べ、急増しているのが分かります。

 新たに入所する 無期懲役囚の数も、90年代は 年間20~40人でしたが、

 03年には100人を超え、昨年は89人。

 一方、仮釈放は 98年に18人だったのに、その後は平均して 年9.5人、

 昨年は3人にまで 落ち込みました。

 仮釈放までの平均期間も、20年ほど前は 15年程度でしたが、’98年は約20年、

 その後 次第に長くなり、昨年は 31年10ヶ月まで延びました。

 今年4月時点での 入所期間を見ると、

 40年以上の受刑者が24人、55年以上も1人います。

 ’06年、仮釈放中に 事件を起こした元受刑者 (有期刑・無期刑を含む) は、

 殺人4人,強盗13人,傷害25人に上りました。

 厳罰化や再犯防止のために 仮釈放が認められにくくなり、

 事実上の終身刑化が 進んでいるといいます。

 死刑と無期懲役の間の ギャップが大きすぎるという批判が 常にありますが、

 現実にはその溝は 埋められきているようです。

 9日の日記に書いた 坂本敏夫氏の、

 運営面の改善は すでに行なわれているということですね。
 
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終身刑 是か非か (3) (終身刑反対,死刑廃止)

2008年06月11日 21時47分23秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54654240.html からの続き)

 3人目は、死刑廃止の番組などを 手がけてきた、映画監督・坂上香氏です。

 坂上氏の TV番組や映画,著作は 僕もいくつか見ており、影響も受けました。

 坂上氏は、米国の終身刑囚を取材した 映画 「ライファーズ」 で、

 更生の可能性がないという 烙印を押された受刑者でも、

 変わることができるという 事実を伝えました。

 また、「アミティ」 という 受刑者更生プログラムで、

 受刑者を自分の罪に 徹底的に向き合わせることを 紹介しています。

(参考記事 http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/30977301.html )

 アミティを体験した 受刑者の言葉があります。

「 釈放されるかどうかが 問題なのではない。

 たとえ 刑務所から出られなくても、自らの牢獄から 自分を解放することはできる」

 刑務所の 中でも外でも、変わるチャンスがあれば 人は変われると、

 坂上氏は訴えます。

 だが、だからこそ、社会に戻れる可能性を 絶つ刑罰には、

 死刑であれ終身刑であれ、賛成できないのだと。

 僕は 終身刑を死刑の代替刑として 考えていましたが、

 この主唱には インパクトがありました。

 終身刑があれば 死刑は減るのではないか という人の気持ちに 共感しながらも、

 期待はできないと 語ります。

 アメリカの幾つかの州で 終身刑が導入されましたが、

 死刑も終身刑も ともに増えただけで、死刑廃止には向かわなかったそうです。

(ただ、死刑を廃止して 終身刑を導入すれば、

 どういう結果になるか 分からないのではないでしょうか。)

 なお、欧米の終身刑の多くは、仮釈放の可能性があるということです。

 翻って 日本の仮釈放は、例えば ’07年では、

 1670人の無期受刑者のうち 3人だけで、

 日本の無期懲役が 軽いと思われるのは 誤解だと指摘しています。

 日本の刑務所は 労役が中心で、受刑者に 「なぜ罪を犯したのか」 という

 問題に向き合わせる機会は ほとんどありません。

 人間として 変わる機会がないまま 刑務所を出所した人は、

 罰せられたことへの 復讐心に満たされ、暴力の連鎖が 繰り返されるのだと言います。

 いま議論すべきは、罪を犯した人が いずれ社会に戻ってくる 前提で、

 彼らが変わるために 刑務所の中と外で、何をしたらいいか ということだと、

 坂上氏は強調しています。

〔 朝日新聞 (6月8日) より 〕
 
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終身刑 是か非か (2) (終身刑賛成,死刑廃止)

2008年06月10日 21時40分22秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54638823.html からの続き)

 今日は、死刑廃止の運動をしてきた 大学教授・菊田幸一氏の意見です。

 菊田氏は、死刑に替わる 受け皿として、終身刑導入を主張してきました。

 当初は、仮釈放のない終身刑は 死刑と同じく残虐であり、

 重罰化に加担するもので 死刑廃止に逆行すると批判され、

 終身刑を口にするのも 難しい雰囲気だったそうです。

 今も 死刑廃止論者の間では、終身刑反対意見が 根強いといいます。

 ところが、被害者感情を重視して 重罰化傾向が高まり、死刑執行数も増えてきました。

 また、裁判で無期懲役を 言い渡す際に、「仮釈放には慎重に」 と注文をつけ、

 死刑と無期の落差を 埋めようとする判決も 出てきました。

 裁判員制度を前にして、終身刑導入を求める声も 聞くようになりました。

 死刑存廃を考える 橋渡しの意味で、具体的に議論が されるようになったことを

 菊田氏は評価しています。

 死刑制度を支持する 8割の世論があるので、終身刑には仮釈放をもうけず、

 厳しい刑として 理解を得るべきと言っています。

 
 終身刑が残酷な刑か ということに対して、ある死刑囚の言葉を 紹介しています。

「死刑囚が 精神を病むのは、いつ処刑されるか 分からない状況に 置かれるためだ。

 3畳一間に 死ぬまで閉じ込められていても、死刑執行がないと分かっていれば、

 その中の生活も また人生だ。」

 終身刑は受刑者の処遇を困難にする という意見に対しては、

 米国での調査の結果を 伝えています。

 長期より短期の 受刑者の方が、出所の可能性があるだけに むしろ、

 強い不満を抱いたり 激しく権利を主張したりし、処遇が難しい 傾向があったと。

 また、過去の死刑確定囚 100人以上を調べたところ、

 終身刑があれば死 刑判決にならなかったと 推定される事例が、

 2割あったといいます。

 少なくとも死刑判決が 減るのは確かだと、菊田氏は述べます。

 昨日の記事の坂本氏は、従来なら 無期懲役になっていた人に

 終身刑が言い渡されるだけで、死刑判決は減らず、重罰化になると 予想しています。

 しかし 菊田氏の見解のほうが、若干 実証的かもしれせん。

 ニュージャージー州では、死刑と終身刑が 併存していましたが、

 死刑が長年 執行されず、ついに死刑が 廃止されたそうです。

 菊田氏は、そういう段階を 踏んでいくためにも、

 受け皿としての終身刑を 訴えています。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54670087.html

〔 朝日新聞 (6月8日) より 〕
 
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終身刑 是か非か (1) (終身刑反対,死刑存置)

2008年06月09日 22時05分01秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54576590.html からの続き)

 朝日新聞で 終身刑法案の記事を受けて、終身刑是非の 特集が載りました。
(6月8日)

 3人の論者が 意見を述べており、それぞれの立場は、

 「終身刑反対,死刑存置」 「終身刑賛成,死刑廃止」 「終身刑反対,死刑廃止」

 と3様です。

 まずは、作家で元刑務官の 坂本敏夫氏、「終身刑反対,死刑存置」 の立場です。

 坂本氏は27年間、刑務官として 受刑者の処遇に当たってきました。

 その経験から 坂本氏は、終身刑の受刑者は 処遇が困難になるだろうと主張します。

 ただし、氏自身は 終身刑の受刑者に 接したことがないので、

 終身刑に対しては 想像による考えになります。

 死刑囚は 拘置所の独房に収容されますが、

 刑務官は 「殺さず、狂わさず」 を心がけ、

 刑の執行までに 贖罪の気持ちを抱かせようとします。

 その労力や精神的負担は、一般受刑者の 50人分以上になるだろうと言います。

 無期懲役の受刑者は、法的には10年で 仮釈放の申請ができるので

(実際に仮釈放されるまでの 平均期間は約30年)、

 「10年後」 を信じて 真面目に過ごします。

 しかし終身刑受刑者は その希望がなく、これ以上悪くならないのだから

 懲罰は恐れず、他の受刑者を 喧嘩に巻き込んだりするかもしれない と言います。

 けれども、「これ以上悪くならない」 というのは、

 死刑囚も 同じではないでしょうか?

 上記の理屈だと、死刑囚も 他の受刑者を巻き込む ということになります。

 実際の死刑囚の多くは、死に直面することで 命や罪の重さを認識し、

 改心の道を 歩み始めます。

 終身刑では その立ち直りの機会が失われると、坂本氏は述べています。

 しかし 終身刑囚も、死ぬまで何十年もの間、

 苦しんだり恨んだりしたまま 生きていくのは、耐えられないのではないでしょうか。

 死刑囚が 死の恐怖を克服するため 改悛していくように、

 終身刑囚も 自分の心の平安を求めて、罰を受け入れようと、

 自分の罪を見つめる努力を し始めるのではないかと、僕には思えます。

 
 死刑と無期懲役の 中間の刑罰として 終身刑を求める意見に対して、

 坂本氏は、仮釈放を認める条件を 厳しくするという 運用面の改善で、

 対応できると言っています。

 死刑廃止のステップとしての 終身刑創設意見に対しても、

 国民の多数が 死刑を支持しているなかで 死刑は減らず、むしろ、

 今までなら無期懲役になっていた人に 終身刑が言い渡されるだけだろう と言います。

 また 経済面から言っても、受刑者一人には 年間50万ほどの費用がかかり、

 高齢になれば医療費も増える と指摘しています。

 そこまでの 労力や税金を投じて、新たな刑を設けるべきなのかと。

 坂本氏は、死刑制度は存続しつつ、

 心底改悛した者には 恩赦で刑の執行を停止する などしながら、

 現状の改善をする方が先だと 提唱しています。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54654240.html
 
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「終身刑」 法案

2008年06月05日 20時55分12秒 | 死刑制度と癒し
 
 裁判員制度を前にして、超党派で

 「終身刑」 を創設する 法案が進められているようです。

(本日付け朝日新聞)

 一般市民である裁判員に 死刑の判断をさせられるのか、

 ということが 議論のスタートだったそうです。

 しかし、終身刑賛成・反対,死刑賛成・反対という 様々な立場の議員がおり、

 考えはそれぞれ かなり異なっています。

 「市民が苦しまない制度を」 という 考えもあれば、

 「市民が一時の感情から 死刑を科してはならない」 という 意見もあります。

 もともと 終身刑の議員立法は、死刑執行停止などと合わせて 目指していたもので、

 死刑賛成派にとっては タブー視されがちだった といいます。

 しかし 死刑執行数の増加、光市母子殺害事件の死刑判決など、

 死刑の傾向が強まって、動きが変わったそうです。

 裁判員制度が始まって 死刑判決が増えることを危惧し、

 死刑存廃は議論は 置いておいて、とにかく 終身刑だけを検討しようと、

 超党派の会合が 開かれました。

 死刑論議が出てきたら辞める という議員もいるし、

 死刑廃止に向けて 何もできないよりは、少しでも前に進みたい

 という思惑の議員もいます。

 死刑廃止運動に 関わってきた人は、終身刑によって 死刑判決を減らし、

 死刑存廃の議論そのものに 繋げたいと考えています。

 しかし、終身刑が創設されて 死刑が存続されれば、

 ただ 重い刑罰を増やすだけの 結果になりかねない 危険性もはらんでいます。

 現在の日本では、無期懲役と死刑のギャップが 余りにも大きすぎることが、

 常に指摘されています。

 無期懲役は、10年を過ぎれば 仮釈放の申請ができますが、

 実際に仮釈放が認められる 平均の期間は、30年以上だといいます。

 それに対し終身刑は 仮釈放の希望がなく、生涯 牢獄に閉じ込められるわけで、

 死刑よりも残酷ではないか という意見もあります。

 でも 収入や住居などのない人が、捕まるために 犯罪を繰り返すケースも

 あるわけですから、刑務所は それほど居心地が悪いのだろうか という気もします。

 どちらにしても 議論をする人間は、

 自分で終身刑を 経験することはできないわけですから、

 海外の終身刑受刑者を 対象にした研究は できないものかと思います。

 僕としては、終身刑の導入は 急務だと思っています。

 それを契機にして、死刑存廃についても 議論が高まっていくことを

 願う次第ではあります。
 
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文化放送 「死刑執行」 (6) (裁判員制度)

2008年05月11日 10時43分11秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54159247.html からの続き)

 死刑制度が 様々な問題を含んでいながら、国民的議論はなされていません。

 にも拘らず、一般人が 死刑を含む刑を下すという 裁判員制度が、

 あと1年で 開始されようとしています。

 司法への参加についても 死刑制度についても、

 国民の意識や考えは まだまだ高まっていないでしょう。

 そんな現段階で、裁判員制度の始動は 拙速ではないかと感じています。

 20年程度で仮釈放される 無期懲役の次は 死刑しかないという、

 極端な刑罰の 狭間に立たされたとき、

 国民は確信を持って 判断することができるでしょうか。

 死刑判決は全員一致にするべき という法案が出されたり、

 最初はもっと軽微な犯罪を 裁判員制度の対象にするべきだ という意見もあります。

 例えば、死刑の実態を知らない 裁判員が多くて、多数決で死刑になったが、

 放送を聴いて 死刑の悲惨さを感じた自分は 反対だった、

 という裁判員の苦痛は 如何ばかりのものでしょう。

 ところで、死刑制度反対を理由に 裁判員を辞退することはできない

 とされていましたが、心理的に 非常に支障をきたす場合は 免除される、

 という方向へ行くようです。

 しかし逆に、裁判員をやりたくないために 死刑反対と言い張る人が

 出てくるかも知れず、事前審査で それを見抜くことができるのか 不安も残ります。

 また、僕は 精緻司法に与するものですが、

 短時間で 難しい真実を 明らかにすることが可能なのか、

 冤罪や量刑不当のことも とても危惧しています。

(光市母子殺害事件・差し戻し審の 事実認定も詳細を極め、

 非常に長い時間を かけています。)

 裁判員が急かされるように 判決を出して、

 後になって 後悔を一生引きずる ということも起こるかもしれません。

 裁判員が マスコミ報道から受ける影響や、

 守秘義務についての 理解度や実効性にも、大いに疑問が付きまといます。

 不適切な人物を 裁判員に選んでしまう危険性や、

 その他にも問題は 山積していると思いますが、

 見切り発車をしてでも 実例を重ねていくしかないのでしょうか。

 しかし、“試行” 段階で 死刑を下されたとしたら、

 容疑者はそれこそ たまったものではないですね。

 控訴はできますが、それで 一審が覆されると、

 裁判員制度の意味は何なのか という議論も出てきてしまいます。

 ちなみに、僕が 残された人生の間に 裁判員になる可能性は、1%くらいでしょう。

 僕個人は (問題は多々あれ、施行するのであれば)

 是非 やってみたいと思っています。

 一方、嫌で堪らないという人も いるでしょうが、同じ条件で 抽選で選ばれます。

 積極的な意思を 持っている人を 優先した方が、真剣な裁判ができ、

 被告のためにもなるのではないか とも思ってしまうのですが……。

 ともあれ、裁判員制度や死刑制度について、

 皆がもっと よく考える機会が 増えることを願ってやみません。
 
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文化放送 「死刑執行」 (5) (感想)

2008年05月10日 11時39分21秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54143995.html からの続き)

 番組は主観を排して 最後を締めくくっています。

 今まで 闇の中だった死刑執行現場を 生々しく伝えたことは、

 非常に意義のあることでした。

 敬遠されがちな 難しい題材を取り上げた 文化放送には、敬意を評します。

 番組放送後、局には 評価する電話などが 沢山ありました。

 でも中には、被害者側の声がないという 批判もあったそうです。

 極めて貴重な 録音テープですが、録音と編集の 状態が良くないので、

 それを補うための 番組の構成が重要になります。

 「死刑執行」 という 番組のテーマからして、

 死刑執行の現実を 人々に知ってもらい、

 裁判員制度を控えて、死刑を自分のこととして 考えてもらうのが目的でしょう。

 ひいては、死刑是認に傾いている世論を、

 バランスある方向へ 促すスタンスになるのは 必然的なことだと思います。

 また、拘置所関係者が作った という性質上、

 刑務官の立場が 重視されていることも 致し方ないかもしれません。

 ただし、刑務官という 個人の心情のために、

 死刑存廃という国家的な制度を 論じるべきではないと思います。

 刑務官に過剰な負担がかかるから 死刑はやめるというのではなく、

 もしも死刑が 必要だと言うのなら、

 刑務官の負担を減らしたり、なくする方向で 考えていかなければなりません。

 絞首刑でなく 薬物にするとか、人の手で注射するのではなく

 自動的に注入できるようにするなど、他の方法を考案するべきでしょう。

 そして 番組でも指摘していたように、死刑囚を拘置する施設 (人間) と、

 執行する施設 (人間) を 別にすることも肝心です。

 しかし それよりも重要なのは、国家が人を殺すということが、

 近代的・文化的社会として あるべき姿なのかということです。

 殺人に対して 殺人で返す応報刑は、

 国家が殺人者と同じレベルに なってしまうことではないでしょうか。

 刑務官の苦悩が、死刑という形の刑の 残酷さを、

 物語っていることになると思います。

 番組は、その不合理さを 実感として伝えたものの、

 まだまだ多くの人は それを知りません。

 国の方針として、死刑の現状を もっと明らかにするべきだと思いますが、

 長い間 状況は逆行してきていました。

 官民で情報を 公開していくことが望まれます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54174871.html
 
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