「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

確定21年 …… 「長すぎる」 -- かえらぬ命 (10)

2009年05月03日 10時34分01秒 | 死刑制度と癒し
 
 1975年、 日本連合赤軍は クアラルンプールの米国大使館を占拠し、

 50人以上の人質を取って、 日本政府に 要求を突きつけました。

 政府は超法規的措置で、 過激派5人を釈放します。

 1年前の三菱重工ビル爆破事件の 犯人の一人、

 佐々木規夫被告も 含まれていました。

 松田將希 (まさき) さんは、

 そのテレビ画面を 複雑な思いで見つめていました。

 松田さんは 妹のとし子さん (当時23才) を、

 爆破事件で亡くしています。

「 妹の無念を思うと 悔しかった。

 でも、 死んでしまった人より、 人質になった人の 命が大切だから……」

 爆破事件の主犯格・ 大道寺将司, 益永利明は、

 87年に最高裁で 死刑が確定しました。

 しかし、 それから 21年たった現在も、 刑は執行されていません。

 共犯が 海外に逃亡しているのが、 執行できない理由の ひとつだといいます。

 大道寺死刑囚は述べています。

「 死刑とは 人間の生命と人権を 奪うものであり、

 廃止すべきだと 考えるようになった 」

 いま両死刑囚は 第3次再審請求を行なっています。



 76年の北海道庁爆破事件の 被害者・ 内山武三さんは この32年間、

 仲間の被害者が 次々と亡くなっていくのを 見てきました。

「 事件が風化し、 知らない世代からは

 『死刑囚がかわいそうだ』 という声が あがるかもしれない。

 人の命を奪う刑だから 執行に慎重になるのは分かるが、

 このままでは 被害者だけが苦しむことになる 」

 死刑執行まで長すぎる …… 被害者はそう呟きます。

〔読売新聞より〕
 
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冤罪主張 苦悩の遺族 -- かえらぬ命 (9)

2009年05月02日 21時46分36秒 | 死刑制度と癒し
 
 高橋和利死刑囚 (74) は、 法廷で一貫して 無実を訴えています。

 老いた妻が テレビに出演し、 「夫を信じている」 と話していました。

 それを見て、 高松節子さん (61) の心は揺れました。

「 刑が執行されれば、 私の悲しい気持ちは 変わるんだろうか。

 逆に、 事件に何の責任もない あの奥さんは、

 すごく苦しむんじゃないか…… 」

 節子さんの 父・ユン=インヒョンさんと 母・小林ハツさんは、

 事務所で 遺体となって発見されました。

 バールのような凶器で めった打ちにされ、

 1200万円が 盗まれていました。

 高橋死刑囚は事件当日、 事務所から 1200万円を持ち去り、

 別の借金を返済していました。

 警察で 殺害を自供しましたが、 物証や目撃者はありません。

 公判では転じて 無罪を主張。

「 事務所に入ったとき、 二人は すでに殺されていた。

 その場にあった 札束を欲しくなり、 取って逃げた。

 自白は強要された 」

 節子さんは、 冤罪ではないかと疑ったことは 一度もありません。

 ただ、 犯行を否認したままの 死刑囚を憎もうとして、

 憎みきれない思いも残ります。

 死刑を望んだ気持ちが 薄れつつあるようにも感じます。

「 両親、 中でも父は 凶悪犯罪を絶対に 許さない人でした。

 遺族である私が ためらいを見せるのは、 やはり社会にとってよくない。

 『 悪いことをしたら 報いを受ける 』

 というルールは きちんと守ってほしい。

 そう求めることが 遺族の責任だと思っています 」

〔読売新聞より〕
 
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謝罪への一歩 老親に重く -- かえらぬ命 (8)

2009年05月01日 08時51分29秒 | 死刑制度と癒し
 
 拘置所にいる 一人息子の死刑囚に、 80才代の両親は、

 2ヶ月に一度 3万円を送り続けます。

 わずかな年金収入を 切り詰めて工面しています。

 事件後、 父は 検察官に訴えました。

「 すぐにでも死刑にして、 殺してください 」

 謝っても 謝りきれないことをした。

「 生かしてほしいとは 絶対に言えない 」

 今も そう思っています。

「 毎日毎日、 自分たちの体は 弱っていく。

 こっちが死ぬのが先か、 息子が執行されるのが先か 」


 別の死刑囚の母は 70才を超えても、

 毎月1回 2時間かけて 拘置所に足を運びます。

 息子が起こした事件で いかに多くの人が 苦しんだか、

 痛いほど分かります。

 本心は 再審請求をしてでも、 生き延びてほしい。

 でも そんなことを願う自分は ずるい、 とも感じます。

< 食べるものも 着るものもあるところで、 あなたが今、

 生かしてもらっていることに、 私は感謝しています。 >

 先日、 息子に そんな手紙を書きました。

 息子にとっても 死刑はつらいと思う。

 でも、 それが起こした事件の 責任を取ることなのだ。

 母は自分に そう言い聞かせています。

〔読売新聞より〕
 
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命の償い 望まぬ遺族 -- かえらぬ命 (7)

2009年04月30日 22時18分27秒 | 死刑制度と癒し
 
 ひつぎの中の顔は、 かすかに 微笑んでいるようにも見えました。

 2001年12月27日、 長谷川敏彦死刑囚 (当時51) の刑が執行され、

 2日後 教会で葬儀が営まれました。

 長谷川死刑囚に 弟の命を奪われた、 原田正治さんの姿もありました。

 弟の明男さん (当時30才) は、

 長谷川死刑囚に 保険金をかけられたうえ 殺されました。

 長谷川は 他にも二人を殺害しています。

 極刑を望む原田さんに、 長谷川死刑囚から手紙が送られるようになりましたが、

 1通以外は ごみ箱に捨てました。

 心に余裕ができたころ、 ふと 返事を書いてみると、

 手紙の数が 格段に増えました。

 原田さんは思い切って 拘置所を訪ねます。

 怒鳴りつけるかもしれないと 思っていましたが、

 全身に喜びをにじませて 訪問への感謝を 口にする姿を見て、

 怒る気が 失せていきました。

 その後も 3回ほど面会しました。

 長谷川が悔い改め、

 遺族のことを気にかけているのが 実感として伝わってきます。

「 彼のことを 許したわけではない。

 でも、 もっと生きて、 償いの気持ちを 伝え続けてもらいたかった。

 死刑からは何も生まれないと 思うようになった 」

 原田さんは一昨年、 被害者と加害者の対話を 進める団体を設立。

 加害者が 被害者に心から謝罪するよう 助言しています。



 オウム事件の被害者・ 河野義行さんも、

 自らの冤罪体験から 死刑を望みません。

 一歩間違えたら 自分も死刑になっていた。

「 遺族が犯人に 死刑を求める気持ちは 充分、 理解できる。

 だが、 憎しみに縛られていては 幸せになれない 」

〔読売新聞より〕

-------------------------------------

 上記の原田さんは、 以前 ブログに書いたH氏です。

 被害者遺族自ら死刑に反対する H氏のことを、 下記から連載しています。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/29733348.html
 
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謝罪の手紙 読み返し -- かえらぬ命 (6)

2009年04月29日 21時48分37秒 | 死刑制度と癒し
 
 江崎恭平さん (64) は 拘置所から届く手紙を、

 手許に置いて 何回も読み直しています。

 その数は 60通を超えました。

 うまい文章ではありませんが、

 一生懸命 書いているのだろうことは 分かります。

 1994年、 長男の正史さん (当時19才) と友人は、

 3人の少年に 因縁をつけられ、 金属パイプでめった打ちにされて、

 二人とも亡くなりました。

 少年らは 他にも二人の命を 奪っていました。

 公判中、 死刑判決を受けた 二人の少年から 手紙が届くようになりました。

( 現在上告中 )

 恭平さんには 手紙の言葉が きれいごとに見えましたが、

 手紙は送り続けられました。

 受け取りを拒否していますが、

 拘置所の作業で 溜めた現金も 年に一度届けられます。

< 読経や写経を させて頂く事と 請願作業をして頂ける賞与金を

 御遺族に送らせて貰うのが せめてもの気持ちですから (中略)

 今後も送らせて頂きたいと 強く想っています。 >

 二人の少年は述べました。

「 人の命を奪った人間が 言うのは許されないと思うが、

 できることなら 生きて償いたい 」

「生きて 何かできることを やっていければ。

 でも、 自分の立場を考えると、 死刑も やむを得ないと思う 」

「 今、 僕が生きているのは ありがたいことだから、

 ご遺族に恥ずかしくないように、 手紙をずっと書きたい 」

 恭平さんが 3人に死刑を望む気持ちは 変わりません。

「 反省の気持ちが伝わっても、 刑は 残忍な犯行に対する 結論。

 謝罪とは別なんです 」

 ただ、 今は手紙から

 彼らがどう変わろうとしているのか 読み取ろうとしています。

 妻のテルミさんは 手紙を前に 目を伏せます。

「 この子たちも 苦しんでいるんでしょう。

 でもそれ以上に 私たちは重いものを背負った。

 正史の声を もう一度聞きたい…… 」

〔読売新聞より〕
 
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市民が量刑判断での 心の負担重く

2009年04月28日 20時30分42秒 | 死刑制度と癒し
 
 今日のニュース 「スーパーJチャンネル」 (TV朝日) で、

 裁判員制度検証の 特集をやっていました。

 裁判員が判決を下すときの 心理的な負担についてです。

 冤罪の疑いのある 有名な袴田事件で、

 審理に当たった 熊本典道・ 元裁判官は、

 3人の裁判官のうち一人だけ 無罪だと確信しましたが、 合議で死刑が決定。

 しかも判決文は、 熊本氏本人が 書かなければなりませんでした。

 熊本氏は7ヶ月後に 裁判官を辞職、 自殺を図ったが 失敗したといいます。

 職業裁判官でさえ、 これほどまでの重責と 重圧に苛まれるわけです。

 裁判員に精神的負担を 与えることに備えて 最高裁は、

 24時間体制の 心理カウンセリングを準備しています。

 しかし これには、

「救急体制を用意したから 崖から飛び下りてくれ」 と

 言うようなものだとの 批判もあります。

 裁判員制度では 多数決で有罪無罪が決められますが、

 そのあとの量刑判断には、 無罪を主張した人も 加わらなければなりません。

 その結果、 死刑判決になる場合も あり得ますが、

 裁判員には 守秘義務があるため、

 自分は無罪に手を挙げた ということを、 生涯 口にすることができません。

 にも拘らず、 今まで600回行なわれたという 模擬裁判では、

 死刑判決相当の模擬裁判を 一件も行なわれていないというのです。

 模擬裁判で死刑を選択させても 何の検証にもならないと言うのですが、

 裁判員の精神的負担が 表面に出る前に、

 制度を始めてしまおうというのではないかと 思われても仕方ありません。

 最近、 裁判員制度にも 大きな影響を与えそうな、

 注目の判決が 相次いでいます。

 被告の解離性健忘を認めた 一審を破棄して、

 完全責任能力を示した 秋田連続児童殺害事件,

 状況証拠だけで死刑が確定した 和歌山毒物カレー事件,

 本日高裁で一審を破棄し 懲役7年から12年になった

 渋谷妹殺害 (バラバラ) 事件。

 状況証拠しかない事件や、

 犯人の責任能力という 目に見えない問題を

( 裁判所でさえ 一審と二審で 判断が異なるような )、

 一般人が ごく短時間で 正しく見極められるのか、 大きな危惧が残ります。

 僕は 国民の司法参加は必要だし、

 裁判員制度に積極的に 参加したいと思っていますが、

 如何せん準備不足で 拙速だと、 当初から述べています。

 裁判員制度開始まで もう一ヶ月ですが、

 どのような問題が起きるのか、 期待よりも 心配が多い気がします。
 
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遺族に終わりはない -- かえらぬ命 (5)

2009年04月27日 10時12分04秒 | 死刑制度と癒し
 
 森田泰元 (たいげん) さんの

 長男・ 泰州 (やすくに) ちゃん (当時9才) は、

 やっちゃんと呼ばれていました。

 星空の好きなやっちゃんを 誘拐・殺害したのは、

 泰元さんの知り合い・ 津田暎 (あきら) でした。

 遺体を遺棄した後、 身代金要求の 電話を重ねました。

 ギャンブルで借金を背負った 短絡的犯行です。

 泰元さん夫妻は、 法廷にもほとんど 足を運んでいません。

 津田被告と 同じ空気を吸うことすら、 嫌だったといいます。

 最高裁で死刑が確定し、

 弁護士は再審を勧めましたが、 津田死刑囚は断りました。

「 遺族は 『あいつはまだ生きとるんか』 と 怒っとるじゃろう。

 執行にならんと、 許してもらえんだろうな 」

 拘置所では聖書を読み、 泰州ちゃんの命日には 冥福を祈りました。

「 『あいつを殺すのは惜しい』 と 言われるような人間になってから

 執行されなければ、 泰州ちゃんの命との バランスが取れない。

 心の豊かな 人間になりたい。」

 死刑執行の時は 刑務官に礼を述べて 逝きましたが、

 遺族に 謝罪の手紙を 書くことはありませんでした。

 泰元さんは 死刑を当然と思っています。

 悲しみに耐えることに 精一杯で、

 それ以外なにも 感じることができませんでした。

 年月を重ね、 悲しみがかさぶたのように 固まっていく気もしますが、

 犯人を許せないという思いが 風化することはありません。

「 犯人は死刑になったら、 それで終わりかもしれない。

 でも、 私たちは死ぬまで 事件を引きずって生きていく。

 無期懲役にされたようなものです。」

〔読売新聞より〕
 
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執行 …… 迫る刑の重み -- かえらぬ命 (4)

2009年04月26日 22時29分58秒 | 死刑制度と癒し
 
 1994年、 平野勇は 牧場に押し入って 50万円を奪い、

 犯行を隠すため 放火。

 渡辺夫妻が焼死しました。

 娘の早月 (さつき) さん (当時45才) は、

「 平野被告に 両親と同じ苦しみを 味わわせたい」 と思い続け、

「 自分の手で 八つ裂きにしてやりたい」 と 本気で思いました。

 平野被告の両親の 住所を調べ、 訪ねて行ったこともあるそうです。

「 どんな育て方をした」 と問い詰めるつもりで、 玄関のベルを鳴らしました。

 幸か不幸か 留守でした。

 約12年後、 最高裁で 死刑判決を聞いたとき、

 早月さんは とても満足な気持ちだった ということです。

 弟の滋彦さんたちと、

「 執行されるまで5年、 10年もかかるんだろうね」 と会話を交わしました。

 その2年後、 刑が執行されました。

 滋彦さんは思います。

「 両親は 私たちがいつまでも 事件を引きずって、

 犯人への恨みの中で 生きていくことを 望んでいない気がする。

 これからはできるだけ、 そういう感情から離れたい 」

 早月さんが 刑の執行を知った時に 感じたのは、

「 何とも言えない 生理的な拒否感」 だったといいます。

「 まるで手の中で 生きた虫を 握りつぶしてしまったような、

 ざらっとした 嫌な気持ちだった 」

「 今回の事件で、 父と母が 平野死刑囚に殺され、

 平野死刑囚もまた、 国家の手によって 人為的に殺された 」

 という気がしてなりません。

 早月さんは、 死刑は必要だと思っています。

 ただ、 刑が執行されて 初めて知りました。

 死刑というものが、 あんなにまで生々しく、

 自分に迫ってくる ということを。

〔読売新聞より〕
 
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犯人の命ください -- かえらぬ命 (3)

2009年04月25日 20時38分21秒 | 死刑制度と癒し
 
 2004年12月、 一人暮らしの奈々さん (当時18才) は

 帰宅途中、 公園に引きずり込まれて 絞殺されました。

 3ヶ月後、 土木作業員の鈴木泰徳 (39) が逮捕され、

 1ヶ月余りの間に 奈々さんら3人の女性を 殺害したと自供しました。

 幼い二人の子供がいながら、 パチンコや酒で 借金を重ね、

 ストレスを溜めた末、 乱暴目的で 一人歩きの女性を探していたのです。

 父・ 寿 (ひさし) さんは、 死刑は当然と 考えていました。

 が、 母・ 博子さんは そう思えなかったのです。

 奈々さんは 難病である膠原病を抱え、 養護学校に通っていました。

 博子さんが見舞いに 養護学校を訪ねると、

 懸命に車椅子を動かす 筋ジストロフィーや 心臓病の子供に出会います。

「 長く生きられないことが分かっていても、 懸命に生きている。

 そんな子供たちを見て、

 生きていける命を ほかからの力で奪うことに 抵抗を感じていました 」

 第8回公判で 博子さんは意見陳述に立ちました。

 死刑でなく 終身刑を求める気持ちで 話し始めましたが、

 途中から 感情が溢れだしてきました。

「 私たちは 成長した奈々に会えないのに、

 犯人は 大きくなった我が子に会える。

 それだけは許さない……。

 私の心は どこまで醜くなるのでしょう。

 やっぱり 犯人の命をください……」

 地裁、 高裁とも 死刑判決が下り、 鈴木被告は上告しています。

 博子さんは 声を震わせます。

「 罪のない(犯人の)子供が 親に会えないことを願うなんて、

 おかしいと自分でも思う。

 でも、 もし被告が 無期懲役になることを考えると…… 」

 寿さんは語りました。

「 命の大切さを 分かっている妻は、 犯人の死を望む 自分を責めてきました。

 こんな思いをする家族を もう出さないためにも、

 落ち度のない人を殺せば 死刑だということを 示すしかないと思います 」

〔読売新聞より〕
 
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娘 奪われたつらさ 伝えたい -- かえらぬ命 (2)

2009年04月24日 11時14分59秒 | 死刑制度と癒し
 
 2000年、 宇都宮市の宝石店で 貴金属を奪い、

 女性従業員6人の 手足を縛って、

 生きたままガソリンをまいて 火を点けた篠沢死刑囚。

 被害者の一人・ 正恵さんの遺体は 損傷が激しく、

 父親は 死に顔を見ることも 抱き締めてやることもできませんでした。

「 熱かったね……、 苦しかったね…… 」

 そう声をかけるのが 精一杯でした。

 事件から8年半、 事件のことばかり 考えてはいけないと思いつつ、

 心から笑うことができません。

「 自分たちだけが 楽しんでいいのか? 」

「 犯人を憎むことが 生きがいになってしまった 」

 父は 証言台ではっきり  「極刑を望みます」 と言った。

「 悔しさと怒りで、 相手の死を願うことへの 抵抗感は全くなかった 」

 父親は 篠沢死刑囚が何を考え、

 事件を反省しているのか 知りたいと思うようになりました。

 直接会って、 親の辛い気持ちを 伝えたいと。

 しかし 死刑囚に面会できるのは 親族や弁護士, 数人の知人の他は、

 拘置所が特別に 必要と認めた人だけです。

 死刑囚本人が望まない限り、

 被害者の遺族が 面会できる可能性は ほとんどありません。

 それでも父親は 強く思っています。

「 罪の重さを知り、 心から反省してから 刑を執行されてほしい 」

〔読売新聞より〕
 
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遺族になって 考え変わった -- かえらぬ命 (1)

2009年04月23日 23時05分06秒 | 死刑制度と癒し
 
 裁判員制度も 目前に迫ってきました。

 少し前の 記事になりますが、

 読売新聞に連載されていた 死刑シリーズを紹介します。

------------------------------------

 オウム真理教の犠牲になった 阪本堤弁護士,

 妻の都子(さとこ) さん, 長男龍彦ちゃん (当時1歳)。

 都子さんの父・ 友之さんは、 次のような言葉を 残しています。

「 (犯人たちは) 死刑になるでしょうが、

 1回には殺したくない という気持ちです。

 死刑台に 載せては下ろし、 載せては下ろし、

 何日もやってもらいたいです。

 都子の分、 堤の分、 そして龍彦の分を やってやりたいです。」

 友之さんは 死刑制度にずっと疑問を感じ、

 死刑のない社会が 理想だと思っていました。

 都子さんにも  「人の命は地球より重い」 と言い聞かせ、

 都子さんは 人の痛みを感じられる 娘に育ちました。

 都子さんは 死刑制度を良いと 思っていなかったでしょう。

 阪本弁護士も 国が人を殺すことに 疑問を持ち、 死刑に反対の立場でした。

 しかし友之さんは、 当事者になって 考えが変わりました。

 死刑制度があって良かったと。


 一方、 死刑が確定した教団幹部の、 延命を望む遺族がいます。

 信者になった家族の 脱会活動をしている  「家族の会」は、

 阪本弁護士一家殺害の 実行犯・岡崎死刑囚の 執行停止を求め、

 4000人分の署名を集めました。

 「家族の会」 会長で、

 自らも教団に襲撃され 生死の堺をさまよった 永岡さんは、

 岡崎死刑囚に面会して 伝えました。

「 少しでも生き延びて、 教団に残る信者に、

 教団の誤りを 気付かせてほしい。」

 永岡さんは語ります。

「 教団に子供を奪われた 親たちにとって、

 (幹部の存在は) わずかな希望でもある。

 ただ、 犠牲者の遺族の方々には

 納得していただけないことも 理解している。」

〔読売新聞より〕
 
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裁判員 悩む宗教界

2009年01月15日 19時33分49秒 | 死刑制度と癒し
 
 1月11日・ 読売新聞の記事からです。

 死刑判決もあり得る 裁判員制度を前に、

 人々の心の救済を 求める宗教の、 社会への関わり方が 問われています。

 裁判員制度では、 「人を裁きたくない」 という理由だけでは、

 裁判員を辞退できません。

 しかし、 宗教上の理由で 裁けない人もいるため、

 「裁判参加で 精神上の重大な 不利益が生じる」 と

 裁判官が判断した 場合に限り、 辞退が認められることになりました。

 浄土真宗では、

 「人間は誰でも 罪を犯す可能性を持つ 弱い存在」 と 説いています。

 「そんな自分が 他人を裁いていいのか」 と、

 抵抗感を持つ 僧侶や信者も多いといいます。

 浄土真宗の中で 死刑制度に反対している 真宗大谷派は、

 「裁判員に選ばれたら、 真宗門徒として

 死刑という判断はしない 態度が大切だ」 と述べました。

 禅宗の曹洞宗では、 「人を裁くことはできないと 思う一方、

 宗教者としての意見を しっかり述べることが大切」 と 悩む僧侶もいます。

 新約聖書で 「人を裁いてはならない」 とする キリスト教の、

 カトリック中央協議会。

 「私的な裁きは 認められないが、

 法治国家の 正式な裁判制度まで 否定はしていない。

 ただ、 被告の人権への配慮や 国民の充分な理解が必要だ」 としています。

 プロテスタントの神召教会・ 山城晴夫牧師 〔*注〕 は、

 「様々な考え方があり得るが、 非常に重い問題で、

 すぐには答が出ない」 と 話しました。

〔*注: 奇遇にも、 心子が通っていた教会の 牧師先生です。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57390375.html〕

 神社本庁は、 「国民の義務として、

 裁判員に選ばれたら 原則参加する」 という立場です。

 裁判員制度や死刑と 教義との関わりを どう説明するか、

 どの宗教にも 降りかかってきます。

 裁判官もまた、 裁判員の選任手続きで 個々の内面を どこまで考慮するか、

 難しい問題に直面するでしょう。
 
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法相 サインの重責 -- 死刑執行の現実 (10)

2008年11月20日 20時36分48秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の日記からの続き)

「 裁判記録は熟読したが、 目を通す前から、

 死刑執行命令書に 判を押さないと決めていた」

 91年、 佐藤恵元法相は、 真宗大谷派の住職でした。

「 仏教の教えからも、

 生まれてきた人の命を 勝手に絶つことは許されない 」

 一方、 同じ浄土真宗の 陣内孝雄元法相は、

 99年、 3人の死刑囚の 執行命令書にサインしました。

 3人とも 殺人を犯して服役し、 仮出所中に再び 人の命を奪ったのです。

「 被害者は どんなに怖かっただろう。 法秩序を守るためだ 」

 執行の数日後、 陣内法相は妻と共に 築地本願寺を訪ね、

 被害者と死刑囚の 供養をしたといいます。


 戦後、 死刑の執行は、76年まで 年間10人を超えていました。

 しかしその後 92年までは、 年平均1.4人という 時期が続きました。

 70年代末、 死刑囚の再審開始が相次ぎ、

 死刑制度を疑問視する 声が強まったのです。

 特に 佐藤元法相を含む 89~92年は、

 死刑執行のない 空白期間となりました。

 93年、 後藤田元法相は、

「 法相が責任を回避したら 国の秩序が揺らぐ 」として、 執行を再開しました。

 ただし、 反対論もあるため、 法相が国会で 説明に追われずに済むよう、

 国会開催中の執行は 避けられました。

 前任の鳩山元法相は、 国会の状況を問わず、

 ほぼ2ヶ月に1度のペースで 計13人の執行を命令しました。

 その都度、 執行対象者の氏名を公表し、 記者会見を開くようになりました。

 7ヶ月後には 裁判員制度の施行が迫っています。

「 死刑について 裁判員に 的確に判断してもらうには、

 刑の執行を 透明化しなければならない 」

 保岡前法相は そう指摘しています。

〔読売新聞より〕

(以上)
 
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ボタン押す重圧 -- 死刑執行の現実 (9)

2008年11月19日 22時13分46秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 退官した ある刑務官は、

 自分が関わった死刑執行を 鮮明に記憶しているといいます。

 薄暗い 3畳ほどの狭い部屋、

 コンクリートの壁に 赤いボタンが5つ並んでいます。

 壁の向こうは刑場です。

 5つのボタンのうちどれかが、 刑場の踏み板に連動しています。

 頭上の赤いランプが 点灯し、 「押せ」 と 看守部長の声とともに、

 親指で思い切り ボタンを押し込みました。

「 使命を果たせた という思いとともに、 緊張が解け、 力が抜けた 」

 執行命令書にサインする 法務大臣以上に、 刑務官はつらいでしょう。

 執行に伴う 刑務官の特殊勤務手当は 2万円だそうです。

 事前に幹部が、

 ひとつのボタンの回線を 踏み板につなげる 作業をしておきます。

 どのボタンなのかは 墓場までの秘密です。

( ボタンの数は 拘置所によって異なります。 )

 執行当日は 10人ほどの刑務官が 選ばれます。

 ボタンを押す役のほか、 死刑囚を 独房から刑場に 連れてくる役、

 踏み台の上に 立たせる役などに分かれます。

 一人の刑務官は、

 死刑囚が落下した反動で 揺れるロープを 両手で握りしめる役でした。

「 さっきまで生きていた人が 目の前で亡くなる。

 ショックでした」

 執行に関わったことを、

 同僚や家族にさえ 話せないという刑務官は 多くいます。

「 妻に話したら、妻はどんなに ショックを受けるだろうと思うと、

 とてもその勇気はない。

 今の小さな幸福を 守るために、 絶対 妻に秘密にしておきたい 」

 元所長を務めた 刑務官は、

 刑場に入ってきた 死刑囚に、 自ら 「今から執行します」 と 告げました。

「 刑務官として働いた 40年間で、 あれほど 重圧がかかったことはない 」

 その死刑囚の命日には、 自宅の仏壇に向かって 手を合わせます。

 刑務官の苦悩は大きいが、 誰かが やらなくてはいけない仕事だと、

 今も信じている といいます。

〔読売新聞より〕

(次の記事に続く)
 
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教誨 物心両面に負担 -- 死刑執行の現実 (8)

2008年11月18日 22時56分27秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 教誨師を30年以上務めた 僧侶は、

 執行直前の教誨をして 死刑囚と別れたあと、

 閉じられたカーテンの奥から  「ガタン!」 という音を 聞きました。

 その日の夜は、 動揺を抑えられなかったそうです。

「 被害者の不幸は悲しい。

 しかし、そのために何故、 加害者が死ななければならないのか 」

 宗教家として 命の尊さを説いているのに、

 死刑執行の一端を担う ジレンマを感じる 教誨師は少なくありません。

「 執行の日は 心が重すぎて 一人でいられず、

 拘置所から帰ると、 教会の人たちに 一緒にお祈りをしてもらう。

 本当は 教誨師をやめたい 」

 真言宗大谷派は 1998年、

 死刑は 宗派の教義に反するという 見解を発表しました。

 しかし 仏教系のある教誨師は、

「 死刑となる人に向き合い、 罪を自覚できる 内面を育てるのが 我々の仕事。

 死刑への疑問を 口にするべきではない 」と 自戒します。


 教誨師に負わされるのは 精神的負担だけではありません。

 経済的負担も のしかかります。

 犯罪被害者の気持ちを知るためなどの 研修会を開くと、

 何百万円もの持ち出しに なるといいます。

 刑場に置かれている 仏像の修理費100万円は、

 教誨師たちが出し合いました。

 国が活動費を支給している 保護司とは対照的です。

 教誨師に対する 国の支出は 交通費のみで、 年間約6600万円。

 一方保護司は 年間58億円です。

 しかし国には 政教分離の原則があるため、

 国が関与することは 難しいといいます。

 最近の拘置所職員は、 国は宗教を 押しつけられないとして、

 死刑囚に教誨を 熱心に勧めないそうです。

 死刑囚が急増しているわりに、

 教誨を受けるケースは 増えていないということです。

 後継者難も深刻化しています。

 国が真剣に考える時期に 来ているのではないでしょうか。

〔読売新聞より〕

(次の日記に続く)
 
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