「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

満期出所  直後に再犯 -- 明日の課題 (3)

2011年01月14日 21時08分44秒 | 罪,裁き,償い
 
 軽度の知的障害がある受刑者 (79) は、

 放火や放火未遂で 10回服役し、 刑務所暮らしは40年を超えています。

 前回の出所時にも、  「行く所がないから すぐ戻ってくるよ」 と言っていました。

 路上生活を始めた受刑者は、 生活保護の窓口を訪れましたが 交通費を渡されただけ。

 その日の深夜、 駅構内で 警察官から退去を求められ、

 数時間後、 駅に火を放ちます。

 再び刑務所に戻るため 火をつけたとされました。

 ホームレス支援機構の奥田さん (47) は、

 この受刑者を救えなかったことに 自責の念に駆られました。

 「放火は罪として 裁かれるのは当然。

 でもこの人は 何度も刑務所から 社会に投げ渡され、

 どの公的機関も 手を差し伸べなかった」

 満期出所者のうち、 引き受け先がないまま 出所した人は、 09年は約6700人。

 00年より倍増し、 満期出所者の半数近くです。

 受刑者の高齢化や 不況が背景にあります。

 65才以上の満期出所者の約7割が、 5年以内に再び 刑務所に入るなど、

 特に高齢者と知的障害者が 出所後に困窮し、 再犯に至る現状があります。

 それを受け、  「地域生活定着支援センター」 の 設置が始まりました。

 引き受け先がない 高齢者や障害者に対し、

 服役中から センターの職員が面会し、 生活保護や住居斡旋に 繋げる仕組みです。

 先の受刑者の裁判では、

 「出所後、 格別の支援も受けず 社会に適応できなかったのは 酌むべき事情」

 とされ、 求刑の懲役18年に対して 10年が言い渡されました。

 奥田さんは 拘置施設で受刑者に面会します。

 「絶対に 生きて出ないといかん。

 刑務所以外にも 行き場があることを、 最後に皆に示すんだ。

 必ず 迎えに行くから」

 受刑者は 声を上げて泣きました。

〔 読売新聞より 〕
 
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進む 「終身刑化」 -- 明日の課題 (2)

2011年01月13日 21時00分05秒 | 罪,裁き,償い
 
 金銭目的で女性を殺害した 無期懲役の男 (50) は、

 一日だけでもいいから 外に出て、 ご遺族に謝りたいと言いました。

 刑務所に来た当初、 刑務官から

 「十数年での仮釈放を目指して 頑張れ」 と 励まされました。

 被害者女性の遺族に 謝罪の気持ちを伝え続け、

 5年経った頃、 手紙を受け取ってもいいという 意向が伝えられました。

 ところが、 目標にしていた年数になった 2000年頃から、

 無期囚の仮釈放が 急に難しくなっていきました。

 仮釈放を懸念する 被害者遺族の感情が、 重視されるようになったためです。

 長期服役しても 心から反省できない 加害者がいることも事実で、

 遺族は 新たな犯行を恐れます。

 けれども この男の場合、 遺族の処罰感情も 多少和らぎ、

 所内での規則違反もありません。

 それでも 仮釈放は認められていません。

 05~09年、 刑務所で死亡した 無期囚は61人で、 仮釈放者の2倍半。

 無期囚の 「終身刑化」 が進んでいます。

 以前は、 更生に励めば 早く出られるという 期待がありました。

 しかし 最近入所する無期囚は、 「真面目に過ごしても無駄だ」 と 言い、

 平気で反則をするといいます。

 無期囚の服役の長期化は、 仮釈放者の高齢化ももたらしています。

 40年余り服役した 元無期囚は、

 70才目前で出所しましたが、 仕事は見つからず、

 逮捕前は50円だったラーメンが 今は10倍もすることに 苛立ちを見せました。

 このままでは、 40年間の刑務作業で稼いだ 百数十万円を食いつぶすだけだと、

 不安を隠せません。

 今後は 孤独に生きるしかないといいます。

 生き直す契機としての 刑罰の意味が、 見えにくくなっています。

〔 読売新聞より 〕
 
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増える無期囚  どう処遇 -- 明日の課題 (1)

2011年01月12日 21時47分04秒 | 罪,裁き,償い
 
 昨年11月の読売新聞  「罪と罰」 第4部に、

 犯罪者の処遇関する記事が 連載されていました。

 犯罪者を更生させるための制度が、 随所で機能不全を起こしているということです。

 記事の引用・ 要約を 書かせていただきます。

 -------------------------------------

 全国の刑務所で 無期囚が急増しています。

 91年には870人でしたが、 09年末には 倍の1772人に達しました。

 被害者感情を重視する 世論の影響で、 90年代後半から量刑が重くなり、

 仮釈放も認められにくくなりました。

 06年には136人の無期囚が 新たに加わりましたが、 仮釈放は3人だけでした。

 以前は、 服役して10数年で仮釈放される 無期囚が少なくありませんでしたが、

 この数年は 出所できた少数の者でさえ、 平均刑期は30年前後です。

 閉鎖空間に長くいることで、 幻覚などの 「拘禁反応」 を発症したり、

 高齢で 身体の疾患にかかるケースも 多くあります。

 一般の刑務所で 治療が難しくなると、 全国4ヶ所の 医療刑務所に移されます。

 しかし隔離された環境では 治療に限界があり、

 症状が改善されなければ 一般刑務所に戻れず、 仮釈放の可能性も低いままです。
 

 用もないのに 呼び出し用のランプを 一日中点滅させる受刑者。

 「死ねという声が聞こえる」 と言う受刑者。

 トラブルが絶えない独房を、 刑務官は一人で 巡回しなければなりません。

 けれども 職員の数が足りず、

 受刑者一人一人に 時間をかけて 改善させることができないのが現状です。

〔 読売新聞より 〕
 
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「孤独にさせぬ」  雇う社長 -- 更生への道 (10)

2010年07月11日 20時55分30秒 | 罪,裁き,償い
 
 元調理師の男性 (52才) は、 窃盗を繰り返し、 2年あまり服役しました。

 妻子とは縁が切れ、 出所後は更生保護施設を頼り、

 前歴を隠して 職を探しましたが、 全て断られました。

 そして、 施設の掲示板に 求人を出していた、 土木建設会社に連絡を取りました。

 社長から、  「前歴も悩みも ありのままに話していい」 と 声をかけられ、

 気持ちが軽くなりました。

 この土木会社は、 出所者を受け入れる  「協力雇用主」 として 法務省に登録。

 今では 約100人の従業員のうち、 2~3割が出所者です。

 きっかけは、 窃盗事件の捜査に 協力したことでした。

 社長は、 「積極的に出所者を雇い、 会社を 再犯の歯止めにできないか」

 と考えました。

 出所者が再犯を繰り返すのは、 孤独だからだと思うのです。

 再犯者の7割以上は 無職の人です。

 法務省は 協力雇用主の拡大に 力を入れ、 10年前の約2倍になりました。

 しかし 中には、 出所者を雇っても 多くが短期間で辞めていったり、

 無断欠勤で 現場の作業が滞ることも 少なくありません。

 協力雇用主による雇用者は、

 07年の685人をピークに、 今年5月は505人でした。

 
 ある協力雇用主は、 強盗殺人などで無期懲役刑を受けた 元受刑者 (78) を、

 7年間雇い続けました。

 従業員とトラブルを起こしても 社長はかばい、前歴が知られないよう 気遣いました。

 元受刑者は、 被害者の墓参りを 毎年続けたことが 評価され、

 恩赦で刑の執行が 免除されました。

 「重罪をどう償うかは 本人の問題で、 過去を理由に 雇わないのはよくない。

 働くことで更生したいという 意思があるなら、

 誰かが 寄り添わなくてはいけない。」

 社長は そう信じています。

〔 読売新聞 「罪と罰 -- 更生への道」 より 〕
 
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「再犯が心配」  「支援に理解を」 -- 更生への道 (9)

2010年07月10日 22時09分51秒 | 罪,裁き,償い
 
(前の記事からの続き)

 これまで、 引受先のない仮釈放者の 受け入れは、

 民間の更生保護施設が 担ってきました。

 しかし、 現在104ヶ所で 数が足りない上、

 性犯罪や薬物犯罪の受刑者は なかなか地域の理解が得られません。

 2005年、 民間施設にいた 仮釈放中の男が、

 スーパーで乳幼児ら3人を 殺傷する事件を 起こしたのをきっかけに、

 処遇の難しい人を 国が引き受け、 指導する構想が浮かびました。

 自立センターの第一号は、 地元の反対を受けて、 法務省が代替地を探し、

 昨年6月に開設しました。

 住宅がまばらな 港湾地区です。

 ここでも反対があり、 入所者が通勤するときは、 最寄りの駅まで 車で送迎し、

 休みの日も 近所を一人で 歩かせないようにしています。

 これまで 20人が入所しましたが、 地域とのトラブルは 起きていません。

 民間の更生保護施設の中には、

 当初反対されましたが、 住民の理解を 得つつある所もあります。

 施設を建て替えようとしたとき 反対運動が起き、 20年間 再開できませんでした。

 今は 地域との融和を図るため、 公園清掃を請け負っています。

 入所者の仕事ぶりを見て、 個人で仕事を頼む 住民も出てきました。

 他方、 強い反対を受けた 自立センターでは、

 性犯罪者は 将来も入所させないことを 決めました。

 民間施設で受け入れ困難な人を 監督, 支援するという

 当初の理念は後退しています。

 法務省の処遇企画官は こう話します。

 「満期釈放で 社会に放り出されるより、

 仮釈放して 保護観察官が指導するほうが 再犯の可能性は低い。

 何とか理解を お願いしたい」

〔 読売新聞 「罪と罰 -- 更生への道」 より 〕
 
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自立センター  悩む住民 -- 更生への道 (8)

2010年07月09日 21時14分19秒 | 罪,裁き,償い
 
 自立更生促進センターは、 帰る先のない 仮釈放者が滞在して、

 自立の準備をする 国の施設です。

 その開所に反対する 地元中学校の保護者会が、

 反対の署名への依頼文を 生徒に配りました。

 開所を公表していた 保護観察所は、 市教育委員会に 非難の意思を表しました。

 「差別と排除の論理を 助長する活動が、

 学校現場で行なわれているとすれば、 憂慮せざるを得ない」

 センターの場所は 学校が多い地区で、 再犯を懸念する 住民の反対は根強く、

 250人がデモ行進を行なうなど、 対立しています。

 ある中学教諭は、 開所反対の署名を頼まれましたが 断りました。

 「生徒が失敗しても やり直せると信じるのが 教師。

 それは センターの理念は同じ」 と 思ったのです。

 けれども その後、 友人の女性が 性暴力の被害に遭いかけ、

 犯罪は身近でも起きると 実感しました。

 「生徒に何かあったら と思うと……」

 今は 反対の立場を取っています。

 一方、 最初は反対の署名をし、 その後、

 窃盗で服役中の男と 面会するようになった人がいます。

 男は 帰る場所がなく、

 「苦悩を背負っていくのも 私に課せられた試練」 と、

 手紙に 罪への悔いをつづります。

 「支援がないと 同じことを繰り返してしまうのでは」

 その人はそう思い、

 センター運営に 協力する会を結成して、 知人らに理解を求めています。

〔 読売新聞 「罪と罰 -- 更生への道」 より 〕

(次の記事に続く)
 
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行き場のない 満期出所者 -- 更生への道 (7)

2010年07月07日 22時02分34秒 | 罪,裁き,償い
 
 服役中に仮釈放がなく、 刑期を 満期で終えた出所者は、

 不況下でもあり、 出所しても 簡単に仕事は見つかりません。

 仮釈放が得られなかった 満期出所者は、

 服役態度が良好でなかった ということもあるかもしれません。

 ある満期出所者 (58才) は、

 出所時に持っていた 作業賞与金など約17万円で サウナなどに寝泊まりし、

 その後わずか1週間で 強盗殺人事件を起こしました。

 仮釈放なら保護観察が付き、 更生保護施設で職探しをしたり、

 刑期満了まで定期的に 保護司らが面接したりします。

 刑期を終えた満期出所者を、 行政が監視する 法的根拠はありません。

 出所から5年以内に 再び刑務所に戻る割合は、

 (08年の集計で) 仮釈放者が32%なのに対して、

 満期出所者が55%と はるかに高くなっています。

 別の満期出所者 (57才) も、 ネットカフェなどを泊まり歩きました。

 健康保険なしに 心臓病の診察を受けなければならず、

 28万円の賞与金は 見る間に減っていきました。

 受刑者支援で知られる 弁護士に電話すると、 生活保護を申請してくれました。

 今は 生活保護を受けながら、 清掃の仕事をしています。

 満期出所者は、 盗みや無銭飲食を重ねるうち 自暴自棄になり、

 凶悪犯罪に走ることもあります。

 満期出所者を 社会に軟着陸させる仕組みを、 今すぐ整えなければなりません。

〔 読売新聞 「罪と罰 -- 更生への道」 より 〕
 
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5000万恐喝 元少年の明暗 -- 更生への道 (6)

2010年07月06日 20時13分25秒 | 罪,裁き,償い
 
 99~00年、 少年17人が 一人の中学生から、

 計約5000万円を 恐喝するなどし、 教育界を揺るがした事件。

 地検は主犯格に 刑事罰を科すべきとしましたが、

 家裁は  「教育で 事件の重大性を認識させ、 思いやりを植えつけるべき」 と、

 中等少年院送致にしました。

 主犯格は 02年に少年院を出て、 家業を手伝っていましたが、

 やがて 昔の仲間との付き合いが 復活します。

 06年、 誘われて パチンコ店の店員に 暴行を加え、 約1200万円を強奪。

 恐喝事件のときに関わった、 元裁判官は語ります。

 「少年は 罪の深刻さに気付けば、 自分から変われることが多い。

 彼も 年相応の素直さはあったのに、 再犯は本当に残念」
 

 同じ恐喝事件を起こした もう一人の男性は、

 少年院仮退院後、 地元には戻らず、 更生保護施設に入りました。

 「自分は流されやすい。

 このまま帰れば、 以前の仲間とつるんでしまう」

 施設にいる間、 左官の仕事を経験し、

 自分が脅し取った数百万円は、 1年働いても 稼げない額だったことも知ります。

 施設で10ヶ月を送ったあと、 地元に戻ると、

 つい 昔の暴走族仲間に連絡し、 暴力団関係者と 食事をしたこともありました。

 そのとき、 少年院の窓の 鉄格子が頭に浮かびました。

 「二度と ああいう所へは戻りたくない」

 仕事を理由に断っていると、 誘いは来なくなりました。

 危うい場面に遭遇して 何とか踏みとどまれたのは、

 少年院や施設で 自分の芯ができていたからでしょう。

 今の職場は 勤続7年なり、 毎月3万円の 被害者への支払いも続けています。

〔 読売新聞 「罪と罰 -- 更生への道」 より 〕
 
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児童わいせつ 繰り返す息子 -- 更生への道 (5)

2010年07月03日 21時23分58秒 | 罪,裁き,償い
 
 元受刑者の男性 (34才) は、

 8才の男児に わいせつ行為をした罪で 服役しました。

 以前にも 同様の罪を犯し、

 男性の母親は  「小さい子には 絶対近寄らない」 と 約束させました。

 母親は、 息子はもうしないと 信じたいけれど、 確信は持てないと言います。

 法務省は05年から、 子供を狙った 暴力的性犯罪者について、

 出所後の行き先を 警察に通知しています。

 が、 それを地域住民に知らせることは 禁じられています。

 住民が元受刑者を 監視するようなやり方は、 彼らや家族の 孤立感を深め、

 かえって 社会復帰を阻害します。

 けれども、 地域の 防犯パトロール隊の隊長は、

 小学生の下校を見守りながら、 心が揺れています。

 「元受刑者のためには、 地域で温かく 受け入れることが望ましいが、

 不安も正直ある。

 防犯活動では、 彼のことを意識せざるを得ない」
 

 7才の男児を わいせつ目的で誘拐、 絞殺した男性 (当時17才) は、

 10年の服役後、 弁護士や法学部のゼミ生らに 度々激励会を開いてもらいました。

 それを 楽しみにする一方、 車で遠方へ出かけ、

 犯行を繰り返すようになっていました。

 「さびしい時に 小さい子に会うと、

 誘い込まれるように わいせつ行為に走ってしまう」

 男性に関わった准教授は、 こう話します。

 「彼と 就職や恋愛について、 本音で相談できる 関係を築けなかった。

 彼には、 覚悟と愛情を持って 一緒に生きていく人が 必要だった」

 男性の母親は 親子の縁を切ると 伝えましたが、 今は思い直しています。

 「被害者のことを きちんと考えさせ、 やり直させたい」

 男性は人生の大半を 刑務所で過ごすことになり、

 出所時には 50才になっています。

〔 読売新聞 「罪と罰 -- 更生への道」 より 〕
 
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性犯罪防止プログラム -- 更生への道 (4)

2010年07月02日 20時55分31秒 | 罪,裁き,償い
 
 性犯罪で2度服役し、 仮釈放された受刑者 (35才) は、

 民間の 「性犯罪防止プログラム」 を 受講しました。

 心理的なブレーキを かけるための対処法で、

 夜でも目につく色の 服を着る, 走りにくい靴を履く,

 顔が隠れる 帽子はかぶらないなど、 2年半はそれを守りました。

 「もう罪を犯さない 自分になった」 と思い、

 別の靴に変え、 再犯の歯止めを 自ら手放しました。

 間もなく、 立て続けに女性宅に侵入し、

 強盗強姦, 強制わいせつなど 4件を繰り返します。

 裁判員裁判での判決は、 懲役23年。

 犯罪傾向は容易に矯正しがたい と断じました。

 受刑者は、 「プログラムは効果があったが、 自分がしっかりやらなかった。

 懲役23年は 長いとは思わない」 と、 控訴はしませんでした。

 このプログラムでは、 最初の3ヶ月は週1回、

 グループで 体験を互いに語らせ、 犯行のリスクの 回避法を指導します。

 その後は 月1度の面談を続け、 効果を確かめます。

 油断せず 自分をコントロールすることが重要で、

 周りが対処法を 強制することはできません。

 06年9月以降、 仮釈放された性犯罪者らは、

 3ヶ月間5回の プログラム受講を義務づけられました。

 大切なのは、 被害者の痛みを知り、

 女性に対する考え方を 変えられるかどうかです。

〔 読売新聞 「罪と罰 -- 更生への道」 より 〕
 
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経歴隠し 孤独な日々--更生への道(3)

2010年07月01日 19時41分00秒 | 罪,裁き,償い
 
 男 (61才) は、 知人の女性に暴力をふるう 夫を刺殺し、

 懲役12年の刑を受け、 2年の刑期を残して 今年仮釈放されました。

 本当は、 数珠を肌身離さず持ち、 仕事の合間に 被害者の冥福を祈りたい。

 でも、 自分の過去を知らない 同僚の目が気になるのです。

 毎日 事件のことを振り返り、 般若心経を唱えます。

 ナイフで刺したときの感触、 被害者の苦しむ顔が 甦ります。

 妻子や親とは 縁が切れ、 更生保護施設で 求職活動を始めました。

 しかし 前歴を告げると、 立て続けに断られます。

 途中から経歴を偽り、 100社も回って やっと運送会社の 採用が決まりました。

 年下の同僚でも 相手を立て、 会話が弾むように 気を遣います。

 寡黙なために  「過去に何か あったんじゃないか」 と、

 噂されるのを避けるためです。

 もしも、ネットで 自分の事件のことが 知られたら、 そうなっても

 「戦力」 として認められるよう、 信用を高めるしかないと 覚悟を決めています。
 

 別の元受刑者 (60代) は、 借金苦から 無理心中を図って 妻と次男を殺し、

 3年前に仮釈放されました。

 「こんなに苦しみながら 生きていくより、 死んだ方がましだ」

 そんな男性に 生きる力を 取り戻させたのは、 小学校の同級生の女性でした。

 「辛い思いを抱えて 生きていくのが償いでしょう」

 女性はこう言います。

 「刑を終えて 社会に戻った人が やり直すには、

 前歴を知りながら 支える人が 必要だと思う」

 元受刑者は 最近、 自殺を考えなくなったことに 気付きました。

 「こんな自分でも 受け入れてくれる人が いると分かりましたから」
 
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恩赦後、 音信不通 -- 更生への道 (2)

2010年06月29日 21時47分01秒 | 罪,裁き,償い
 
 保険金目当てに 知り合いの女性を殺害し、 無期懲役が確定した受刑者。

 13年後に仮釈放されますが、

 刑務所で義務を果たしたという、 自分本位の姿勢が見られました。

 担当の保護観察官は 受刑者に、 遺族の苦しみを 繰り返して説き、

 「月5000ずつ積み立てて、 10万円ためて 遺族に謝りに行こう」

 と提案しました。

 そして 事件から30年後、 受刑者は仏壇の前で 畳に額を付けたのです。

 遺族の男性は 穏やかに受け入れました。

 「申し訳ないという 気持ちが伝わった。

 怨んでも 死んだものが生き返るわけでもないし……」

 付き添った保護司は、 加害者と被害者でも 分かり合えるものなのだと 感激します。

 受刑者はそれから 10ヶ月おきに2回、 5万円ずつを渡しました。

 それを見て観察官は、 恩赦を申請します。

 恩赦の伝達式で、 受刑者は 初めての涙を見せました。

 ところが その頃、 受刑者の部屋で 被害者の位牌は ほこりを被っていました。

 恩赦を堺に、 保護司と会う 義務はなくなり、 音信は途絶えました。

 元受刑者は高齢で 仕事を続けられなくなり、 翌年以降は 遺族とも会っていません。

 遺族は、 あの謝罪は何だったのがと、 納得がいきませんでした。

 元受刑者は昨年 病死し、 荼毘に付されました。

 保護司は わだかまりが残ります。

 「償いを促し続ける 支えがなくなってしまったのは、

 彼にとって良かったのだろうか」

〔 読売新聞 「罪と罰 -- 更生への道」 より 〕
 
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仮釈放 「償いの形」 自問 -- 更生への道 (1)

2010年06月28日 21時18分26秒 | 罪,裁き,償い
 
 読売新聞の 「罪と罰」 の シリーズ第3部。

 服役して 社会へ戻った人の、 更生への行方を 追っています。
 

 40年前、 盗み目的で住宅に入り、

 女子高生を包丁で刺殺してしまった 無期懲役囚は、

 毎朝 位牌に手を合わせ、 罪を自問し、 被害者の残像に 胸をかきむしられます。

 刑務所では模範的で、 刑務所長による 3度目の仮釈放申請がされました。

 更生保護委員会の委員長は、

 受刑者の 「悔恨の情」 「更生の意欲」 は認めました。

 しかし、 遺族の感情は峻烈で、 仮釈放者の再犯も絶えず、 判断に悩みます。

 2000年当時、 無期囚約千人のうち、 仮釈放を認められたのは 7人だけです。

 けれども委員長は、

 「仮釈放は、 生活に困らない 環境の有無で 判断すべきだ」 と考え、

 委員3人の合議で 仮釈放を許可しました。

 仮釈放された受刑者は、 遺族に謝罪しようと 故郷の事件現場を目指します。

 ところが 街並みは全く変わってしまい、 遺族も転居していました。

 保護観察所に出向き、 遺族の意向を聞いてほしいと 依頼しましたが、

 「相手の感情を 害するかもしれない」 と断られます。

 「確かに、 自分が被害者の立場なら、 何の慰めにもならないだろう。

 謝罪は 自分が楽になりたいためではないのか?……」

 遺族の男性は こう語っています。

 「加害者には関わりたくない。

 謝罪も金もいらない。

 謝る気があるのなら、 私たちに分からないところで、

 社会に役に立つことを しているほうがいい。

 それで 許せるわけではないが……」

 更生保護委員長は、 受刑者に伝えたいと思います。

 「償いの形は ひとつではない。

 その気持ちさえ忘れずに 更生に励めば、 いつか必要なことが 見えるはずだ」

〔 読売新聞 「罪と罰 -- 更生への道」 より 〕
 
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裁判員制度、 施行1年 (2)

2010年06月05日 20時57分19秒 | 罪,裁き,償い
 
(前の記事からの続き)

 裁判員制度によって、 職業裁判官たちも とても勉強になり、

 大きな成長ができると 言っています。

 裁判員との議論で、 従来の裁判で 身に付いた垢が 落ちる感じがしたと、

 絶賛する裁判官がいました。

 従来の裁判より 手間がかかるが、 これまで当然と 思っていたことについて、

 原点に立ち返ることが多い という裁判官もいます。

 例えば、 性犯罪の量刑について、 裁判員は 自分や家族などが 被害者ならと考え、

 以前より 量刑が重くなる傾向が はっきりしています。

 今まで 法律家は、

 過去の事例と 不釣り合いになるのを恐れて、 妥当な刑を 決めてきたのでしょう。

 ある裁判官は、 性犯罪を考えるとき、

 裁判官としての立場と、 一個人としての感情とでは、 意見が異なると明言しました。

 その差を埋められるなら、 裁判員は意味があると言います。


 また、 多くの裁判員が、

 自分が担当した 被告の人生に 関心を持ち続けているそうです。

 特に 裁判員たちは、 被告の更生を 強く望んでいます。

 ある裁判員は、 被告人尋問の際、

 被告人に 「立ち直ってください」 と 励ましました。

 被告人尋問は、 被告に 事実や主張を聞くもので、 励ましの場ではありません。

 しかし裁判官は 制止しなかったそうです。

 被告人は 拝むように頭を下げて、 お礼を述べたといいます。

 別の裁判員は こう語りました。

 「今は 犯罪者におびえ、 排除するだけの社会。

 何らかの形で 更生させる道を作るのが、 裁判員としての仕事ではないか。」

〔 参考文献 : 読売新聞 「裁判員経験者の声」 〕
 
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裁判員制度、 施行1年 (1)

2010年06月04日 21時24分45秒 | 罪,裁き,償い
 
 裁判員制度が始まって 1年が経ち、 予想以上の成果が 見えてきたと思います。

 1年前、 裁判員制度が始まるとき 僕は、

 市民感覚を取り入れる 制度は必要だが、 準備不足で 時期尚早だと思っていました。

 しかし 実際にやってみると、

 裁判員経験者も司法関係者も、 得るものが とても多かったと言っています。

 裁判員になった人たちは、 皆 非常に真剣に 裁判に取り組んでいました。

 日本人は思ったよりも 思慮深く、 良識に富んでいたと思います。

 (常識のない人は、 事前の面接で 除外されるわけですが。)

 最高裁の調査によると、

 裁判員経験者の 実に96.7%が、 良い経験をしたと言っているそうです。

 自分の身に引き付けて、 事件を考える 契機になったようです。

 自分自身が 被害者に遭うことも、 犯罪を犯してしまうことも、

 明日は我が身と 感じた人もいます。

 また、 厳罰が犯罪の抑止力になる と考えていた人が、

 社会や家族の状況などの 背景が改善されなければ、

 再犯に結びつくと 思うようになったといいます。

 これは重要なポイントだと 僕は思います。

 次のように 語った人もいました。

 「人の罪について 深く考えることが 多く人に広がり、

 もしかしたら犯罪は この制度で減るのではないか」

 裁判員制度の 深い意義に触れる言葉ではないでしょうか。

〔 参考文献 : 読売新聞 「裁判員経験者の声」 〕

(次の記事に続く)
 
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