「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

木下あいりちゃん殺害事件判決(2)

2006年07月04日 16時59分29秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37116397.html からの続き)

 広島の小学1年生・木下あいりちゃんを 性的暴行のうえ殺害した、

 ペルー人・ホセ=マヌエル=トレス=ヤギ被告への 一審判決が

 本日 下されました。

 結果は、無期懲役。

 殺人事件の被害者が一人で 死刑判決が出たのは、

 最近5年間で 5件しかないそうです。

 いずれの場合も、殺人の前科があったり、仮釈放中の再犯だったり、

 身代金目的の誘拐,強姦が 合わさっていたりしています。

 でも、あいりちゃんと 父親・健一さんたちの苦悩や、

 ヤギ被告が母国でも 少女に性犯罪を4回犯していた ということなどを考えると、

 死刑判決を期待した向きも 少なくなかったでしょうか。

 
 今回 広島地裁が 死刑にしなかった理由は、下記の3つとされています。

1.前科の証拠がない。

2.計画性がない。

3.矯正不可能な 反社会性があるとは言えない。

 これに対しては、某TV番組で 次のような反論をしていました。

1.ICPO(国際警察)を通じてでも、証拠を収拾するべきではなかったか。

2.なぜ計画性があるほうが罪が重いのか。

  衝動的な性欲を満たすための 暴行のほうが悪質ではないか。

3.矯正できなかったら 裁判所が責任を取るのか。
 

 本村さんの 光市母子殺害事件にしても、

 TVのワイドショーやニュースでは 死刑を求める声が大半でした。

 今の僕は、絶対に死刑反対とは 主張できなくなっているのですが、

 それでも 究極の刑罰である死刑判決は、

 周到で精緻な 審理をつめた上での、例外的な結論であるべきではないか

 と思うものです。

 被害者が一人でも、少女への性的暴行殺人は死刑 ということになると、

 死刑囚は けた外れに増えてしまいます。

 加害者に対する 怒りの感情にまかせて、

 国家がそんなに 次々と人を殺していいのか、ということにならないでしょうか。

 今日は詳述できませんが、死刑制度の弊害は 数々あるということが、

 人々には あまり知られていないと思うのです。

 加害者が真に更生して、心の底から改悛し 苦しむことのほうが、

 本当に罪を償い、被害者,遺族の気持ちも 和らげることになるのではないか

 と、僕は思うのですが。

 それにしても、仮釈放なしの絶対的終身刑が 早急に必要です。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37191240.html
 


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木下あいりちゃん殺害事件判決(1)

2006年07月03日 18時59分31秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37055938.html からの続き)

 木下あいりちゃん殺害事件の 一審判決が、

 明日 広島地裁で出されるそうです。

 あいりちゃんの父親・健一さんは、検察が死刑を求刑した 翌日の新聞を見て、

 性犯罪や 事件の悲惨さのことが あまり書かれていない、と思ったそうです。

 このままでは、判決が下りたときも 同じような記事で終わってしまい、

 あいりちゃんや 性犯罪で苦しんでいる他の人たちにも、

 申し訳ないと思った といいます。

 なぜ 死刑が求刑されなければならないのか、それを世の中に理解してもらうには、

 性犯罪の内容も できるだけ報道することを、健一さんは求めたわけです。

 
 殺人事件で 被害者が一人のとき、従来の判例では 

 死刑判決はほとんど ありませんでした。

 しかし 被害者が幼い少女である場合、全く落ち度がなく,抵抗力もない

 という理由から、厳しい刑を科する必要性も 唱えられているようです。

 現在の刑法は 明治時代に制定されたものであり、財産などを守ることが中心で、

 女性の性の侵害は 重きが置かれていませんでした。

 もし 明日の公判で 死刑判決が下されたら、

 日本の死刑判断基準を 大きく変える判例になるでしょう。

 ただし、ヤギ被告に死刑判決が下されると、

 年間100人単位の死刑囚が 出ることになるといいます。

 感情的に流れるのではなく、今一度 慎重になる必要があるでしょう。

 
 殺害現場となった ヤギ被告のアパートは、現在は取り壊されて 駐車場になっています。

 地元では、現場を見て 精神状態が不安定になる人もいるそうで、

 その点では アパートがなくなったことは 良かったのでしょう。

 反面、事件が風化してしまうことが 懸念されます。

 ともあれ、明日の判決に注目したいと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37157659.html
 

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性犯罪被害者の実名報道(3)

2006年07月02日 09時45分46秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36886979.html からの続き)

 被害者側の生の声の訴えは、我々に非常に重いものを伝えてくれます。

 しかし、被害の実態や実名を 遺族が公表するかどうかは、

 人によって 気持ちが非常に異なるので難しいことです。

 遺族が被害者の人格を 大切にしたいと思うとき、

 被害者のかけがえのない存在を 人々の心に留めてほしい と思うか、

 被害のことを知らせたくない と思うか、

 どちらも否定できないことでしょう。
 

 一般的に性犯罪では 被害者の実名報道はされません。

 特に被害者が生きている場合、本人の衝撃の強さや傷の深さ、

 また周囲の偏見の大きさを考えると、実名は到底無理でしょう。

 でも、そういう事情のため 性暴力は表に出ず潜在化してしまい、

 その結果 被害者がさらに増え、傷つき苦しむことになってしまいます。

 そうならないために、本村さんや健一さんのような 勇気ある言動は貴重です。
 

 一方 インターネットなどによって、一旦出された情報が 簡単に悪用・濫用される状況があります。

 光市母子殺害事件でも、当時少年だった加害者の実名は 公表してはいけないにも拘らず、

 僕もネット上で その名前を見ることになってしまいました。

 また、取材を受ける側が その結果の重大性を予想できないまま、

 実名を出してしまい、あとで困却してしまうケースもあります。

 マスコミ報道はどうするべきか、多面的に熟慮しなければなりません。

 また 報道を受けた我々のほうも、実名や実態を明かしてくれた被害者のことを、

 自分の身に置き換えて 考える必要があると思います。

 それが犯罪予防にもつながるでしょうし、

 これから始まる裁判員制度でも、量刑を考える際に重要なことでしょう。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37116397.html
 
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性犯罪被害者の実名報道(2)

2006年06月28日 11時44分59秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36847183.html からの続き)

 僕は独身だし 子供もいませんが、もし自分の娘が 性犯罪の被害を受けたら、

 それを公にすることができるだろうか と考えました。

 僕は 母親が脳出血で入院の末 肺炎で亡くなったとき、

 それだけでも、「そっとしておいてほしい」という気持ちになり、

 遺族の感情というのは こういうものなのだなと思いました。

 また、心子が亡くなったとき 彼女のお母さんは、

 心子が自殺だったため 近所の人にも葬儀を知らせず、

 心子が精神科に通院していたことを 知られるのも嫌いました。

 でも、僕は精神科や自死に対して 特に先入観はないので、

 それを人に話すことは はばかりませんでした。

 心子もカウンセラーであり、心の病などが理解されることを 望んでいたと思います。

 心子は生前、「あたしのことを書いて」 とも言っていましたし、

 心子のお母さんも 拙著「境界に生きた心子」を読んで、

 心子の内面が 理解されるように書かれてあるのを、とても喜んでくれました。
 

 本村さんは、妻・弥生さんが受けた 強姦という言葉を使うことを躊躇せず、

 弥生さんが強姦されたことによって、妻が辱められたとは思わない、と明言していました。

 一瞬驚きますが、強姦によって 被害者の人格が貶められたわけでもなく、

 何かが汚れたわけでもありませんから、

 僕には 本村さんの言葉がよく理解できます。

 例えば、自分の恋人が大怪我をしても 彼女が穢れたはずはないし、

 誰かに心を傷つけられても、それで彼女が卑しくなったなどとは 思わないのと同じでしょう。

 彼女の傷を回復し 癒してあげようとしこそすれ、

 レイプされた彼女を汚いと思って 別れるような男は最悪だと、僕は思っています。
 

 本村さんも、あいりちゃんの父親・健一さんも、被害者の実態が知られないために

 陰で苦しんでいる人たちがいる、という日本の現状のなかにあって、

 あえて真実を伝えていかなければ、さらに苦しむ人が増えることを防げない

 という使命感に 駆られているのでしょう。

 僕もそういう立場だったら、彼らと同じようにするかも知れませんし、

 僕が亡くなった被害者の場合でも、死を無駄にしてほしくないと 思うかも知れません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37055938.html
 
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性犯罪被害者の実名報道(1)

2006年06月27日 13時46分52秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 このところ連日のように、殺人や放火など 異常な事件が次々と報道されています。

 畠山鈴香容疑者による 剛憲君殺害事件をはじめてして、

 東大阪の男子大学生ら集団暴行事件、

 母子3人が死亡した 高1男子による奈良放火殺人事件、

 それを模倣した 福岡中1少年による自宅放火事件。

 そんななか、広島で昨年11月 ペルー人ヤギ被告に 性的暴行を受け殺害された、

 小1女児の父親が 心境を明らかにしました。(朝日新聞より)

 被害者の名前は 木下あいりちゃん、7才。

 これまでメディアは、あいりちゃんを匿名で報道してきました。

 しかし あいりちゃんの父親・健一さんは、被害の実態を社会に伝えるため、

 「性被害の事実も 出来る範囲で詳細に報道してほしい」 と要望しました。

 母親の夢にあいりちゃんが出てきて、

 「苦しんでいる人がたくさんいるんだよ、助けてあげて」 と話したそうです。

 「『助けてあげて』とは どういう意味なのか。

 7歳の女の子が受けた 衝撃と死に様、性的暴行の真実を、報道を通して伝えないと、

 多くの性犯罪被害者を 救えないということだと思うんです。

 なぜ検察側が 死刑を求刑せざるを得なかったか、(社会に)理解されない。」

 と、健一さんは語りました。

 それから、あいりちゃんの献花台に、

 同じような性犯罪の被害者からの 手紙が供えられていたそうです。

 健一さんは、つらい思いをしている人が他にもいるんだ と思ったということです。

 また、光市母子殺害事件の本村さんの活動にも 影響されたと言っています。
 

 「性的暴行は、女性にとって命を奪われるようなものです。

 あいりは二度死んだ」と健一さんは吐露しています。

 「娘は『広島の小1女児』ではなく、

 世界に1人しかいない 『木下あいり』なんです」

 という父親の言葉は 我々の胸を打ちます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36886979.html
 

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秋田豪憲君殺害事件--鈴香容疑者は反社会性人格障害? 

2006年06月15日 14時49分38秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 連日マスコミをにぎわせている、豪憲君殺害事件。

 その容疑者である 畠山鈴香が、反社会性人格障害だとか

 そこかしこで言われています。

 そういう傾向があるかもしれないとしても、

 診察や鑑定もしていない人間が、軽々にそんなことを言っていいのか と思います。

 何よりも僕は、「人格障害」に対する誤解が 広まってしまうことを恐れています。
 

 10種類ある人格障害のうち、反社会性人格障害はちょっと特別なものです。

 他の人格障害が、心理学的な基準で診断されるのに対し、

 反社会性人格障害は その診断基準が、社会的な行為に基づいています。

 つまり、反社会的・犯罪的な行為を繰り返す(そして良心の呵責を感じない)者を、

 「反社会性人格障害」とするという、トートロジー(同語反復)的なものです。

 例えば、心子のような境界性人格障害の人が、際限のない愛情を求めるあまり、

 結果的に相手を巻き込んでしまう というのとは、因果関係も異なります。

 反社会性人格障害は 精神医学的な基準というより、

 社会的な価値基準による診断だと、批判や議論を招いているところです。
 

(ちなみに、反社会性人格障害の原因は 生育歴によるものか、

 生物学的な要因によるものか、分かっていないようです。

 また、治療は極めて困難とされています。)
 

 凶悪で特異な事件が起こるたびに、犯人は人格障害と マスコミで喧伝され、

 人格障害 = 犯罪者 などと誤解されるのは、非常に遺憾なことです。

 心子が犯罪と全く無縁だったように、大部分の人格障害の人は 純粋すぎるために、

 誰よりも自分自身が 言い知れぬ生き辛さに苦しんでいます。

 人格障害の人は、自分自身を傷つけることはあっても、

 他人に危害を加えることは 多くありません。

 一番苦しんでいるのは、本人自身なのです。

 「人格障害」という言葉が 人々に知られないだけなら まだしも、

 誤解をされるというのは いたたまれないことです。

 人格障害が、多くの人たちに 正しく理解されることを、願ってやみません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51046836.html
 

[境界性人格障害のノンフィクション「境界に生きた心子」(新風舎)紹介のページ]
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/16276477.html
 
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