「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

畠山被告に無期懲役判決 (2)

2009年03月27日 00時11分46秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
(前の記事からの続き)

 真実は 解明されたとは言えず、 畠山被告の心の中は 今だ闇のようです。

 なぜ 二人の子どもの命が 奪われたのか、

 その理由が分からないままの 判決になってしまいました。

 法定では 裁判長が被告に、 次のような 異例の問いかけをしたそうです。

裁判長 「本当はどうだったのかということを 話してほしい」

被告 「裁判長は 私が嘘をついていると思いますか?」

裁判長 「不自然というか、 疑問なところが多い」

被告 「私も 自分の心の中が、 よく分からないんです」


 裁判員制度で、 このような審理を 扱う場合、

 一般の人は どのように考えるでしょう?

 分からないという人も 多いでしょうが、

 目に見えない 心理的現象の判断は、 職業裁判官にも難しいと思います。

 ちなみに、 弁護士でも 境界性パーソナリティ障害を理解している人は

 非常に少なく、 正当な審判が 進まないといいます。

 心の障害への理解が 深まることが、

 人を裁いたり 調停する場面でも、 ますます不可欠になってくるでしょう。
 
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畠山被告に無期懲役判決 (1)

2009年03月26日 00時14分08秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
(前の記事からの続き)

 秋田児童連続殺害事件の控訴審、

 仙台高裁秋田支部で 一審と同様、 無期懲役の判決が下されました。

 畠山被告が彩香ちゃんを 橋の欄干に乗せ、

 恐がって抱きついてきた 彩香ちゃんを突き落としたという、

 一審の事実認定が そのまま踏襲されました。

 解離性健忘を起こして、 事件 (事故) 当時の

 記憶がないという 精神鑑定は採用されませんでした。

 真実は 今の僕の立場では 分かりませんが、

 解離性健忘が 充分検討されなかったことは、

 とても 腑に落ちないものがあります。

 検察は 健忘など信じがたいと 述べていますが、

 健忘は 容易に起こるものだということが、

 なかなか理解されないのでしょうか。

 一審では、 豪憲くんを殺害した時点で、

 彩香ちゃん殺害の記憶が はっきりしていなかった、

 ということを認定しています。

 僕からすると、 今回は 後退してしまった判決である 感があります。

 控訴審では、 彩香ちゃんが落ちたあと 助けようともせずに帰ったのは、

 明白な殺意があったからだ としていますが、 それこそが正に、

 記憶をなくしていた (解離していた)  証であるとも言えます。

 また、 彩香ちゃんは事故死だという 警察の当初の見解に対して、

 畠山被告は事件だと 主張したことなどについても、

 控訴審では 疑問が残ります。

 しかし、 被告が事件 (事故) 時の 記憶を失っているとすると、

 説明がつきます。

 被告は 彩香ちゃんが行方不明になったと 信じているので、

 事件 (事故) 直後に 近所に聞いて回ったり、

 警察に事件としての 捜索を訴え、 ビラ配りまでしたわけです。

( 彩香ちゃんの死の状況に 不審な点があるので、

 事故ではなく 事件だと主張したようです。 )

 控訴審は 豪憲くん殺害の動機を、

 被告が捜査の矛先を 紛らわすためだとしました。

 しかし一審では、 自分の子どもがいなくなったのに、

 豪憲くんが元気でいるのを 妬ましく思ったとしています。

 彩香ちゃんが亡くなった時の 記憶がないことと合致します。

(次の記事に続く)
 
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畠山鈴香被告の 心の真相 (3)

2009年03月25日 14時26分37秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
(前の記事からの続き)

 長谷川教授は、

 捜査段階の供述には 被告の想像が加わっていて、 信用できないとします。

 心理検査でも、

 被告は 暗示に従って それを信じやすいという 結果が出ています。

 捜査員の誘導によって、

 覚えていない事実を 作り上げられてしまったというのです。

 彩香ちゃん殺害現場とされる 大沢橋ですが、

 その場所自体が 疑わしくなっています。

 地元の人たちも、 彩香ちゃんの遺体の状況などから、

 大沢橋に 疑問を持っています。

 捜査がずさんだったことが 指摘されています。


 教授は特別な方法で、 事件時の 被告の失われた記憶を

 断片的に呼び起こしました。

 接見を重ねるうち、 被告は震えながら、 幾つかの映像を 思い出しました。

 道路と橋の間の隙間, しゃがんでいる彩香ちゃん,

 (彩香ちゃんが持っていた) ピカチュー,

 そして、 「落ちて行った」。

 そのとき 被告の目から涙が流れ、 呼吸が荒くなり、

 自分の右手が見えた ということです。

 彩香ちゃんがピカチューを落とし、 それをつかもうとして、

 ガードレールの隙間から 誤って落ちたというのでしょうか? 

 被告が見た 自分の右手は、 彩香ちゃんを助けようとしたのか、

 突き落とそうとしたのか、 今の段階では分かりません。

 教授は、 自分の中で想像した ストーリーや希望, 願望、

 様々なものが バイアスとして入ってきた、

 一連の映像が 事実かどうかは 検証しないといけないと言います。

 それに、 思い出していない部分も あるのです。

 長谷川教授は 捜査段階の供述を 疑うべきとしましたが、

 その鑑定は 検察側の不同意で 採用されなかったということでした。


 人の心の真相の 不可思議さ。

 裁判員制度を控え、 我々は 真実を見極める難しさを

 改めて考えなければならないかもしれません。

(次の記事に続く)
 
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畠山鈴香被告の 心の真相 (2)

2009年03月24日 20時46分36秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
(前の記事からの続き)

 鈴香被告の 近所の人たちの話では、 彩香ちゃんが 汚い服装をさせられ、

 泣きながら出てきて 学校へ行く姿を よく見かけたそうです。

 けれども 彩香ちゃんの帰りが遅いときは、

 畠山被告は心配して 迎えに行ったり、

 普通の親子関係だったと 言う人もいます。

 被告の同級生は、 被告が夜、 彩香ちゃんを一人残して 買い物に行ったり、

 一緒に寝ていて 触られるのが嫌だと言っていた、 とも話しています。

 反対に 彩香ちゃんの友だちも 一緒に誘って、

 公園で遊んだりすることも あったというのです。

 こうした相反する態度を、 長谷川教授は 「分裂」 と説明しています。

 自分や他人を 全く正反対のものとして 受け取る,

 心のコンディションも 両極端になってしまう,

 子どももプラスに見えたり マイナスに見えたりするわけです。

 被告が 父親から受けた虐待が、

 分裂を引き起こす 原因のひとつだと 考えられます。

 親の機嫌によって 子どもの心のコンディションが 振れてしまう、

 成人してからも 刺激によって どちらかに振れる現象を 起こすのです。

 この極端な性質は、 「言語連想検査」 という 心理検査にも現れました。

 ある単語に対して 被験者は連想する言葉を、 できるだけ早く答えます。

 200の単語について これが繰り返され、

 被験者は思考が乱されて、 深層心理が現れるというものです。

(関連記事「ユングの連想実験」:
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/24115652.html )

 畠山被告の検査結果は、 母親や病院を 肯定的に捉える一方、

 父親や異性に 否定的な連想が出てきました。

 彩香ちゃんに対しても 両極の気持ちがあり、

 負の気持ちが出たときは 正の気持ちがなくなってしまいます。

 そして、 娘の死という 戦慄的なできごとのあとに 解離性健忘が起こり、

 そのときの記憶を 失ってしまったのです。

 健忘については、

 被告を以前から診ていた 診療所の医師は 演技であると言い、 また、

 被告は他にも 重大な記憶が飛んでいたことがあると 証言する親戚もいます。

(次の記事に続く)
 
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畠山鈴香被告の 心の真相 (1)

2009年03月23日 22時49分38秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 秋田連続児童殺害事件・ 畠山鈴香被告の 控訴審判決が、

 3月25日に言い渡されます。

 それを前にして TBS 「報道特集NEXT」 で、

 畠山鈴香の 精神鑑定の番組をやっていました。

 この事件では、 畠山被告が 娘の彩香ちゃんを

 橋の上から落下させて 殺害した、 とされています。

 しかし 畠山被告本人は、

 彩香ちゃんの死の場面の 記憶がないと供述しています。

 この裁判は 証拠が乏しくて、 被告の供述に頼るしかなく、

 真実は明らかになったのか という疑問の声があります。

 東海学院大学の長谷川教授が、

 弁護団から 畠山被告の精神鑑定を 依頼されました。

 長谷川教授は 被告の記憶について、 トラウマティックなできごとの直後に、

 その記憶を 無意識に封じ込めた、 「解離性健忘」 の可能性を述べています。

 彩香ちゃんの死という 恐ろしいことが起こり、

 それを覚えていると 自分の心が壊れてしまうので、

 それを防ぐため できごとを忘れてしまう というメカニズムです。

 教授は 被告の供述の信憑性や、 性格の特徴を鑑定するよう 委嘱されました。

 畠山被告と接見した教授は、 被告の性格を、

 低姿勢でおとなしく、 非社会的で、

 テレビで見た印象とは 異なると述べています。

 心理テストを行なうと、

 TV報道で見られた 「攻撃性」 は、 平均値を わずかに上回る程度でした。

 むしろ、 人に救いを求めるという 「求護(きゅうご)」 の欲求が、

 最高得点を示しました。

 また 「他者認知」 という、

 他人がどう思っているかを 知ろうとする欲求が、 異常な低さを示しました。

 畠山被告から教授の下に 届けられた手紙には、

 「 苦痛のない 静かな死が欲しい。

 死にたくて死にたくて 狂いそう」 だと書かれていました。

 教授に強い求護の欲求が 向かっています。

 次の手紙では、 遺族の気持ちが分からないと 訴えました。

 「 一番 分からなくてはいけない人間が、 何も分からないのです。

 訓練や努力をすれば、 分かるようになるのでしょうか 」

 教授はこれを、 人の気持ちが分からない  「障害」 だと述べています。

(次の記事に続く)
 
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三浦和義・元社長は 演技性パーソナリティ障害? 

2008年10月12日 13時55分25秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 ロス疑惑事件の 三浦和義が自殺。

 自殺の理由を含め、本当に疑惑に満ちた 事件でした。

 しかし 日本で殺人罪の共謀共同正犯は 無罪と確定しているのですから、

 一事不再理の原則で、日本の審判を重じるべきと 思っていました。

 厳密な法解釈は分かりませんが、日本にはない共謀罪も、

 共謀共同正犯の事実と 重なり合うので、ロス郡上級審の決定には 疑問を感じます。


 さて、その三浦和義氏ですが、

 彼は演技性パーソナリティ障害だと 言う人がいるようです。

 演技性パーソナリティ障害の診断基準には、次のようなものがあります。

・自分が注目の的になっていないと 楽しくない

・浅薄で素早く変化する 感情表出

・過度に印象的だが 内容がない話し方をする

・自己演劇化、 芝居がかった態度、 誇張した情緒表現

 もちろん 素人判断はできませんが、三浦氏に該当しそうです。

 演技性パーソナリティ障害は 過度な情緒性と、人の注意を引こうとする 言動で、

 天性の嘘つきと言われます。

 また 演技性パーソナリティ障害の人は、性的な魅力で 相手を誘惑し、

 そうすることでしか 自分の価値を感じられないという 特徴があります。

 性的なことに関する 診断基準は、次のものです。

・不適切なほど性的に誘惑的な、 挑発的な行動

・関心を引くために 絶えず身体的外見を用いる

 三浦氏は このような話は聞きませんでしたが、どうなのでしょう? 

 診断基準には あと2つあります。

・他人や環境の 影響を受けやすい

・対人関係を 実際以上に親密なものと見なす

 上記8つの診断項目のうち 5つ以上が当てはまると、

 演技性パーソナリティ障害とされます。

 性的な魅力に関して 典型的な例は、マドンナだといいます。

 典型的というよりも、セクシャルでスキャンダラスな マドンナの言動は、

 演技性パーソナリティ障害の診断基準さえ かすんでしまうそうです。

 診断概念より、マドンナの方が ずっと先を行ってしまっているのです。

 マドンナのような 天分に恵まれた人は、

 映像メディアが発達した現代では 活躍することがあります。

 でも 演技性パーソナリティ障害の人は、周囲の関心を 引こうとするあまり、

 逆に自分をダメにしたり、嫌われたりしてしまいます。

 華やかな外面とは 裏腹に、弱くて傷つきやすい 内面を持っており、

 急に落ち込んだり 不安にとらわれたりします。

 人に依存しているため、期待通りにいかないと 一遍にふさぎ込んでしまいます。

 三浦氏にも そういうところがあったのでしょうか? 
 
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秋田県連続児童殺害 判決要旨

2008年03月20日 16時04分08秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53321941.html からの続き)

 無期懲役という判決に対しては、人によって 様々な意見があることでしょう。

 被害者と同年代の子供を 持つ親にとっては、

 とても許せないという 感情もあるかもしれません。

 しかし判決では、殺意がとっさのものであり、

 計画的でないという理由で、極刑を回避しました。

 死刑は究極の刑であり、僅かでも ためらわれる事由があれば 免れるべきだし、

 僕は個人的には おおむね妥当な判決ではないか と思っています。

 ただ、彩香ちゃんを突き落としたのは スキンシップ障害による事故だと、

 畠山被告は主張していましたが、それは退けられ、殺意はあったとされました。

 僕も スキンシップ障害というのには 多少 違和感を感じましたが、

 いずれにしても 物証も目撃証言もなく、畠山被告の心の中を 探ることは、

 非常に難しい 作業だと思います。

 判決文の要約を 下に記しましたが、

 被告本人にさえ判らない、心の動きを 推認したものです。

 それを見極めなければならない、裁判の困難さを 表していると思います。

 これで 動機や責任能力などが、完全に解明されたとは 言えないとでしょう。

 最高裁まで 行くのかも知れませんが、

 どこまで “心の真実” が 解き明かされるのか? 

 裁判員制度が始まった時、国民は どんな判断ができるでしょう。

 犯罪という 心の闇には、

 人間の深層心理や 精神症状などが 深く関わる場合もあります。

 人格障害などが 誤解されるケースもあるかも知れず、

 人間の心に関する 理解の浸透が望まれます。

                   *

判決文要約

「被告は、彩香をかわいいとは思えない などの悩みを持っていた。

 父親から文句を言われ続け、激しいストレスを感じていた。

 彩香が 川で魚を見たいと 駄々をこね続けたので、

 暗いから見えないと 納得させようと思い、橋の上まで車で行った。

 それでも彩香が 帰ろうとしなかったので、急激に イライラした感情が高まり、

 彩香を欄干の上に乗せて 背中を押せば、彩香が消えてくれるのではないか と考えた。

 「それなら 橋の上に乗れば! 乗らないなら帰るよ!」と、

 彩香の腰を支えながら 欄干の上に乗せた。

 彩香が 「怖い」 と上半身をひねり、被告に抱きつこうとした瞬間、

 とっさに殺意を持って 彩香を押し返した。

 被告は 後悔と驚愕の念にかられ、

 自分のやったことを 信じたくないとの思いに 捕らわれはじめた。

 犯行の記憶を抑圧し、周囲に 「彩香が帰って来ない」 と 訴えるうち、

 本件が 事故ではなく事件だと 思い込むようになった。

 彩香のチラシを配るなどしたが 反応がなく、

 誘拐事件を起こせば、警察やマスコミも 耳を傾けるのではないかと考えた。

 豪憲に声をかけて 玄関に入れたとき、彩香がいない 切なさや嫉妬心と、

 彩香の死が 事件であると認めさせるのは 今しかないとの考えが、

 にわかに沸き上がり、とっさに殺害を決意した。

 苗村鑑定によれば、彩香殺害後、事件性を主張する中で、

 犯行の記憶の抑圧が 強化されていった。

 被告の 一見不可解と思われる言動を、精神医学的見地から 合理的に説明している。

 一方 西脇鑑定は、彩香殺害直後に 重篤な健忘が生じたとし、

 被告の公判供述に沿っている。

 しかし 事実認定などは納得できず、西脇鑑定は採用できない。

 犯行当時、被告には 完全責任能力が存した。」
 
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畠山被告 無期懲役判決

2008年03月19日 11時04分14秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 本日 午前10時過ぎ、畠山鈴香被告に 無期懲役判決が言い渡されました。

 極刑が予想されたが 意外だという向きがありますが、

 やはり弁護側の主張が 某か認められたのでしょう。

 現在 判決理由が読み上げられています。

(これから出かけるので、またあとで書きたいと思います。)
 
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畠山鈴香が 二重人格? 

2008年03月18日 22時43分33秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 秋田県連続児童殺害事件・ 畠山鈴香被告の一審判決が、明日 言い渡されます。

 読売新聞によると、精神鑑定の際に畠山被告は 日記を記したそうですが、

 それを読んだ 犯罪精神医学の教授は、畠山被告は二重人格に近い と述べています。

 彩香ちゃんに対して 愛情と虐待が同居している,彩香ちゃん殺害時の記憶がない,

 どうして豪憲君を殺害したのか 全く分からない、などの点からでしょう。

 心子も、亡くなったあとに 主治医の先生から、

 広義の多重人格だった と解釈されました。

 心子の場合、それぞれの人格が 完全には独立しておらず、

 記憶や体験も共有していた ということです。

 畠山被告も それに近いものなのでしょうか? 

 各人格が記憶,体験を共有していたり、していなかったりするケースも

 あるのかもしれません。

 畠山被告は、「何が起こったのか 知るのが怖い」

 「私が何かしたのだろうか? 考えたくないし 知りたくない。頭がしびれてくる」

 「これ以上生きているのは 辛く苦しい。私は死刑を願っています」

 などと書いています。

 罪を悔いているというより、真相と向き合う辛さから 逃れたいために、

 死を望んでいるようです。

 以前、「畠山鈴香被告は 反社会性人格障害ではない」 という 記事を書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51046836.html

 反社会性人格障害は、犯罪行為を繰り返して 良心の呵責を感じない

 というものですが、真実から逃げたくて死にたい という場合はどうなのでしょう? 

 自分が犯したことを知ると 良心の呵責に苦しむのが怖い、ということですから、

 やはり 反社会性人格障害ではないのではないでしょうか。

 いずれにしても、何らかの 精神症状を呈していたのは 確かだろうと思われ、

 検察側の主張する 殺害動機,計画性,責任能力などを、

 そのまま認めることは できないのではないだろうかと思います。

 判決が 非常に注目されます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53347236.html
 
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畠山鈴香被告は 反社会性人格障害ではない

2007年11月04日 21時29分07秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 昨年、畠山鈴香被告が反社会性人格障害と 言われていることに対して、

 疑義を唱える記事を、僕のブログに書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36340434.html

 先週の報道では、畠山被告は 自ら極刑をもって償いたいと 述べているようです。

 反社会性人格障害の人は、犯罪行為を犯しても 良心の呵責を感じないことを

 特徴としますから、畠山被告は 反社会性人格障害ではないことになります。

 やはり、安易に 犯罪者を人格障害だと 述べる向きには、

 非常に遺憾な思いを 覚えます。

 人格障害に対する 偏見や誤解を広めるようなことは、

 マスコミには 厳しく謹んでほしいものです。
 

 また 畠山被告は、彩香ちゃんを 橋から突き落としたあとの、

 記憶がないと 言っています。

 彩香ちゃんが いなくなったと思い、本気で探し回ったといいます。

 それが真実かどうかは 分かりませんが、あり得ることではあります。

 彩香ちゃんを あやめてしまったという、

 自分でも受け入れがたい ショックから逃れるために、

 解離症状を起こして 記憶を消した ということは考えられます。

 もちろん それで罰が免じられる わけではありませんが、

 境界性人格障害などにも見られる、そういう心理的症状こそ

 報じてほしいものだと思います。
 
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母殺害し頭部切断した少年が 人格障害? (2)

2007年05月20日 09時16分09秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47666103.html からの続き)

 確かに、「スキゾタイパル・パーソナリティ障害」 と

 「シゾイド・パーソナリティ障害」 は 似ているところがありますが、

 それぞれの特徴は 次のようなものです。

 「スキゾタイパル・パーソナリティ障害」 の人は、

 奇妙で独特な 思考や感覚に影響されて、自分だけの世界に生きています。

 周囲とかけ離れているため、変人扱いされがちです。

 常識に捕らわれず、創意や直感に富んでいるので、

 研究者や芸術家として 大成することもあります。

 「シゾイド・パーソナリティ障害」 の特徴は、

 対人関係を嫌い、孤独を求めるということです。〔*注〕

 内面的な価値を重視して、自分の世界を守ることを 最優先します。

 異性にもあまり興味がなく、世俗的な欲もないので、

 修行僧のように 清貧な生き方をしたりします。

〔*注:境界性パーソナリティ障害や 自己愛性パーソナリティ障害,

 回避性パーソナリティ障害の人も、対人関係を恐れて 引きこもったりしますが、

 これは 深い関係を求めすぎて 傷つくのが恐いためで、

 本質的に孤独を好む シゾイド・パーソナリティ障害とは 根本的に異なります。

 何よりも愛情を求める ボーダーの人とは、対極にあると 言えるのかもしれません。〕

(参考文献:「パーソナリティ障害」 岡田尊司 [PHP新書])
 

 上記のように、パーソナリティ障害の特徴は 

 いい面も悪い面も あり得るものです。

 TVなどマスコミに 「人格障害」 という 言葉が出るのは、

 いつも凶悪犯罪や 少年の特異な事件が起きた時です。

 人格障害 = 事件,犯罪者という イメージが流布されてしまうのが、

 とても憂慮されます。

 特にボーダーなど 人格障害の人は、

 誰よりも自分自身が 生きづらさに苦しんでいるわけです。

 そのためにも、拙著「境界に生きた心子」の

 マンガ化やドラマ化を 求めているのですが。
 

[カテゴリー 「パーソナリティ障害がわかる本」 に、

「スキゾタイパル・パーソナリティ障害」 と 「シゾイド・パーソナリティ障害」の記事を、

 引き続いて 書いてみようかと思います。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48015317.html ]
 
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母殺害し頭部切断した少年が 人格障害? (1)

2007年05月19日 13時24分14秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
 福島県会津若松市で母親を殺害し、切断した頭部を持って出頭した

 17才の少年の事件。

 全く不可解で 戦慄するできごとですが、

 本人にとって 何か儀式的な意味があるのでしょうか? 

 今日TVで、ある精神科医が、

 この少年は 「スキゾタイパル人格障害」 だと言っていました。

 その特徴として、次のことを挙げていました。

・周囲から孤立している

・感情が平坦

・猜疑心が強い

・奇妙な信念を持っている

 しかしこの医師は、

 「スキゾタイパル人格 (パーソナリティ) 障害=失調型パーソナリティ障害」と、

 「シゾイド人格 (パーソナリティ) 障害=統合失調質パーソナリティ障害」を

 混同している、または、誤解を生む言い方をしていると思われます。

 特異な事件が起こると マスコミで、専門家という人物が 当人に面談もせず、

 簡単に人格障害と結びつける向きには 疑問を感じますが、

 基本的な情報までもが 誤認されるのは非常に問題です。
 

 米国精神医学界の診断基準 「DSM-Ⅳ-TR」 から 抜粋してみましょう。

○「スキゾタイパル・パーソナリティ障害」

・奇異な信念、または魔術的思考

・疑い深さ、または妄想様観念

・不適切な、または限定された感情

・親族以外に信頼できる人がいない

○「シゾイド・パーソナリティ障害」

・親密な関係を好まない

・孤立した行動をする

・親族以外に親しい人がいない

・情緒的な冷たさ、または平板な感情

 スキゾタイパル・パーソナリティ障害の 診断基準には、

 「孤立」,「平坦な感情」という 文言はありません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47684951.html
 
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木下あいりちゃん殺害事件判決(5)

2006年07月07日 10時48分26秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37239061.html からの続き)

 凶悪犯人に対する厳罰化を望む 昨今の国民感情は、

 幼い子供が殺害される 犯罪報道の増加や、体感治安の悪化、

 そして、本村さんの登場などで 被害者の声が大きく取り上げられ、

 国民の耳に届いた ということがあるでしょう。

 逆に言えば、今まで被害者の存在が いかに疎外されていたか ということです。

 被害者感情が理解されるようになったのは 非常に喜ばしいことですが、

 これから裁判員制度を迎えて 安易な報復感情に左右されないよう、

 死刑制度の裏表も 国民に知らせる必要があると思います。

 
 市民の裁判員が量刑も決める 裁判員制度が始まると、

 今までより 死刑判決が増えるでしょうか? 

 でも、いま無責任に 死刑の大合唱をしている人たちが、

 いざ裁判員になって 自分の責任で 死刑判決を下すということになると、

 急に恐くなったりしはしないでしょうか? 

 人を裁くこと自体 敬遠する人も多いなかで、

 自分の判断で犯人を殺すことができる人は、あまり多くはないのではないか という気もします。

 
 まだ多くの問題を抱えている 裁判員制度ながら、

 不安と期待をもって 待ち受けたいと思います。

 一生の間に裁判員になるのは 数人に一人 ということのようですが、

 僕は選ばれたら 是非やってみたいと思っています。
 
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木下あいりちゃん殺害事件判決(4)

2006年07月06日 11時58分04秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37191240.html からの続き)

 一昨日の無期懲役判決に対して 著名な某キャスターが、

 日本では 少女に性的暴行をして殺しても死刑にならないんだ

 という風説が広まって、性犯罪の抑止に悪影響を与えるのが 非常に恐い、

 と言っていました。

 しかし、死刑による凶悪犯罪の抑止力は 証明されたことがありませんし、

 そもそも 他の先進国では 死刑制度さえないのです。

 先進国で死刑が存続しているのは、アメリカのいくつかの州と 日本だけですが、

 他の先進国では どんな犯罪を犯しても 死刑にはならないわけです。

 ヤギ被告の母国・ペルーにも 死刑はありません。

 風説によって 凶悪犯が日本にやって来る ということはないでしょう。
 

 ところで、広島地裁の 無期判決の理由のひとつに、

 前科の証拠がない というものがありました。

 これは、裁判員制度に向けて 審理期間を短縮するための

 「公判前整理手続き」を採用した結果、

 証拠申請が公判に間に合わなかった ことによるものです。

 控訴後の高裁の審理では 地裁とは異なる証拠立てで、

 量刑が変わる可能性もあります。

 しかし それを考えると、裁判員制度が始まると 充分な証拠ぞろえや審理ができずに、

 不適当な判決・量刑が 決まってしまうのではないか、ということが心配されます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37281272.html
 

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木下あいりちゃん殺害事件判決(3)

2006年07月05日 11時00分18秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37157659.html からの続き)

 昨日の広島地裁が出した 無期懲役判決に対して、

 木下あいりちゃんの父親・健一さんは 無念の記者会見を行ないました。

 被害者遺族の感情としては 本当に当然のものだと思います。

 健一さんが 実名報道などを訴えてから、性犯罪被害者からも 手紙が届いたといいます。

 自殺を考えていたが、思い止まって 立ち直るきっかけになった、と。

 独りで苦しんでいる 被害者にとっては、本当に支えになったことでしょう。

 被害者が癒されることが 僕は何よりも大事だ と思っていますが、

 それが全く不充分なのが 日本の現状です。

 
 昨日の判決の最後に 裁判長は、仮釈放は慎重にしてほしいと、

 事実上の終身刑を要請する 異例の言葉を述べました。

 15年程度で出所できる 現行の無期懲役刑に 疑義を投げかけるもので、

 死刑判決は回避したものの、従来の無期では足りないという 意思表明でしょう。

 これを機に、終身刑導入の議論が 進むことを期待します。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/37239061.html
 

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