( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45866742.html からの続き)
アメリカで 生命倫理を学ぶ者に 教えられたという、
一件のエピソードが あります。
ある男性が 爆発事故で、全身に快復不能の 大火傷を負いました。
目はつぶれ、手は拳のまま固まり、手足の骨が 露出するほどの重症でした。
病院では 全身を包んだガーゼを 交換する際、
体を水槽の中に つるして行なうという 荒療治がほどこされました。
連日に及ぶ 想像を絶した激痛は 正に拷問です。
彼は、 「治療をやめてくれ! 殺してくれ!」 と叫び続けました。
しかし病院側は 前例のない治療実績を 作るためなのか、
男性の声を 聞き入れませんでした。
そして 何ヶ月何年にも渡る 地獄のような治療の末、
幸運なことに 男性は持ちなおしました。
形成手術を受け、義眼を入れ、数多の障害を 残しながらも、
彼は その後結婚して 子供ももうけ、満ち足りた人生を 送りました。
しかし 彼は、過酷な治療の先に 幸福があると 分かっているとしても、
もう一度 あのときと同じ事態になったら、
自分は断固として 死を選ぶと言います。
死よりも苦しい 生の痛みがある ということです。
この逸話は、命にまつわる自己決定 という命題も提起しています。
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45923285.html