■昨日17日の朝、畑に行ってみると、我が家が飼育しているヤギの「こなつ」が亡くなっていました。
次女と同じ4歳でした。
次女の出産で安曇野に滞在しているときに生まれたこなつ。
生まれながらに小さめで体が弱く、3頭の中では唯一よく下痢をしたり、食欲不振、排泄障害になったりしていました。
でもこの最後の1年で体が大きく成長しました。
亡くなる前日は一切の食欲が無くなり、歩く元気があまりありませんでした。
以前は食欲は落ちても、食べないことはありませんでした。
午後もずっと座ったままです。
嫌な予感は的中しました。
翌朝4:30に畑に行くと、まだ体はほんのり暖かいもの、鼓動も呼吸も止まったこなつが静かに座ったまま亡くなっていました。
あまり辛くなく逝ったと思えるのがせめてもの救いでした。
急いで家に帰り家族に報告しました。
長女は号泣し続けました。
次女は泣きもせず、きょとんとしています。
こなつの親である「なつ」は僕の顔を何度も見上げ、娘の死を受け入れたようでした。
動物の強さを垣間見た気がします。
母島の畜産指導所の職員に見てもらいましたが、死んだ原因は深刻な伝染病ではないとのことでした。
きっと体の弱い彼女の寿命だったのだと思います。
■なんの偶然か、こなつが死ぬ前の晩、子供たちとあるブログを見ていたのです。
それは、父島のコーヒー山の友人が1年間飼育したヤギを自分たちで絞めるブログです。
父親と3年生の息子が少しでも苦しまないようにと刃物を朝からよく研いで向き合うその心、とても大事と話したその矢先の出来事でした。
これはこなつからのメッセージだったのでしょうか?
「埋める」か「食べる」か。
この選択にとても悩みました。
家族で話し合いました。
・命を大切にすること
・頂きますの意味
・こなつはどうしてもらいたいか
・どう最後を迎えさせようか
・こなつを傷付けないでほしい......etc
数時間悩んだ末、「埋める」決心をしました。
ヤギを飼っている友人にもコーヒー山の友人にも電話をして相談しました。
■結局は色々な理由を付けました。
・今我が家に肉を食べる必要性もない
・生きたまま血を抜けず、病死したであろう肉を食べるのはどうか
・こなつの命を弔うのは食べるだけが方法ではない
・名前を付けてペットになった家畜を食べられない...etc
でした。
長女には午前中、学校を休んでもらい、家族みんなでこなつを弔うことになりました。
畑の脇に大きく穴を掘ります。
こなつの事を想いながら、シャベルで妻と掘りました。
子供たちはこなつに添えるレイを編んだり、葉っぱやお花を集めてくれました。
手でようやく掘り終えた穴に敷き藁をしてこなつをそっと寝かせます。
共に過ごした4年間がふっと蘇ります。
微笑を讃えたまま眠るこなつ。
感謝の気持ちが湧いてきます。
ほんとうにありがとう。
みんなでこなつが大好きな草や花を捧げ、いよいよお別れです。
もうこなつの魂はここになく、天に還っていったのでしょうが、4年間共にした体ともお別れです。
本当に美しい角と可愛い美人さんのメスヤギでした。
畑に来る島の子供たちにも小ぶりで可愛いこなつが一番人気でした。
家族全員でしっかりと埋めました。
埋めた場所には綺麗に花や木の実を飾り、素敵にしてくれました。
子供たちもみんな、本当にいい時間を過ごせました。
家に帰る途中、海から大きな虹ができていました。
長女が
「あれはきっとこなつが天国へ渡っていってるんだね…」
と言ってくれました。
家族全員が同じ気持ちでした。
「こなつ、バイバイ!ありがとう!」
みんなでそう声をかけ畑を後にしました。
■死ぬ最後、3日前に次女と畑で過ごした写真が生前最後の写真となりました。
次女は去年、しつこく絡み、こなつの逆鱗に触れて角でつつかれてから怖くて近寄れなくなっていました。
が、先月頃からまた関係が良くなり、一緒に遊べるようになってきていたのです。
そのことが、僕にとっても嬉しいことでした。
埋葬した後、ふとヤギ小屋に行くと真ん中のこなつの部屋だけがからっぽです。
他の2匹はいつものように餌をくれる僕を見つめます。
でも母ヤギのなつだけは少し趣深そうな顔をしている気がしました。
僕はこの時初めて、心にも大きな穴が開いたことを自覚しました。
自分の両親が死んだときもそうでしたが、もう逢えないことを肌で感じた瞬間にその相手の死を理解した気がします。
こなつ、本当にどうもありがとう。
そして、こなつを可愛がってくれた皆さん、ありがとうございました。
こなつは最後まで幸せなヤギだったと思います。
埋葬に関しても畜産指導所の職員さんには色々とアドバイスを頂きました。
畑の大家さんも子供たちとの埋葬に快く承諾してくれました。
本当に多くの人に支えられているのだなぁと実感しました。
この世のすべてに感謝します。
こなつ、安らかにお眠りください。
次のいのちでまた逢いましょう。
次女と同じ4歳でした。
次女の出産で安曇野に滞在しているときに生まれたこなつ。
生まれながらに小さめで体が弱く、3頭の中では唯一よく下痢をしたり、食欲不振、排泄障害になったりしていました。
でもこの最後の1年で体が大きく成長しました。
亡くなる前日は一切の食欲が無くなり、歩く元気があまりありませんでした。
以前は食欲は落ちても、食べないことはありませんでした。
午後もずっと座ったままです。
嫌な予感は的中しました。
翌朝4:30に畑に行くと、まだ体はほんのり暖かいもの、鼓動も呼吸も止まったこなつが静かに座ったまま亡くなっていました。
あまり辛くなく逝ったと思えるのがせめてもの救いでした。
急いで家に帰り家族に報告しました。
長女は号泣し続けました。
次女は泣きもせず、きょとんとしています。
こなつの親である「なつ」は僕の顔を何度も見上げ、娘の死を受け入れたようでした。
動物の強さを垣間見た気がします。
母島の畜産指導所の職員に見てもらいましたが、死んだ原因は深刻な伝染病ではないとのことでした。
きっと体の弱い彼女の寿命だったのだと思います。
■なんの偶然か、こなつが死ぬ前の晩、子供たちとあるブログを見ていたのです。
それは、父島のコーヒー山の友人が1年間飼育したヤギを自分たちで絞めるブログです。
父親と3年生の息子が少しでも苦しまないようにと刃物を朝からよく研いで向き合うその心、とても大事と話したその矢先の出来事でした。
これはこなつからのメッセージだったのでしょうか?
「埋める」か「食べる」か。
この選択にとても悩みました。
家族で話し合いました。
・命を大切にすること
・頂きますの意味
・こなつはどうしてもらいたいか
・どう最後を迎えさせようか
・こなつを傷付けないでほしい......etc
数時間悩んだ末、「埋める」決心をしました。
ヤギを飼っている友人にもコーヒー山の友人にも電話をして相談しました。
■結局は色々な理由を付けました。
・今我が家に肉を食べる必要性もない
・生きたまま血を抜けず、病死したであろう肉を食べるのはどうか
・こなつの命を弔うのは食べるだけが方法ではない
・名前を付けてペットになった家畜を食べられない...etc
でした。
長女には午前中、学校を休んでもらい、家族みんなでこなつを弔うことになりました。
畑の脇に大きく穴を掘ります。
こなつの事を想いながら、シャベルで妻と掘りました。
子供たちはこなつに添えるレイを編んだり、葉っぱやお花を集めてくれました。
手でようやく掘り終えた穴に敷き藁をしてこなつをそっと寝かせます。
共に過ごした4年間がふっと蘇ります。
微笑を讃えたまま眠るこなつ。
感謝の気持ちが湧いてきます。
ほんとうにありがとう。
みんなでこなつが大好きな草や花を捧げ、いよいよお別れです。
もうこなつの魂はここになく、天に還っていったのでしょうが、4年間共にした体ともお別れです。
本当に美しい角と可愛い美人さんのメスヤギでした。
畑に来る島の子供たちにも小ぶりで可愛いこなつが一番人気でした。
家族全員でしっかりと埋めました。
埋めた場所には綺麗に花や木の実を飾り、素敵にしてくれました。
子供たちもみんな、本当にいい時間を過ごせました。
家に帰る途中、海から大きな虹ができていました。
長女が
「あれはきっとこなつが天国へ渡っていってるんだね…」
と言ってくれました。
家族全員が同じ気持ちでした。
「こなつ、バイバイ!ありがとう!」
みんなでそう声をかけ畑を後にしました。
■死ぬ最後、3日前に次女と畑で過ごした写真が生前最後の写真となりました。
次女は去年、しつこく絡み、こなつの逆鱗に触れて角でつつかれてから怖くて近寄れなくなっていました。
が、先月頃からまた関係が良くなり、一緒に遊べるようになってきていたのです。
そのことが、僕にとっても嬉しいことでした。
埋葬した後、ふとヤギ小屋に行くと真ん中のこなつの部屋だけがからっぽです。
他の2匹はいつものように餌をくれる僕を見つめます。
でも母ヤギのなつだけは少し趣深そうな顔をしている気がしました。
僕はこの時初めて、心にも大きな穴が開いたことを自覚しました。
自分の両親が死んだときもそうでしたが、もう逢えないことを肌で感じた瞬間にその相手の死を理解した気がします。
こなつ、本当にどうもありがとう。
そして、こなつを可愛がってくれた皆さん、ありがとうございました。
こなつは最後まで幸せなヤギだったと思います。
埋葬に関しても畜産指導所の職員さんには色々とアドバイスを頂きました。
畑の大家さんも子供たちとの埋葬に快く承諾してくれました。
本当に多くの人に支えられているのだなぁと実感しました。
この世のすべてに感謝します。
こなつ、安らかにお眠りください。
次のいのちでまた逢いましょう。