小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

大きな転機 ~2019年を振り返って

2020年01月11日 | 母島 日常 日記
■改めまして、新年明けましておめとうございます。
こうして無事に新年を迎えることができたのも、
いつも支えてくれる家族、友人、島の皆さん、関わる皆さんのおかげです。
本当にありがとうございます。

※次女が大好きなテトラポットにて。

さて、本当に色々と会った2019年でした。
僕にとって、我が家にとって色々と転機となる1年でした。

ここで振り返らないと、どんどん忘れていく危険をはらんでいるので(笑)、
記録の意味を込めて、書いていこうと思います(僕のブログの大きな意味はソコですw)。

箇条書きにしてみると、
・長女の巣立ち~カナダ留学
・春のハワイ訪問
・東京宝島で他島の人と繋がる
・母島青年会の会長になる
・若い友人が亡くなった
・猛烈な台風の被害
等が挙げられます。
今思い出しただけでもこれだけあるので、まだまだあるのでしょうね(笑)。


※いつも1/2の羽根つきの後は家族で小剣先に登っています。小剣先から見える母島の集落はとても小さく、
大きな海原ではクジラが跳ねています。そんな景色を見ながら、1年を色々振り返ります。


■まずは長女の巣立ちでしょうか。
長女は今、高校1年生。
カナダのバンクーバー島最北端の人口2000人の小さな村、ポートハーディーの公立高校に留学しています。

中学に入ってから、彼女の性格もありますが、
帰国子女の英語の先生などにも恵まれ、どんどん英語を達者にしていきました。

親としても慈愛と愛嬌が取り柄の娘は、
この日本の社会の中でどう生きて行くのか心配であったので、
英語を身に付け、個人の個性を大事にする海外に意識が行くのはとても歓迎すべきことでした♪

うちは貧乏でお金もないのに(笑)、
小5に信州・高遠に山村留学、
中1にニュージーランドへホームステイ、
中2はインドネシア・バリ島のグリーンスクール主催のキャンプ参加
中3はカナダ訪問、
高1にハワイ訪問
と絶海の孤島に暮らしているからこそ、外から自分たちの島を見つめ直す目線も含めて、
沢山の動きをしてきました。(もう金銭的に厳しいので、しばらくなしですw)

お蔭さまで2019年の春からは父島の小笠原高校、秋からはカナダの高校に留学する事が出来ました。
これには現地でホームステイを受け入れてくれる義父の存在はとても大きいです。
精神的にも、金銭的にも本当に有難いことです。
どうもありがとうございます。

日本人が一人しかいない異文化、他国の地で目一杯十代の感性で吸収してほしいものです。

とても賑やかな長女が巣立って、みんなに「寂しいでしょ~」といつも言われるのですが、
家族全員、なぜかそう思っていません(笑)。

それはこの時代でSNSで様子もすぐに伝わるし、
信頼できる義父の元にいるし、
何より、本人がカナダ生活をエンジョイしているからかもしれませんね。

※ガジュマルを登る次女。1/2の見慣れた光景です☆

■そして春に行ったハワイ訪問
これも想像以上に大きな転機となりました。

東京の島の中高生をハワイに連れて行き、様々な事を体験し、学ぶコミュニケーションプログラム「SHIP」に家族で参加しました。
今回は八丈と小笠原の高校生が参加し、とても有意義な訪問となりました。

我が家にとっては元々次女の名付け親がハワイ人のシャーマンなので、
いつかはハワイに行こうと思っていた事、
フラにカヌーに歴史に小笠原ととても縁のあるハワイなので、
これは行かなければいけないと思っていたので、
とても意味のある訪問でした。

現地のネイティヴの高校生や、ファミリー、フラの先生、開墾、ハワイの伝統料理など、
様々な事を経験しました。

そして、ハワイ島に住むニック加藤さんに出会えたことは大きいです。
ホクレア号に関わり、写真を撮ってきた彼から頂いた1枚の地図。
OCEANと名打たれたその地図は太平洋の島々だけを書いた英語の地図です。

そこに日本で小笠原だけが載っていました

TVの天気予報でいつも欄外になる小笠原。
東京でも一番最果ての小笠原。

いつも端っこと思っていたのが、急に「太平洋の島々の仲間である」と意識できた瞬間でした。

ポリネシアでもミクロネシアでもなく、ヤポネシア(JAPONESIA)。

思えばグアムと東京の丁度間にある小笠原です。
アメリカ統治時代は島民はグアムの高校に行っていたし、
石器時代にはマリアナ諸島と類似した石器が見つかっており、
現代は今まで繋がっていたのが、南側のルート・目線だけ途切れたままであることに気付いたのです。

その目線に気付いたことがハワイにいって一番興味深いことでした♪




■そして東京宝島事業
これの母島の地域コーディネーターを推薦して引き受けたのですが、
とても大きなつながりになりました。

本来は東京の島がその島の魅力を再認識して、
独自のブランド化をして、活動して行こうという内容なのですが、
根源は東京都が東京の島の未来に抱いている危機感から始まったものとのことでした。

母島でもその都度、色んな立場の方に参加してもらい、
「みんなで島の現在と未来について話し合う場を作ろう!」という
ひとつのアクションプランを決定するのですが、
もう一つ得られた良さとして、母島とそれ以外の伊豆諸島の人々と対話し、
繋がれたことがとても意味のあるものになりました。

今まで、議会や観光部会、教育関係など各専門分野での対話はあったのですが、
それに囚われない、人同士のここまでの規模の交流はなかなか無かったと思うのです。

みんながそれぞれ自分の島の未来について、
他の島の方と語り合える貴重な機会となりました。

これはこの事業が終わってしまっても確実に残る、素晴らしい繋がりと思うのです。


※年末の餅つき風景。島のお母さん達のこの手がとても温かくて大事なものを伝えてくれます。

■そして、令和元年の母島青年会会長になったこと。
母島青年会は返還5年の母島入植時から活性され、
様々な活動をしてきた地域の任意団体です。

当時は何をするにしても青年会が中心となって、島の地域を動かしていたと聞きます。
現在は政治的カラーは影を潜め、主に島のイベントを運営、フォロー、主催をしています。

年末年始は海開きのギョサン飛ばし大会運営や、獅子舞に大活躍し、
明日はどんど焼きを主催します。

近年、母島青年会も色んな課題が見えて来て、
様々な改革を試みています。
まだまだ模索したり、悩んだりしていますが、
多くのメンバーに支えられながら、
みんなが気持ち良く、楽しくできる青年会を心掛けています♪

本当に僕自身が一人では全然できない事を、
みんなが島の為に、お互いの為に良く動いてくれていて、
本当に感謝の連続です♡

※これは元旦の光景です(笑)。海開き後の前浜にて。大人が子供に帰る瞬間です(*^_^*)

■あとは過去に記事にも書きましたが、2019年は若い40代の友人・知人が何人か亡くなり、
とても考えさせられました。

自分が何故、今生きているか。
そこにどんな意味があるのかを考えさせられました。

僕はもうすでに両親を亡くしています。
僕の両親は自分親よりも先に亡くなっているのです。

やはり親は自分より先に子供を亡くすのは、あまりに順番が違うので、
計り知れない悲しさがあると思います。
自分の愛する娘たちが、僕より先に亡くなってしまったらほんと悲しいです。

自分の父が亡くなった39歳に、今年僕はなります。

※今年の母島の成人式。3人の若者が輝かしい姿を魅せてくれました。

当時は分かりませんでしたが、
今思うとなんて若い死だったのだろうと思います。

今生きていれば、
お酒でも飲みながら、孫を見せれて、色んな話が出来たと思います。

今、長女は16歳。
僕が父を亡くしたのは13歳でした。

何も比べれるものではありませんが、
僕と父よりは自分の娘の成長を見れたことになるので、有難いことです。

先日、次女の太鼓の稽古を眺めながら、そんなことを考えていました。



■母島に甚大な被害を及ぼした台風21号ブアローイ。
今でもあの時のことは語り草になってます。

あの恐ろしい吹き返しの後、農業者が南進線や農道をチェインソーでどんどん車を通れるように復旧していきました。

台風が通過したその日の午後にはもう開通していた南進線。
意外にもそこにもの凄く感謝していた人たちがいました。

診療所の皆さんです。
緊急搬送するときの新へリポートは南進線のかなり南、
中ノ平農業団地の奥にあります。

あっと言う間に農業者が総出で道を通れるようにしてくれたことで、
緊急搬送時の救急車がヘリポートに通れるようになったのです。
みんなが集落の被害や停電、電話の不通でどうしようもない中、この活動もとても感謝されたものでした。

夜通し作業して、電気を復旧させてくれた電気屋さんもいました。
飛んだ屋根の場所にすぐにブルーシートをかけてくれた作業員の方、
飛び散った残骸をみんなで片付ける様、
行政に頼りっきりにならず、
人それぞれが出来る事をしていって、
台風通過後数日で暮らしを復旧させた母島の地域力だとおもいました。
あれだけの被害で人的被害がゼロだったことが、本当に幸いだったと思います。

先日の飲み会でもそんな話になってました(笑)。
本当に有難うございます!

※大好きなガジュ下の憩いの景色。色んな時間を通して、色んな分野の島民や観光客も交わる、母島自慢の場所です♪

■2019年の色んな場面に想いを馳せてみると、
本当に有難いことだらけでした。

ヨガの不久先生に気付かされたことですが、
「ありがたい」の反対は何か?と問われたことがあります。
僕は答えれませんでした。
すると先生は「それは、【当たり前】なんです。」と言われました。

有る事が難いから、有難い。

なるほど!
2019年を一言で表すなら、まさに感謝の1年でした。
本当に多くのご縁に恵まれて、我が家にとっても転機となることも多く、
沢山の大きな気付きを頂けた1年でした。

2020年の今年は、どうなるのか?
毎年、1年が過ぎる速度が増しています。

気が付くとあっという間に1年が過ぎ去ってしまうので(笑)、
毎日を丁寧に過ごすのを気を付けて、今年も楽しく過ごせればと思います。

どうぞ今年もよろしくお願いします。