■「小笠原が羨ましい。だって体一つで文化を表現できるものを持っているから」
「中学生になって恥ずかしくなった南洋踊りだけど、ここハワイで心底【南洋踊り】をやっててやってて良かったと思えた!」
2019年春、私達はSHIPというプログラムに参加して、ハワイ島に2週間滞在しました。
それは八丈島や小笠原の高校生がハワイに行き、
失った文化を取り戻してきたハワイアンと触れ合い、学び、動いていくというもの。
冒頭の言葉はハワイ島のネイティヴの血が通っていないと通えない、
英語ではなく完全にハワイ語で授業を行うナーバヒ校を訪れ、
100人を超える生徒の前で小笠原の郷土芸能、南洋踊りを披露したあとに言われた言葉でした。
八丈島の高校生は太鼓や黄八丈はあれど、
身体ひとつで文化を表現できるものを知らないと言うのです。
なるほど~
これは今まで自分たちが知らなかった目線です。
客観視って本当に大事だと思います。
小笠原は八丈と違い、戦前の文化を一時ほとんど失ってしまっています。
八丈には小笠原にはないものがいっぱいあります(#^.^#)
そして長女は、ハワイにまで来て、
初めて南洋踊りをやってて良かったと感じたそうです。
思えば赤ちゃんの頃から、踊る僕の足元にいた長女。
年頃になって、人前で踊るのが恥ずかしくなるのは当たり前でした。
何故なら、なぜ自分が南洋踊りをしているか分からなかったからです。
八丈やハワイアンのリアクションを通じて、客観視する事が出来て、
初めてその意味に気付いた瞬間。
このくだりには感動を覚えたほどです。
ハワイにあのタイミングで行けて、本当に良かったと思います。
■次女も踊り手なのでナーバヒ校では数百人の観衆の前で踊りました。
妻はカカの代わりにバケツでリズムを刻みました。
僕たちは腰みのなどの何の飾りもなく、
頂いたレイだけで、上半身を裸で(女子は南洋踊りTシャツ)踊ったのですが、
見ていたハワイアン達の反応が島のいつもの風景と全然違いました。
次女が帰ってから言いました。
「島の祭で踊るの雰囲気と違って、ものすごく真剣に見てくれてたね。びっくりした!」
嬉しそうに語っていました(#^.^#)
踊っている時の真剣な雰囲気がヒシヒシと伝わって来ていたのです。
踊り終わった後の拍手もそうでしたが、他文化に対するリスペクトをすごく感じました。
ナーバヒ校(私立)に行った後の日程で、
ハワイ島東側にあるヒロ高校(公立)でも小笠原や八丈の説明、南洋踊りのレクチャーと披露をしましたが、
こちらではもっと普通に近い反応でした。
こちらは自分たちもヤシやティーリーフ、竹でカカを作って臨んだのですが、
どちらかというと島に近い雰囲気でした。
普通の公立高校と先住民のアイデンティティで運営された私立高校。
どちらがいい、という問題ではなく、
ナーバヒ校の意識の深さを伺えた瞬間でした。
■小笠原で南洋踊りのリズムに使われているカカ。
これはアフリカ由来の打楽器で、
確か人に聞いた話では返還20周年事業とかで作り始めたのが始まりだったとか。
アフリカ系の欧米系がいる父島で生まれたのはとても意味がある事だと思います。
ハワイではゴールデンバンブーをチェインソーで切って手作りしました。
これが予想以上にいい音がして、すっかり気に入ってしまいました(#^.^#)
滞在先のニックさん曰く、
「これはタヒチアンの楽器だよ!!」と言って喜んでくれました。
小笠原は江戸時代、ハワイ王朝時代にハワイから小笠原に最初に入植したのですが、
その中にはタヒチからやって来たメンバーもいたそうです。
南洋のカヌーやタロイモ、漁法など、ポリネシアンの智慧はとてもよく生活の役に立ったと言われています。
そんなタヒチとも知らない間に繋がっていたという話です♪
■ナーバヒ校では最初に歓迎のチャントー(祈りの儀式)、南洋踊りの後は大勢でフラを披露してくれました。
この学校にも通っていて、八丈にも小笠原にも来たことがあるカラー・マナマナは、
もの凄く光るオーラを放ってフラをしていました♪
フラ、南洋踊りの後はなんと「BON-DANCE」と呼ばれる盆踊りでした(笑)!!!
これは日系移民の人達がハワイに伝えた文化で、
私達が良く知っている1+2音頭や、炭坑節、なんとAKBとかの盆踊りまでありました(#^.^#)
まさかハワイで大好きな日本の盆踊りをするとは夢にも思っていませんでした♪
これは猛烈に盛り上がって、みんなでワイワイしながら、
八丈、小笠原、ハワイで入り混じって交流する最高の機会となりました。
ナーバヒは小中高一貫校なので、小さい子達とも仲良くなれました(#^.^#)
■島に帰って来て、父島と母島でSHIP報告会を行いました。
そこで父島の高校生が言いました。
「ハワイと小笠原、よく似ている。
気候も人の温かさも。でも高校生の意識は違う。
僕は南洋踊りもフラも、カヌーも好きでやっているけど、同じ高校生にそんな人はいない。
でもハワイのナーバヒの高校生達は自分たちの伝統文化に、とても誇りを持っていたし、
実際に実践している。
同じ島の高校生で、どうしてこんなにも違うのかが分からない」
この言葉を聞いた時に、すぐにピンと来ました。
違うのは「教育」なのだと思いました。
母島の5月に行う運動会。
ここでは小学生全員が南洋踊りをやります。
低学年はともかく、高学年以上はやらされ感たっぷりで、真剣でもなければ、あまり楽しそうでもありません。
前までは仕方ないのかな~と思っていましたが、
今は違います。
明確に子供たちに南洋踊りを教える、教員が、なぜ南洋踊りをやるのか意味を見いだせていないからだと思いました。
現在は母島の南洋踊り保存会も人数が減って来て、
高齢化も進み、
学校教員も保存会に習う機会がなくなり、DVDを見て学ぶようになって来ました。
PTAでも学芸会で南洋踊りを踊らなくなってきました。
郷土芸能よりも、現代のダンスの方がウケるのです。
これも地域の大人が、島の南洋踊りの意味を見出していないからだと思うのです。
これは色々課題が見えてきました!
栄えて行くハワイ文化のフラと、
衰えて行く小笠原の文化の南洋踊り。
このまま文化のひとつを失わせる世代になっていいのか?
そう問いかけられたハワイ訪問でした。
今年度はコロナという前代未聞の問題が世界を覆い、
SHIPも様々な事情も重なって、実施出来ていません。
しかし、このハワイ研修で学ばされたことは、繋がりを知って、考え、動くことです。
僕にとってのクレアナ(役割、使命)はもうひとつ見えて来ています。
SHIPのFacebookページ
2019年返還祭での南洋踊り
「中学生になって恥ずかしくなった南洋踊りだけど、ここハワイで心底【南洋踊り】をやっててやってて良かったと思えた!」
2019年春、私達はSHIPというプログラムに参加して、ハワイ島に2週間滞在しました。
それは八丈島や小笠原の高校生がハワイに行き、
失った文化を取り戻してきたハワイアンと触れ合い、学び、動いていくというもの。
冒頭の言葉はハワイ島のネイティヴの血が通っていないと通えない、
英語ではなく完全にハワイ語で授業を行うナーバヒ校を訪れ、
100人を超える生徒の前で小笠原の郷土芸能、南洋踊りを披露したあとに言われた言葉でした。
八丈島の高校生は太鼓や黄八丈はあれど、
身体ひとつで文化を表現できるものを知らないと言うのです。
なるほど~
これは今まで自分たちが知らなかった目線です。
客観視って本当に大事だと思います。
小笠原は八丈と違い、戦前の文化を一時ほとんど失ってしまっています。
八丈には小笠原にはないものがいっぱいあります(#^.^#)
そして長女は、ハワイにまで来て、
初めて南洋踊りをやってて良かったと感じたそうです。
思えば赤ちゃんの頃から、踊る僕の足元にいた長女。
年頃になって、人前で踊るのが恥ずかしくなるのは当たり前でした。
何故なら、なぜ自分が南洋踊りをしているか分からなかったからです。
八丈やハワイアンのリアクションを通じて、客観視する事が出来て、
初めてその意味に気付いた瞬間。
このくだりには感動を覚えたほどです。
ハワイにあのタイミングで行けて、本当に良かったと思います。
■次女も踊り手なのでナーバヒ校では数百人の観衆の前で踊りました。
妻はカカの代わりにバケツでリズムを刻みました。
僕たちは腰みのなどの何の飾りもなく、
頂いたレイだけで、上半身を裸で(女子は南洋踊りTシャツ)踊ったのですが、
見ていたハワイアン達の反応が島のいつもの風景と全然違いました。
次女が帰ってから言いました。
「島の祭で踊るの雰囲気と違って、ものすごく真剣に見てくれてたね。びっくりした!」
嬉しそうに語っていました(#^.^#)
踊っている時の真剣な雰囲気がヒシヒシと伝わって来ていたのです。
踊り終わった後の拍手もそうでしたが、他文化に対するリスペクトをすごく感じました。
ナーバヒ校(私立)に行った後の日程で、
ハワイ島東側にあるヒロ高校(公立)でも小笠原や八丈の説明、南洋踊りのレクチャーと披露をしましたが、
こちらではもっと普通に近い反応でした。
こちらは自分たちもヤシやティーリーフ、竹でカカを作って臨んだのですが、
どちらかというと島に近い雰囲気でした。
普通の公立高校と先住民のアイデンティティで運営された私立高校。
どちらがいい、という問題ではなく、
ナーバヒ校の意識の深さを伺えた瞬間でした。
■小笠原で南洋踊りのリズムに使われているカカ。
これはアフリカ由来の打楽器で、
確か人に聞いた話では返還20周年事業とかで作り始めたのが始まりだったとか。
アフリカ系の欧米系がいる父島で生まれたのはとても意味がある事だと思います。
ハワイではゴールデンバンブーをチェインソーで切って手作りしました。
これが予想以上にいい音がして、すっかり気に入ってしまいました(#^.^#)
滞在先のニックさん曰く、
「これはタヒチアンの楽器だよ!!」と言って喜んでくれました。
小笠原は江戸時代、ハワイ王朝時代にハワイから小笠原に最初に入植したのですが、
その中にはタヒチからやって来たメンバーもいたそうです。
南洋のカヌーやタロイモ、漁法など、ポリネシアンの智慧はとてもよく生活の役に立ったと言われています。
そんなタヒチとも知らない間に繋がっていたという話です♪
■ナーバヒ校では最初に歓迎のチャントー(祈りの儀式)、南洋踊りの後は大勢でフラを披露してくれました。
この学校にも通っていて、八丈にも小笠原にも来たことがあるカラー・マナマナは、
もの凄く光るオーラを放ってフラをしていました♪
フラ、南洋踊りの後はなんと「BON-DANCE」と呼ばれる盆踊りでした(笑)!!!
これは日系移民の人達がハワイに伝えた文化で、
私達が良く知っている1+2音頭や、炭坑節、なんとAKBとかの盆踊りまでありました(#^.^#)
まさかハワイで大好きな日本の盆踊りをするとは夢にも思っていませんでした♪
これは猛烈に盛り上がって、みんなでワイワイしながら、
八丈、小笠原、ハワイで入り混じって交流する最高の機会となりました。
ナーバヒは小中高一貫校なので、小さい子達とも仲良くなれました(#^.^#)
■島に帰って来て、父島と母島でSHIP報告会を行いました。
そこで父島の高校生が言いました。
「ハワイと小笠原、よく似ている。
気候も人の温かさも。でも高校生の意識は違う。
僕は南洋踊りもフラも、カヌーも好きでやっているけど、同じ高校生にそんな人はいない。
でもハワイのナーバヒの高校生達は自分たちの伝統文化に、とても誇りを持っていたし、
実際に実践している。
同じ島の高校生で、どうしてこんなにも違うのかが分からない」
この言葉を聞いた時に、すぐにピンと来ました。
違うのは「教育」なのだと思いました。
母島の5月に行う運動会。
ここでは小学生全員が南洋踊りをやります。
低学年はともかく、高学年以上はやらされ感たっぷりで、真剣でもなければ、あまり楽しそうでもありません。
前までは仕方ないのかな~と思っていましたが、
今は違います。
明確に子供たちに南洋踊りを教える、教員が、なぜ南洋踊りをやるのか意味を見いだせていないからだと思いました。
現在は母島の南洋踊り保存会も人数が減って来て、
高齢化も進み、
学校教員も保存会に習う機会がなくなり、DVDを見て学ぶようになって来ました。
PTAでも学芸会で南洋踊りを踊らなくなってきました。
郷土芸能よりも、現代のダンスの方がウケるのです。
これも地域の大人が、島の南洋踊りの意味を見出していないからだと思うのです。
これは色々課題が見えてきました!
栄えて行くハワイ文化のフラと、
衰えて行く小笠原の文化の南洋踊り。
このまま文化のひとつを失わせる世代になっていいのか?
そう問いかけられたハワイ訪問でした。
今年度はコロナという前代未聞の問題が世界を覆い、
SHIPも様々な事情も重なって、実施出来ていません。
しかし、このハワイ研修で学ばされたことは、繋がりを知って、考え、動くことです。
僕にとってのクレアナ(役割、使命)はもうひとつ見えて来ています。
SHIPのFacebookページ
2019年返還祭での南洋踊り