■僕は今、母島で暮らしています。
そして、SUPやアウトリガーカヌーを漕いでよく沖に出ます。
有難い事にその暮らしの中で冬は特にザトウクジラ、
夏はイルカ達(ミナミハンドウイルカ、ハシナガイルカ)に出逢うことがよくあります。
先日もSUPで御幸ノ浜沖でハシナガイルカの大群に逢うことが出来ました。
船だと船の引き波に乗って、いやっほう!と遊んでくれるハシナガイルカですが、
SUPやカヌーは速度が足りないないらしく(涙)
大体、スルーされることが多いのですが、
今回はSUPの下に寄って来てくれました♡
たまにあるんです(#^.^#)
手漕ぎのSUPやカヌー、
もちろんエンジンのボートなどは
イルカやクジラにとってはどんな存在に映っているのでしょうか?
カヌーを漕いでいて、親子連れのザトウクジラに出逢った時、
母親やエスコートと呼ばれるオスのクジラが子クジラを守る様な動きをすることがあり、
明らかにこちらを意識していると感じました。
漕いでいる僕や仲間たちにとって、
このイルカやクジラとの遭遇はとても嬉しくて、興奮して、つい近寄りがちです。
だけど、相手が警戒していると感じる時は特に最新の注意を払います。
それは僕たちが相手の世界にお邪魔している立場で、楽しませてもらっているからと考えています。
ザトウクジラにいたってはとても大きくて、
メスだと15m(大型バス1台分)くらいになるので、
仮に接触、ヒレに当たる、ブリーチ(ジャンプ)して当たったら命の危険をはらんでいます。
漁船などエンジンのボートで接近する時はあまり気にならないのですが、
カヌーで接近する時、SUPやカヤックで接近する時は間違いなく怖さを明確に感じます。
その怖さ、そして畏敬の念がとても大切な気がするのです。
■僕は仙台の生まれ育ち、何故か子供の頃から鯨類が好きで、
よく図鑑やNHK「生き物地球紀行」でクジラ特集を食い入るようによく見ていました。
震災前まで女川にあった捕鯨の博物館(現ホエールランド)にも子供の頃、父親に連れて行ってもらい、
図鑑やTVでは分からないその迫力に感動した記憶があります。
19歳の頃、初めて観光で小笠原にやって来て、
当時カナヅチだった僕がイルカと泳ぎたい一心で泳ぎを習得したという経緯があります(#^.^#)
ほんとに水が怖かったんです(笑)。
その頃、父島にサザンクロスⅤというガイド船があって、
船長の東城さんのイルカやクジラに対する優しい考えやアプローチが素敵だなと思っていました。
21歳の頃に父島にやって来た時は、宿で仕事をしていました。
もう東城さんは残念なことに亡くなっていて、
僕は休日に色んなボートでホエールウォッチングやドルフィンスイムに通っていました。
何度も何度もツアーに出ているうちに、
ふと違和感のようなものが僕の中に感じられるようになりました。
自分たちは楽しむ為にイルカやクジラに接近している。
でも気付けば複数のボートで入れ代わり立ち代わり人を入れて、
群れに対して追いかけまわしている印象を持ち始めたのです。
ノビノビと遥か彼方(中央奥)で跳ねるハシナガちゃん。
■小笠原は小笠原ホエールウォッチング協会(OWA)があります。
捕鯨が国際的な流れで中止になり、その翌年の
1988年4月から日本で初めてのホエールウォッチングが母島で始まっています。
小笠原は最後の捕鯨の重要エリアとして基地があったのです。
当時、捕鯨が出来なくなったタイミングで、
すぐに獲るものから見るものへと転換したその柔軟性が凄いと思います。
島の先人たちは、この先を見越し、模索して
ハワイなどにウォッチングの視察に行き、
ルールや在り方について学びに行っていたそうです。
そして、小笠原ではOWAがクジラの接近に関して自主ルールを設けて、
イルカに関しては小笠原観光協会が運用して、
現在も近付き方、距離、回数などの制限を設けています。
これは大事な観光資源でもある、イルカやクジラと、それで商売をしている人たちのバランスを考えた、
国内でも先鋭的なルール設定だと思います。
僕はそのルールに関して、違うとかどうとか思っているわけではないですし、
それでガイドをしている皆さんに対して不満を持っているわけでなくて、
僕自身がそのツアーに参加してエンジンボートでアプローチすることに違和感を持ち始めたという事です。
丁度その頃、父島の宮之浜での素潜りが盛り上がっていて、
「チーム宮ノ浜」なんてのもあった頃、
宮之浜でミナミハンドウイルカと遊んできたという話が飛び込んできました。
僕はそこでピン!ときました。
僕はボートで会いに行くスタイルよりも、
海で遊んでいて、ふと偶然にイルカとコミュニケーションを取る、
遊ぶの方が好きだなぁ、と。
SUPで自然に出逢うハシナガイルカ達
■気付けば小笠原に移住していて、
今ではイルカやクジラが暮らしの身近な場所にいて、
年間通してよく海に出ている僕には日常の存在になってきました。
もうあの違和感を持ってからは、ほとんどガイド船に乗ることはないのですが、
海岸清掃やPTA行事、仕事などで沖に出て遭遇することはあります。
その時はやっぱり嬉しいし、思わず写真も撮っちゃいますが、
僕はSUPやカヌーを漕いでいて、偶然に出逢う方が好きなようです。
エンジンの付いたボートでは味わえない、
沖の静寂な中にかすかに聞こえるイルカの呼吸の音、
ザトウクジラの歌声が海面の上にいても直接聞こえる感覚、
どんなに一生懸命漕いでも、野生のイルカやクジラの速さや存在感に叶わないという、
圧倒的な無力感、
そのどれもが僕にとっては大好きな在り方でした♪
母島はガイド船というものがあまりないので、
SUPやカヌーで静かに眺めていても、
急にボートが集まってくるという事はまずありません。
実際にカナダに行った時、
テレグラフコーブ、アラートベイで感じた、
シャチなどの鯨類に関するアプローチ、そしてレクチャーの仕方や、
ガイド同士の連携、船の操船やエンジンと音まで配慮するその姿勢は
とても素晴らしく、感動を覚えました。
当時の感動はブログ記事に書いています。
近年、奄美のホールスイム等が話題となり、
SNSでもよく見かけます。
実際に経験した友人、知人の話、
実際に現地でガイドしている友人、
クジライルカ会議でのホエールスイムでの論議、
今、日本においては、ヒトと鯨類の距離感について
とてもホットな話題だと思います。
■そんな中、子供の頃から大好きで食いつくように見ていた図鑑の作者でもある人の言葉が飛び込んできました。
写真家でジャーナリストである著者の水口博也さんが、
とても興味深い記事をOWAの機関紙メガプテラVol.93号に書いていました。
これは本来OWA会員に配布される機関紙ですが、
年に一度程度、島内全戸配布を行っています。
今回はそこに載せられた記事で、
OWAの気持ちのこもったスタンスが感じられました。
勿論、賛否両論があると思います。
人が鯨類に近づき過ぎる事、ハラスメントの影響を警告し、
ずっと関わってきた水口さんならではの考察、
最後の一説にはさすがの一言に思えました。
「化石燃料を燃やし続けて鯨類の親子を追い回しながら、
感動の出逢いを謳うという欺瞞(ぎまん)からは動物福祉の観点からも、
気候変動を最小限にする地球人の義務としても、そろそろ決別すべきときだ」と。
そして巻末のOWAからの一言にも、
「野生動物観光の持つ負の側面をみんなで一緒になって考え、
解決していく事が大切だと思っています」と書かれています。
僕はこのタイミングでこの発信はすごい勇気のいる事だと思うし、
常に時代と、生き物と自然を考えて、柔軟に考えていこうというスタンスは
とても素晴らしい事だと思います。
そしてここではごく一部を切り取って紹介しているだけにすぎないので、
ぜひ機関紙メガプテラVol.93をしっかり読んで、
理解を深めてほしいと思います。
■この小さな小笠原においても幾つもの自主ルール、条例があります。
それは何も自然系だけでなく、人の暮らしにも様々なルールがあります。
それは先人の皆さんがその時のベストを考え、
最善を尽くして考えた結果だと思います。
本当にリスペクトの気持ちでいっぱいです。
しかし、時間の流れ、時代、価値観、自然は刻一刻と状況が変わっていきます。
常に過去に設定したルールが、
現状に合っているか?を見直す柔軟な姿勢は今後、とても大事な事だと思います。
そして、僕個人の考えになりますが、
一つのルールがあるのも大事ですが、
白黒のどちらかではなく、グレーを含む多様性が大事な時代になっているとも思うのです。
黒が白を塗りつぶすのではなく、
白一色にするわけでもなく、
どんな色も在っていい、大事なのは決め事よりもバランス、
そして常に見直して変える柔軟性が重要、そんな気がしています。
価値観の多様性を認める事。
言葉にすれば簡単ですが、
それはとても難しい事だと思います。
そして、その全体をみんなで漕ぐ一つのカヌーであるという意識。
イチ分野、イチ視点だけでなく、全体を見ることの大切さ。
価値観が違ってても、共に生きて、漕ぎ続けようというスタンスが重要になっていると思うのです。
■そして、それを生業としている人だけが考え、
実行するのではなく、
それらを利用する側、消費する側も、
考えてセレクトすることが求められます。
それがそのまま投票になります。
利用する側、消費する側も選ぶという意識を持っていることが大事と思うのです。
ルールで決まっているから、とか、
今までこうだから、ではなく、
自分自身の責任で以て考え、判断し、それを選んでいくこと。
それが今混沌と化している、
どこに向かえばいいか見えにくい時代において、
健全な世界を作って行く方法な気がするのです。
今でも追いかけまくっても、
どうせ毎年小笠原に来るんだから、
自主ルールなんて気にしなくていいという人もいるし、
大事な資源なのだから、
大事に気を遣って接していくべきという人もいます。
どっちが正しい悪い、ではなく、
よく考えてどっちを選んでいくのか、だと思うのです。
そしてどっちも存在できる社会がこれからの時代な気がしています。
日々、大好きな鯨類に関わる中、
この人と野生動物の関りの事をずっと書こうと思っていたら、
OWAの機関紙が配布されて、一気に記事にしちゃいました。
あくまで僕個人の考察ですが、
皆さんが地球に住む一つの命として考えて、
これからの未来に向けてカヌーを漕ぐ一員として、
考えるきっかけになれば幸いです。
長文を最後までありがとうございました!!
そして、SUPやアウトリガーカヌーを漕いでよく沖に出ます。
有難い事にその暮らしの中で冬は特にザトウクジラ、
夏はイルカ達(ミナミハンドウイルカ、ハシナガイルカ)に出逢うことがよくあります。
先日もSUPで御幸ノ浜沖でハシナガイルカの大群に逢うことが出来ました。
船だと船の引き波に乗って、いやっほう!と遊んでくれるハシナガイルカですが、
SUPやカヌーは速度が足りないないらしく(涙)
大体、スルーされることが多いのですが、
今回はSUPの下に寄って来てくれました♡
たまにあるんです(#^.^#)
手漕ぎのSUPやカヌー、
もちろんエンジンのボートなどは
イルカやクジラにとってはどんな存在に映っているのでしょうか?
カヌーを漕いでいて、親子連れのザトウクジラに出逢った時、
母親やエスコートと呼ばれるオスのクジラが子クジラを守る様な動きをすることがあり、
明らかにこちらを意識していると感じました。
漕いでいる僕や仲間たちにとって、
このイルカやクジラとの遭遇はとても嬉しくて、興奮して、つい近寄りがちです。
だけど、相手が警戒していると感じる時は特に最新の注意を払います。
それは僕たちが相手の世界にお邪魔している立場で、楽しませてもらっているからと考えています。
ザトウクジラにいたってはとても大きくて、
メスだと15m(大型バス1台分)くらいになるので、
仮に接触、ヒレに当たる、ブリーチ(ジャンプ)して当たったら命の危険をはらんでいます。
漁船などエンジンのボートで接近する時はあまり気にならないのですが、
カヌーで接近する時、SUPやカヤックで接近する時は間違いなく怖さを明確に感じます。
その怖さ、そして畏敬の念がとても大切な気がするのです。
■僕は仙台の生まれ育ち、何故か子供の頃から鯨類が好きで、
よく図鑑やNHK「生き物地球紀行」でクジラ特集を食い入るようによく見ていました。
震災前まで女川にあった捕鯨の博物館(現ホエールランド)にも子供の頃、父親に連れて行ってもらい、
図鑑やTVでは分からないその迫力に感動した記憶があります。
19歳の頃、初めて観光で小笠原にやって来て、
当時カナヅチだった僕がイルカと泳ぎたい一心で泳ぎを習得したという経緯があります(#^.^#)
ほんとに水が怖かったんです(笑)。
その頃、父島にサザンクロスⅤというガイド船があって、
船長の東城さんのイルカやクジラに対する優しい考えやアプローチが素敵だなと思っていました。
21歳の頃に父島にやって来た時は、宿で仕事をしていました。
もう東城さんは残念なことに亡くなっていて、
僕は休日に色んなボートでホエールウォッチングやドルフィンスイムに通っていました。
何度も何度もツアーに出ているうちに、
ふと違和感のようなものが僕の中に感じられるようになりました。
自分たちは楽しむ為にイルカやクジラに接近している。
でも気付けば複数のボートで入れ代わり立ち代わり人を入れて、
群れに対して追いかけまわしている印象を持ち始めたのです。
ノビノビと遥か彼方(中央奥)で跳ねるハシナガちゃん。
■小笠原は小笠原ホエールウォッチング協会(OWA)があります。
捕鯨が国際的な流れで中止になり、その翌年の
1988年4月から日本で初めてのホエールウォッチングが母島で始まっています。
小笠原は最後の捕鯨の重要エリアとして基地があったのです。
当時、捕鯨が出来なくなったタイミングで、
すぐに獲るものから見るものへと転換したその柔軟性が凄いと思います。
島の先人たちは、この先を見越し、模索して
ハワイなどにウォッチングの視察に行き、
ルールや在り方について学びに行っていたそうです。
そして、小笠原ではOWAがクジラの接近に関して自主ルールを設けて、
イルカに関しては小笠原観光協会が運用して、
現在も近付き方、距離、回数などの制限を設けています。
これは大事な観光資源でもある、イルカやクジラと、それで商売をしている人たちのバランスを考えた、
国内でも先鋭的なルール設定だと思います。
僕はそのルールに関して、違うとかどうとか思っているわけではないですし、
それでガイドをしている皆さんに対して不満を持っているわけでなくて、
僕自身がそのツアーに参加してエンジンボートでアプローチすることに違和感を持ち始めたという事です。
丁度その頃、父島の宮之浜での素潜りが盛り上がっていて、
「チーム宮ノ浜」なんてのもあった頃、
宮之浜でミナミハンドウイルカと遊んできたという話が飛び込んできました。
僕はそこでピン!ときました。
僕はボートで会いに行くスタイルよりも、
海で遊んでいて、ふと偶然にイルカとコミュニケーションを取る、
遊ぶの方が好きだなぁ、と。
SUPで自然に出逢うハシナガイルカ達
■気付けば小笠原に移住していて、
今ではイルカやクジラが暮らしの身近な場所にいて、
年間通してよく海に出ている僕には日常の存在になってきました。
もうあの違和感を持ってからは、ほとんどガイド船に乗ることはないのですが、
海岸清掃やPTA行事、仕事などで沖に出て遭遇することはあります。
その時はやっぱり嬉しいし、思わず写真も撮っちゃいますが、
僕はSUPやカヌーを漕いでいて、偶然に出逢う方が好きなようです。
エンジンの付いたボートでは味わえない、
沖の静寂な中にかすかに聞こえるイルカの呼吸の音、
ザトウクジラの歌声が海面の上にいても直接聞こえる感覚、
どんなに一生懸命漕いでも、野生のイルカやクジラの速さや存在感に叶わないという、
圧倒的な無力感、
そのどれもが僕にとっては大好きな在り方でした♪
母島はガイド船というものがあまりないので、
SUPやカヌーで静かに眺めていても、
急にボートが集まってくるという事はまずありません。
実際にカナダに行った時、
テレグラフコーブ、アラートベイで感じた、
シャチなどの鯨類に関するアプローチ、そしてレクチャーの仕方や、
ガイド同士の連携、船の操船やエンジンと音まで配慮するその姿勢は
とても素晴らしく、感動を覚えました。
当時の感動はブログ記事に書いています。
近年、奄美のホールスイム等が話題となり、
SNSでもよく見かけます。
実際に経験した友人、知人の話、
実際に現地でガイドしている友人、
クジライルカ会議でのホエールスイムでの論議、
今、日本においては、ヒトと鯨類の距離感について
とてもホットな話題だと思います。
■そんな中、子供の頃から大好きで食いつくように見ていた図鑑の作者でもある人の言葉が飛び込んできました。
写真家でジャーナリストである著者の水口博也さんが、
とても興味深い記事をOWAの機関紙メガプテラVol.93号に書いていました。
これは本来OWA会員に配布される機関紙ですが、
年に一度程度、島内全戸配布を行っています。
今回はそこに載せられた記事で、
OWAの気持ちのこもったスタンスが感じられました。
勿論、賛否両論があると思います。
人が鯨類に近づき過ぎる事、ハラスメントの影響を警告し、
ずっと関わってきた水口さんならではの考察、
最後の一説にはさすがの一言に思えました。
「化石燃料を燃やし続けて鯨類の親子を追い回しながら、
感動の出逢いを謳うという欺瞞(ぎまん)からは動物福祉の観点からも、
気候変動を最小限にする地球人の義務としても、そろそろ決別すべきときだ」と。
そして巻末のOWAからの一言にも、
「野生動物観光の持つ負の側面をみんなで一緒になって考え、
解決していく事が大切だと思っています」と書かれています。
僕はこのタイミングでこの発信はすごい勇気のいる事だと思うし、
常に時代と、生き物と自然を考えて、柔軟に考えていこうというスタンスは
とても素晴らしい事だと思います。
そしてここではごく一部を切り取って紹介しているだけにすぎないので、
ぜひ機関紙メガプテラVol.93をしっかり読んで、
理解を深めてほしいと思います。
■この小さな小笠原においても幾つもの自主ルール、条例があります。
それは何も自然系だけでなく、人の暮らしにも様々なルールがあります。
それは先人の皆さんがその時のベストを考え、
最善を尽くして考えた結果だと思います。
本当にリスペクトの気持ちでいっぱいです。
しかし、時間の流れ、時代、価値観、自然は刻一刻と状況が変わっていきます。
常に過去に設定したルールが、
現状に合っているか?を見直す柔軟な姿勢は今後、とても大事な事だと思います。
そして、僕個人の考えになりますが、
一つのルールがあるのも大事ですが、
白黒のどちらかではなく、グレーを含む多様性が大事な時代になっているとも思うのです。
黒が白を塗りつぶすのではなく、
白一色にするわけでもなく、
どんな色も在っていい、大事なのは決め事よりもバランス、
そして常に見直して変える柔軟性が重要、そんな気がしています。
価値観の多様性を認める事。
言葉にすれば簡単ですが、
それはとても難しい事だと思います。
そして、その全体をみんなで漕ぐ一つのカヌーであるという意識。
イチ分野、イチ視点だけでなく、全体を見ることの大切さ。
価値観が違ってても、共に生きて、漕ぎ続けようというスタンスが重要になっていると思うのです。
■そして、それを生業としている人だけが考え、
実行するのではなく、
それらを利用する側、消費する側も、
考えてセレクトすることが求められます。
それがそのまま投票になります。
利用する側、消費する側も選ぶという意識を持っていることが大事と思うのです。
ルールで決まっているから、とか、
今までこうだから、ではなく、
自分自身の責任で以て考え、判断し、それを選んでいくこと。
それが今混沌と化している、
どこに向かえばいいか見えにくい時代において、
健全な世界を作って行く方法な気がするのです。
今でも追いかけまくっても、
どうせ毎年小笠原に来るんだから、
自主ルールなんて気にしなくていいという人もいるし、
大事な資源なのだから、
大事に気を遣って接していくべきという人もいます。
どっちが正しい悪い、ではなく、
よく考えてどっちを選んでいくのか、だと思うのです。
そしてどっちも存在できる社会がこれからの時代な気がしています。
日々、大好きな鯨類に関わる中、
この人と野生動物の関りの事をずっと書こうと思っていたら、
OWAの機関紙が配布されて、一気に記事にしちゃいました。
あくまで僕個人の考察ですが、
皆さんが地球に住む一つの命として考えて、
これからの未来に向けてカヌーを漕ぐ一員として、
考えるきっかけになれば幸いです。
長文を最後までありがとうございました!!
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