■「6人でカヌーを漕ぐという事。
6人はみんな人が違い、当然考えや気持ちの差がある。
それは当然。
カヌーってのは、みんなが同じタイミングで、同じ力で漕いだ方が速く進む乗り物。
だけど、人それぞれで、最初は絶対に息が合わない。
疲れている人、サボりたい人、自分こそはしっかり漕ぎたい人、もっと漕ぎたい人、早く帰りたい人、
それは色々だ。
でもね、みんなの目的は一つ。
目的地に着くという事。
価値観が違う人を咎めたり、違う部分を指導するよりも、
とにかく何度も何度も一緒に漕ぐことが大切なんだ。
そうするとメンバは―自然と揃ってくる。
これがカヌーの面白い所なんだよな」
これは父島の友人、清水良一さんが語ってくれた一言です。
彼はカヤックのガイドもしていて、二人乗りのカヤックを教える事があるそうですが、
たった二人でも息を揃えるのは本当に難しいというのです。
それが6人で漕ぐなんて、
どれだけ凄くて面白いことだと思う?と。
そんな話を聞いていて、
ふと、このカヌーの話は人生や色んな地域での活動に置き換えて言えることだなと思いました。
例えば、
母島というカヌーを漕いでいたとして、
住んでいるみんなはみんな価値観がそれぞれです。
だけど、「みんなが幸せに暮らす」という目標に向けて、
一緒に漕いで行くイメージです。
このカヌーのメンバーが家族であったり、国単位であったり、地球単位であったりも言えることと思ったのです。
この心理に毎回気付かされるために、僕はカノー(小笠原では昔からカヌーの事をカノーと言います)を漕いでいるのかも知れません♪
■母島カノー倶楽部では、毎週練習をしているのですが、
先日は小5の次女がステア(舵取り)役をやることになりました。
過去になんどもステアはやっていて、そこそこできていたのですが、
前回、数か月前にステアをやって、あまり上手くできなかったので、
少し自信を無くていたようでしたが、
今回はとても上手くできていました。
ステアを離れている数か月間も、カノーに漕ぎ続け、
大人のステアを見て、感じていたのもやはり大きかったと感じます。
この成長は、本人自身としてもなんだかとても嬉しく感じたらしく、
ずっと数日間嬉しそうに語っていました(*^_^*)
もちろん、そんな娘の姿を見て、親夫婦もニンマリでした☆
■僕自身もそうですが、普通の漕ぎ手と舵取り(ステア)は、全く違う感覚です。
舵取りは常に、自分たちが乗っているカノーの行き先が正しい方向を向いているかを意識し、
みんなの漕ぎが不揃いになってないか、メンバーが疲れていないか、
根に乗り上げて座礁しないか、他に航海している船はいないか、
常にずっと集中しています。
ひとつの事に長時間集中するのが苦手な僕にとっては、
とても有意義な時間です♪
舵取りを終えた後は、
普通の漕ぎの倦怠感とは違う、
精神的な疲労感に包まれますが、
それがまた気持ちいいのです(*^_^*)
母島の色んなメンバーにもぜひステアを覚えて、沢山経験してほしいと思います☆
■この春、世界の有名なパドルメーカーにパドルをオーダーしようという動きがありました。
しかし、コロナの影響か、当時はパドル制作が各社ストップしており、注文できない状態になっていました。
小笠原にOC6という6人乗りのカノーをチェコから購入し運ぶ手配をしてくれた、
葉山オーシャン・ヴァア代表のデュークさんが、
メンバーの譲ってもいい中古パドルを9本送ってくれました(*^_^*)
近年カノーを始めたメンバーにとって、低価格で最初のマイパドルを得られる絶好の機会♡
本当に有難いものでした♪
どれもすごく使い込まれていて、
とても愛おしさが込み上げてきました♪
タヒチ製、アメリカ製、ハワイメーカー製のパドルたちが、
大海原を超えて、日本に来て、そして小笠原へ。
母島のパドラー達の手に渡り、
第2の人生をここで送ると思うと、
なんだかとても嬉しいです♪
大事にカノー部のメンバーと使わせて頂きます(*^_^*)
デュークさん、葉山のパドラーの皆さん、
どうもありがとうございます♪
届いたパドルを眺めていると、
1本1本、
職人さんが考えに考え、
技巧を凝らした様が浮かぶようです。
現在、母島には沖縄のPaddle Factory製のパドルがほとんどです。
代表の福井さんが今も母島の為にパドルを制作してくれています。
僕自身が好きなギターもそうだし、
パドルもそうだし、
職人さんの技法、芸術性は本当に素晴らしいと思います。
いつか工房を覗きに行ってみたいものです♡
■美しい夕焼けを眺めながら、
冒頭に書いたカヌーの神髄に想いを馳せていました。
日本で一番最初にハワイからアウトリガーカヌーが伝わった小笠原。
沖縄のハーリー文化とは違う部分です。
今盛んなフラも、島の川に残っているタロイモ(水芋)も、
タマナという気の名前や、
ピーマカという魚の料理の名前も、
ポリネシア由来と言われています。
僕が踊り手もしている南洋踊りもそうですが、
カヌーはこの海と海を、その人と人を繋げる大きな存在な気がします。
僕はそこに強烈に惹かれている気がします。
■「海と海が人を話すのではなく、人を繋げるんだ。まさにそこに本当の平和があると思う」
先日から、それこそカノーを漕いでいたご縁で、
ハワイのホクレア号の日本人クルーのたみこさんとお話しする機会がありました。
とても有名なホクレア号は1975年にアメリカ合衆国建国200周年記念事業の一つとして建造された、長距離航海用のカヌーです。
素材こそ現代の物を使っていますが、船の作りは伝統的なカヌーの作り方で、
釘を1本も使わず、すべて縄で縛られているそうです。
そして、航海はGPSなどの現代航海道具を使用せずに、
スターナビゲーションと呼ばれる天体や自然の情報のみを使って、世界の海を移動しています。
当時、このスターナビゲーションが絶えてしまっていたと考えられていましたが、
幸運にもヤップにあるサタワル島にマウ・ピアイルックがその航海術を教えてくれると知り、
ハワイ出身のナイノア・トンプソンが習いに行き、
現代のスターナビゲーターとして、技術と心を伝承しているそうです。
この項の冒頭の言葉はナイノアが語った深い一言です。
そのホクレア号が航海して行った島々では、
そこの先住民たちがホクレアの来島をきっかけに、
アイデンティティーを取り戻し、立ち上がっていったと聞いています。
白人の文化と宗教で、
先住民たちはくすぶっていましたが、一気に眠りから覚める様に。
そして小笠原も石器時代にはカヌーの民がいたことが分かっています。
江戸時代からはハワイ王朝時代の民が小笠原へ移住してきているのです。
ホクレアの話を聞けるというのは、そこの大切な部分を聞けるという事です♪
今日も午後からはオンラインでお話しできるとのこと、とても楽しみにしています(*^_^*)
■先月、大好きなファミリーが母島を離れて行きました。
旦那さんの任期なので、仕方のないことですが、
とても寂しいです。
お別れシーズンにはみんなでフラを踊ったりして、
別れを惜しんでいました。
長女がこのコロナ渦で
カナダ留学に戻るべきか、父島の高校に行くべきか悩んでいた時も、
留学の先輩として、色んな相談に乗ってもらいました。
一緒に沢山フラもしたね(*^_^*)
次女のお下がりの服やおもちゃも沢山喜んで受け取ってくれて、
本当に大好きなファミリーでした♪
お別れの時にはもちろん、レイを作って、届けます。
港に向かう妻と次女の後姿を見ていて、
なんだかよく似てきたなぁとしみじみ思いました(笑)。
小笠原ではお別れの時にレイを渡し、
船が離れる時にレイを海に投げて、そのレイが島に辿り着けば、
いつかまたその島に帰って来れるという言い伝えがあります。
大好きな家族のレイは、ちゃんと母島に流れ着いていましたよ(*^_^*)
沢山の思い出をありがとう♪
元気でやっているかな~
■最後にうちの次女さんのバブルリング、
素晴らしき先輩たちにアドバイスを頂き、とても上手くなってきました!
写真には撮れてないですが、
泡がひとつになっている綺麗なリングも数回作れています。
僕も何度か真似てトライしましたが、
オナラのような泡の塊ができるだけ(笑)。
どうやってやっているのだろう????
とにかく、
カノーで沖に行っても休憩で、彼女はバブルリングをひたすらやっています。
この夏休みでかなりのレベルに達したと思います。
いつか僕はオナラでバブルリングを成功させて、Youtuberデビューでもしようかなと目論んでおります(笑)。
そんな夏のカノーのお話しでした♪
※9/6追記
ハワイのホクレア・クルーのたみこさんのお話し会で、奇遇にも今回の記事と同じ内容のハワイのことわざに出逢いました。
He Moku he Wa'a,He Wa'a he Moku(島はカヌー、カヌーは島)
そういえば、去年デュークさんを招いたトークライブを開催したのですが、
そのタイトルがコレでした!!
今さらながらにそのタイトルの意味の深さに気付きました。
6人はみんな人が違い、当然考えや気持ちの差がある。
それは当然。
カヌーってのは、みんなが同じタイミングで、同じ力で漕いだ方が速く進む乗り物。
だけど、人それぞれで、最初は絶対に息が合わない。
疲れている人、サボりたい人、自分こそはしっかり漕ぎたい人、もっと漕ぎたい人、早く帰りたい人、
それは色々だ。
でもね、みんなの目的は一つ。
目的地に着くという事。
価値観が違う人を咎めたり、違う部分を指導するよりも、
とにかく何度も何度も一緒に漕ぐことが大切なんだ。
そうするとメンバは―自然と揃ってくる。
これがカヌーの面白い所なんだよな」
これは父島の友人、清水良一さんが語ってくれた一言です。
彼はカヤックのガイドもしていて、二人乗りのカヤックを教える事があるそうですが、
たった二人でも息を揃えるのは本当に難しいというのです。
それが6人で漕ぐなんて、
どれだけ凄くて面白いことだと思う?と。
そんな話を聞いていて、
ふと、このカヌーの話は人生や色んな地域での活動に置き換えて言えることだなと思いました。
例えば、
母島というカヌーを漕いでいたとして、
住んでいるみんなはみんな価値観がそれぞれです。
だけど、「みんなが幸せに暮らす」という目標に向けて、
一緒に漕いで行くイメージです。
このカヌーのメンバーが家族であったり、国単位であったり、地球単位であったりも言えることと思ったのです。
この心理に毎回気付かされるために、僕はカノー(小笠原では昔からカヌーの事をカノーと言います)を漕いでいるのかも知れません♪
■母島カノー倶楽部では、毎週練習をしているのですが、
先日は小5の次女がステア(舵取り)役をやることになりました。
過去になんどもステアはやっていて、そこそこできていたのですが、
前回、数か月前にステアをやって、あまり上手くできなかったので、
少し自信を無くていたようでしたが、
今回はとても上手くできていました。
ステアを離れている数か月間も、カノーに漕ぎ続け、
大人のステアを見て、感じていたのもやはり大きかったと感じます。
この成長は、本人自身としてもなんだかとても嬉しく感じたらしく、
ずっと数日間嬉しそうに語っていました(*^_^*)
もちろん、そんな娘の姿を見て、親夫婦もニンマリでした☆
■僕自身もそうですが、普通の漕ぎ手と舵取り(ステア)は、全く違う感覚です。
舵取りは常に、自分たちが乗っているカノーの行き先が正しい方向を向いているかを意識し、
みんなの漕ぎが不揃いになってないか、メンバーが疲れていないか、
根に乗り上げて座礁しないか、他に航海している船はいないか、
常にずっと集中しています。
ひとつの事に長時間集中するのが苦手な僕にとっては、
とても有意義な時間です♪
舵取りを終えた後は、
普通の漕ぎの倦怠感とは違う、
精神的な疲労感に包まれますが、
それがまた気持ちいいのです(*^_^*)
母島の色んなメンバーにもぜひステアを覚えて、沢山経験してほしいと思います☆
■この春、世界の有名なパドルメーカーにパドルをオーダーしようという動きがありました。
しかし、コロナの影響か、当時はパドル制作が各社ストップしており、注文できない状態になっていました。
小笠原にOC6という6人乗りのカノーをチェコから購入し運ぶ手配をしてくれた、
葉山オーシャン・ヴァア代表のデュークさんが、
メンバーの譲ってもいい中古パドルを9本送ってくれました(*^_^*)
近年カノーを始めたメンバーにとって、低価格で最初のマイパドルを得られる絶好の機会♡
本当に有難いものでした♪
どれもすごく使い込まれていて、
とても愛おしさが込み上げてきました♪
タヒチ製、アメリカ製、ハワイメーカー製のパドルたちが、
大海原を超えて、日本に来て、そして小笠原へ。
母島のパドラー達の手に渡り、
第2の人生をここで送ると思うと、
なんだかとても嬉しいです♪
大事にカノー部のメンバーと使わせて頂きます(*^_^*)
デュークさん、葉山のパドラーの皆さん、
どうもありがとうございます♪
届いたパドルを眺めていると、
1本1本、
職人さんが考えに考え、
技巧を凝らした様が浮かぶようです。
現在、母島には沖縄のPaddle Factory製のパドルがほとんどです。
代表の福井さんが今も母島の為にパドルを制作してくれています。
僕自身が好きなギターもそうだし、
パドルもそうだし、
職人さんの技法、芸術性は本当に素晴らしいと思います。
いつか工房を覗きに行ってみたいものです♡
■美しい夕焼けを眺めながら、
冒頭に書いたカヌーの神髄に想いを馳せていました。
日本で一番最初にハワイからアウトリガーカヌーが伝わった小笠原。
沖縄のハーリー文化とは違う部分です。
今盛んなフラも、島の川に残っているタロイモ(水芋)も、
タマナという気の名前や、
ピーマカという魚の料理の名前も、
ポリネシア由来と言われています。
僕が踊り手もしている南洋踊りもそうですが、
カヌーはこの海と海を、その人と人を繋げる大きな存在な気がします。
僕はそこに強烈に惹かれている気がします。
■「海と海が人を話すのではなく、人を繋げるんだ。まさにそこに本当の平和があると思う」
先日から、それこそカノーを漕いでいたご縁で、
ハワイのホクレア号の日本人クルーのたみこさんとお話しする機会がありました。
とても有名なホクレア号は1975年にアメリカ合衆国建国200周年記念事業の一つとして建造された、長距離航海用のカヌーです。
素材こそ現代の物を使っていますが、船の作りは伝統的なカヌーの作り方で、
釘を1本も使わず、すべて縄で縛られているそうです。
そして、航海はGPSなどの現代航海道具を使用せずに、
スターナビゲーションと呼ばれる天体や自然の情報のみを使って、世界の海を移動しています。
当時、このスターナビゲーションが絶えてしまっていたと考えられていましたが、
幸運にもヤップにあるサタワル島にマウ・ピアイルックがその航海術を教えてくれると知り、
ハワイ出身のナイノア・トンプソンが習いに行き、
現代のスターナビゲーターとして、技術と心を伝承しているそうです。
この項の冒頭の言葉はナイノアが語った深い一言です。
そのホクレア号が航海して行った島々では、
そこの先住民たちがホクレアの来島をきっかけに、
アイデンティティーを取り戻し、立ち上がっていったと聞いています。
白人の文化と宗教で、
先住民たちはくすぶっていましたが、一気に眠りから覚める様に。
そして小笠原も石器時代にはカヌーの民がいたことが分かっています。
江戸時代からはハワイ王朝時代の民が小笠原へ移住してきているのです。
ホクレアの話を聞けるというのは、そこの大切な部分を聞けるという事です♪
今日も午後からはオンラインでお話しできるとのこと、とても楽しみにしています(*^_^*)
■先月、大好きなファミリーが母島を離れて行きました。
旦那さんの任期なので、仕方のないことですが、
とても寂しいです。
お別れシーズンにはみんなでフラを踊ったりして、
別れを惜しんでいました。
長女がこのコロナ渦で
カナダ留学に戻るべきか、父島の高校に行くべきか悩んでいた時も、
留学の先輩として、色んな相談に乗ってもらいました。
一緒に沢山フラもしたね(*^_^*)
次女のお下がりの服やおもちゃも沢山喜んで受け取ってくれて、
本当に大好きなファミリーでした♪
お別れの時にはもちろん、レイを作って、届けます。
港に向かう妻と次女の後姿を見ていて、
なんだかよく似てきたなぁとしみじみ思いました(笑)。
小笠原ではお別れの時にレイを渡し、
船が離れる時にレイを海に投げて、そのレイが島に辿り着けば、
いつかまたその島に帰って来れるという言い伝えがあります。
大好きな家族のレイは、ちゃんと母島に流れ着いていましたよ(*^_^*)
沢山の思い出をありがとう♪
元気でやっているかな~
■最後にうちの次女さんのバブルリング、
素晴らしき先輩たちにアドバイスを頂き、とても上手くなってきました!
写真には撮れてないですが、
泡がひとつになっている綺麗なリングも数回作れています。
僕も何度か真似てトライしましたが、
オナラのような泡の塊ができるだけ(笑)。
どうやってやっているのだろう????
とにかく、
カノーで沖に行っても休憩で、彼女はバブルリングをひたすらやっています。
この夏休みでかなりのレベルに達したと思います。
いつか僕はオナラでバブルリングを成功させて、Youtuberデビューでもしようかなと目論んでおります(笑)。
そんな夏のカノーのお話しでした♪
※9/6追記
ハワイのホクレア・クルーのたみこさんのお話し会で、奇遇にも今回の記事と同じ内容のハワイのことわざに出逢いました。
He Moku he Wa'a,He Wa'a he Moku(島はカヌー、カヌーは島)
そういえば、去年デュークさんを招いたトークライブを開催したのですが、
そのタイトルがコレでした!!
今さらながらにそのタイトルの意味の深さに気付きました。
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