■去年の夏、カナダに行った目的のひとつ、先住民の文化を学ぶ、そして感じる事。
これはこの旅でもとても大きなテーマでした。
訪れたカナダの西部には海岸の豊かな資源に恵まれて、
トーテムポールなど芸術性を高めた先住民たちがいます。
7世代先の事を考えて行動する。
文字を持たない事を選び、口頭で伝える事の大切さを重んじた文化。
氷河期に海が凍って繋がっていたというユーラシア大陸とアメリカ大陸。
その凍ったベーリング海を渡って分布を拡げた、私達日本人と同じモンゴロイドがその祖先。
日本にも存在する先住民、アイヌと極北のエスキモーなどに似通った神話があるのも、頷けます。
遠い遠い、同じルーツのヒトが見ていたこの景色。
一体、どんな眼差しで見つめていたのでしょうか?
カナダの先住民はアメリカの先住民に比べて、悲惨なイメージが少し薄いです。
もちろん居留地もあるし、過去には同化政策もあり自分たちの言語や宗教を禁じられた歴史があります。
しかし、
1990年代には、多くの教会が先住民に公式に謝罪をしていますし、
2008年には、当時の首相スティーヴン・ハーパー氏が正式に謝罪をし、非常に大きなニュースとなりました。
まだまだ勉強不足ですが、南北戦争、アメリカとカナダの成り立ち、フランスとイギリスについてもっと勉強しなければと思います。
■僕は成人したころからインディアンの文化に興味がありました。
きっかけは「リトル・トリー」というインディアンの少年と祖父母の美しい物語です。
その後、図書館で本を借りたりして、沢山調べました。
エスキモーやクリンギット族などに深く関わった星野道夫にも惹かれました。
今回は長く滞在したポートハーディー、アラートベイ、バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学(UBC)にある先住民博物館を見に行く事が出来ました。
これはポートハーディーにある小さなミュージアム。
鮭の豊富な資源、多くの豊かな森林による林業が発達し、
先住民もその産業に関わっていったようです。
カナダの至る所で見かけるハクトウワシ。
カナダ西部の海岸文化ではハクトウワシとシャチはよく見かけることになりました。
きっと彼らは人住むずっと昔からこの森を守って来てくれたのでしょうね。
どんな眼差しで、人の営みを見つめているのでしょうか?
■こちらはコーモラント島のアラート・ベイにある先住民博物館U’Mista Museum。
ここではは、散逸してしまった先住民族の文化資産を回収、展示してありました。
あまりに派手で華美な風習であると一度は禁止された”Potlatch(ポットラッチ)”に使われた品々のコレクションは一見の価値があります。
これはシャチです。
昔からこのジョンストン海峡に存在していたのでしょうね。
シャチは美と力の象徴で、その力と大きさには畏敬の念を持たれています。
そしてシャチは旅人であり、守護者です。
いくつかの部族は、シャチがカヌーを捕獲して、乗客をクジラに変える為に水面下に連れて行くと信じていたそうです。
また、シャチは仲間を終身連れ添う事から、ロマンスのシンボルとして人気があります。
これはイーグルですね。
ハクトウワシだけではない気がします。
そのどれもが美しく、自然の中から生み出された芸術です。
しかし、これは保存のために集められた言わば遺品です。
■ヨーロッパの様に何世代も残る石の文化ではなく、
自然の風化と共に消えていく木の文化なのです。
18世紀、白人たちが来るようになって、トーテムポールの存在は確認されていますが、
それ以前については分からないそうです。
それは、トーテムポールは“建立すること”に意義があり、
保存や維持修復することには意義はないと考えていること、
そして、自然に朽ちるにまかせ、
その地に還すものとしているからなのだそうです。
白人がこの地域一帯にも進出し、特に19世紀後半から20世紀にかけて、
博物館などで保存するために各所で収集が始められ、今日、それらを世界各地の博物館で見ることができます。
今回はあまりに広大で日にちが足りなくて行けなかったのですが、
その神話の時代に生きたトーテムポールをそのまま自然に還るままにしている場所があるのです。
それがハイダ・グワイ(旧称・クイーンシャーロット諸島)です。
いつか必ず訪れたいと思う場所のひとつです。
しかし、今回はアラートベイでそんな生きたトーテムポールに出会うことができました。
トーテムポールは色んな場面で作られ来たようです。その中の一つにお墓があります。
アラートベイの一角には道路から眺めて、立ち入りを遠慮する神聖な場所が残っていました。
なぜ彼らは私たちの様に貴重だと言って保存したり管理したりしないことを選んだのでしょうか?
自然のままに任せるその先住民たちの“強さ”に僕は惹かれているのです。
そして今も生きる先住民たちの多くの課題とその目線を感じるのです。
遠くから眺めて、色んな動物が描かれているのを見て、昔の風景を想います。
アラートベイ、ここは白人たちが入って来て、鮭の缶詰工場として急速に発展した地域のようです。
今も漁業が盛んで、観光客はそれほど多いと感じませんでした。
■アラートベイにはなんと52mにもなる世界一大きなトーテムポールがありました。
一番下にいる娘たちが米粒の様に見えますね(笑)。
アラートベイに村があるクワキウトル族のJ.ディック率いる彫刻家たちによって1973年に作られてそうです。
10種類以上の動物などが刻まれています。
しかし、二つの材からできているため、「世界一とはいえない」とする意見もあるようです(笑)。
そんな立派なトーテムポールの下で家族で記念撮影♡
■そして最後の訪れたのがカナダ本土、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)にある先住民博物館、通称MOAです。
ここにはカナダ中の先住民の資料や展示が揃っているとても大きな博物館です。
私たちはこうしてつい保存しようとしてしまいます。
世界の多くの人に見てもらいたいと思ったりします。
このMOAにはカナダ・アメリカどころか世界中の文化資産がコレクションとして集められています。
日本の着物や鎧や兜、バリのお面や衣装、中国ヨーロッパまでも。
ここに来ることで世界の文化に触れることができます。
そのどれもが素晴らしく、その地域、時代、文化を生目で見ることができます。
すごい博物館だと思います。
しかし、ふと考えるのです。
これでいいのか?と。
僕が子供の頃、仙台のデパートでエジプト文明のツタンカーメン展があり、
あの有名な黄金のマスクやミイラの展示がありました。
子ども心にエジプト文明に思いを馳せて、とても楽しんだのを覚えています。
しかし、しかし、よく考えるとあれは、ピラミッドは王家のお墓なのです。
マスクも装飾品もお墓に添えられたお供えなのです。
それをその現場から持ち去り、展示して、いいものなのでしょうか?
仮に僕がツタンカーメンの孫だとしたら、先祖の墓はどんなに学術的価値があろうと、いじってほしくないと思ったのです。
墓をあさる盗掘化も研究者も、そこにはあまり差がない気がするのです。
先住民たちが一生懸命作ったその作品を後世に残そうと保存したりせずに、
自然のままに任せるそのスタンスが深く心に刺さるのです。
だからこの展示物達からは芸術的な価値や美しさは感じるのですが、
今も生きる神聖さを感じれないのはそういう背景なのかなと思いました。
高校生の頃、動物園や水族館に世界中の生き物が集められることに違和感を感じて、
一切行くのをやめたことがあったのに少し感じは似ています。
その後、成人した年頃位には一つの考えに至りました。
こうして多くの人に見て知ってもらう事にも意味があると思い、
ある程度の犠牲は仕方なく、いいのではないかという妥協論です。
今でもベストな答えは見いだせていません。
ただ、本来ここにあるべきものではないのじゃないか?という違和感があるのです。
私たちの住む小笠原も石器時代には人が住んでいましたが、今はカヌーを掘った石器しか残っていません。
さらには戦前の暮らしや文化も戦争と強制疎開で失われています。
その時代に保存しようと動いていれば残っていたものもあるでしょう。
きっとそこにも大事な意味は存在します。
でも、でも、
やっぱり気になるのは自然に朽ちるままを大事にしてきた先住民の気持ちです。
なんでしょう。
過去からの物ではなく、今の瞬間が一番大切ということなのでしょうか?
そして言葉は文字にすると命を失ってしまうと考え、
文字ではなく口で、神話で叡知を伝えてきた先住民たち。
それはおそらく少しずつその時代に合わせて柔軟に変化しつつも、
その本質を見失わないものだったと思えるのです。
どんなに保存しようとしても永遠は存在しません。
いずれ滅びるものに執着せずに、
今を生きるべし。
そんなことを問いかけてくれている気がしてならないのです。
カナダで見た先住民の文化からはそんなメッセージを頂けた気がしています。
これはこの旅でもとても大きなテーマでした。
訪れたカナダの西部には海岸の豊かな資源に恵まれて、
トーテムポールなど芸術性を高めた先住民たちがいます。
7世代先の事を考えて行動する。
文字を持たない事を選び、口頭で伝える事の大切さを重んじた文化。
氷河期に海が凍って繋がっていたというユーラシア大陸とアメリカ大陸。
その凍ったベーリング海を渡って分布を拡げた、私達日本人と同じモンゴロイドがその祖先。
日本にも存在する先住民、アイヌと極北のエスキモーなどに似通った神話があるのも、頷けます。
遠い遠い、同じルーツのヒトが見ていたこの景色。
一体、どんな眼差しで見つめていたのでしょうか?
カナダの先住民はアメリカの先住民に比べて、悲惨なイメージが少し薄いです。
もちろん居留地もあるし、過去には同化政策もあり自分たちの言語や宗教を禁じられた歴史があります。
しかし、
1990年代には、多くの教会が先住民に公式に謝罪をしていますし、
2008年には、当時の首相スティーヴン・ハーパー氏が正式に謝罪をし、非常に大きなニュースとなりました。
まだまだ勉強不足ですが、南北戦争、アメリカとカナダの成り立ち、フランスとイギリスについてもっと勉強しなければと思います。
■僕は成人したころからインディアンの文化に興味がありました。
きっかけは「リトル・トリー」というインディアンの少年と祖父母の美しい物語です。
その後、図書館で本を借りたりして、沢山調べました。
エスキモーやクリンギット族などに深く関わった星野道夫にも惹かれました。
今回は長く滞在したポートハーディー、アラートベイ、バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学(UBC)にある先住民博物館を見に行く事が出来ました。
これはポートハーディーにある小さなミュージアム。
鮭の豊富な資源、多くの豊かな森林による林業が発達し、
先住民もその産業に関わっていったようです。
カナダの至る所で見かけるハクトウワシ。
カナダ西部の海岸文化ではハクトウワシとシャチはよく見かけることになりました。
きっと彼らは人住むずっと昔からこの森を守って来てくれたのでしょうね。
どんな眼差しで、人の営みを見つめているのでしょうか?
■こちらはコーモラント島のアラート・ベイにある先住民博物館U’Mista Museum。
ここではは、散逸してしまった先住民族の文化資産を回収、展示してありました。
あまりに派手で華美な風習であると一度は禁止された”Potlatch(ポットラッチ)”に使われた品々のコレクションは一見の価値があります。
これはシャチです。
昔からこのジョンストン海峡に存在していたのでしょうね。
シャチは美と力の象徴で、その力と大きさには畏敬の念を持たれています。
そしてシャチは旅人であり、守護者です。
いくつかの部族は、シャチがカヌーを捕獲して、乗客をクジラに変える為に水面下に連れて行くと信じていたそうです。
また、シャチは仲間を終身連れ添う事から、ロマンスのシンボルとして人気があります。
これはイーグルですね。
ハクトウワシだけではない気がします。
そのどれもが美しく、自然の中から生み出された芸術です。
しかし、これは保存のために集められた言わば遺品です。
■ヨーロッパの様に何世代も残る石の文化ではなく、
自然の風化と共に消えていく木の文化なのです。
18世紀、白人たちが来るようになって、トーテムポールの存在は確認されていますが、
それ以前については分からないそうです。
それは、トーテムポールは“建立すること”に意義があり、
保存や維持修復することには意義はないと考えていること、
そして、自然に朽ちるにまかせ、
その地に還すものとしているからなのだそうです。
白人がこの地域一帯にも進出し、特に19世紀後半から20世紀にかけて、
博物館などで保存するために各所で収集が始められ、今日、それらを世界各地の博物館で見ることができます。
今回はあまりに広大で日にちが足りなくて行けなかったのですが、
その神話の時代に生きたトーテムポールをそのまま自然に還るままにしている場所があるのです。
それがハイダ・グワイ(旧称・クイーンシャーロット諸島)です。
いつか必ず訪れたいと思う場所のひとつです。
しかし、今回はアラートベイでそんな生きたトーテムポールに出会うことができました。
トーテムポールは色んな場面で作られ来たようです。その中の一つにお墓があります。
アラートベイの一角には道路から眺めて、立ち入りを遠慮する神聖な場所が残っていました。
なぜ彼らは私たちの様に貴重だと言って保存したり管理したりしないことを選んだのでしょうか?
自然のままに任せるその先住民たちの“強さ”に僕は惹かれているのです。
そして今も生きる先住民たちの多くの課題とその目線を感じるのです。
遠くから眺めて、色んな動物が描かれているのを見て、昔の風景を想います。
アラートベイ、ここは白人たちが入って来て、鮭の缶詰工場として急速に発展した地域のようです。
今も漁業が盛んで、観光客はそれほど多いと感じませんでした。
■アラートベイにはなんと52mにもなる世界一大きなトーテムポールがありました。
一番下にいる娘たちが米粒の様に見えますね(笑)。
アラートベイに村があるクワキウトル族のJ.ディック率いる彫刻家たちによって1973年に作られてそうです。
10種類以上の動物などが刻まれています。
しかし、二つの材からできているため、「世界一とはいえない」とする意見もあるようです(笑)。
そんな立派なトーテムポールの下で家族で記念撮影♡
■そして最後の訪れたのがカナダ本土、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)にある先住民博物館、通称MOAです。
ここにはカナダ中の先住民の資料や展示が揃っているとても大きな博物館です。
私たちはこうしてつい保存しようとしてしまいます。
世界の多くの人に見てもらいたいと思ったりします。
このMOAにはカナダ・アメリカどころか世界中の文化資産がコレクションとして集められています。
日本の着物や鎧や兜、バリのお面や衣装、中国ヨーロッパまでも。
ここに来ることで世界の文化に触れることができます。
そのどれもが素晴らしく、その地域、時代、文化を生目で見ることができます。
すごい博物館だと思います。
しかし、ふと考えるのです。
これでいいのか?と。
僕が子供の頃、仙台のデパートでエジプト文明のツタンカーメン展があり、
あの有名な黄金のマスクやミイラの展示がありました。
子ども心にエジプト文明に思いを馳せて、とても楽しんだのを覚えています。
しかし、しかし、よく考えるとあれは、ピラミッドは王家のお墓なのです。
マスクも装飾品もお墓に添えられたお供えなのです。
それをその現場から持ち去り、展示して、いいものなのでしょうか?
仮に僕がツタンカーメンの孫だとしたら、先祖の墓はどんなに学術的価値があろうと、いじってほしくないと思ったのです。
墓をあさる盗掘化も研究者も、そこにはあまり差がない気がするのです。
先住民たちが一生懸命作ったその作品を後世に残そうと保存したりせずに、
自然のままに任せるそのスタンスが深く心に刺さるのです。
だからこの展示物達からは芸術的な価値や美しさは感じるのですが、
今も生きる神聖さを感じれないのはそういう背景なのかなと思いました。
高校生の頃、動物園や水族館に世界中の生き物が集められることに違和感を感じて、
一切行くのをやめたことがあったのに少し感じは似ています。
その後、成人した年頃位には一つの考えに至りました。
こうして多くの人に見て知ってもらう事にも意味があると思い、
ある程度の犠牲は仕方なく、いいのではないかという妥協論です。
今でもベストな答えは見いだせていません。
ただ、本来ここにあるべきものではないのじゃないか?という違和感があるのです。
私たちの住む小笠原も石器時代には人が住んでいましたが、今はカヌーを掘った石器しか残っていません。
さらには戦前の暮らしや文化も戦争と強制疎開で失われています。
その時代に保存しようと動いていれば残っていたものもあるでしょう。
きっとそこにも大事な意味は存在します。
でも、でも、
やっぱり気になるのは自然に朽ちるままを大事にしてきた先住民の気持ちです。
なんでしょう。
過去からの物ではなく、今の瞬間が一番大切ということなのでしょうか?
そして言葉は文字にすると命を失ってしまうと考え、
文字ではなく口で、神話で叡知を伝えてきた先住民たち。
それはおそらく少しずつその時代に合わせて柔軟に変化しつつも、
その本質を見失わないものだったと思えるのです。
どんなに保存しようとしても永遠は存在しません。
いずれ滅びるものに執着せずに、
今を生きるべし。
そんなことを問いかけてくれている気がしてならないのです。
カナダで見た先住民の文化からはそんなメッセージを頂けた気がしています。
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