■小笠原に未曽有の被害を及ぼした、今回の台風21号。
小笠原に移住して17年。
ここまで甚大な被害を及ぼした台風は初めてでした。
写真はスナックとして親しまれていた「みち草」の屋根が飛んだものです。
台風のもの凄い力をまざまざと見せつけられました。
島の人々は言います。「これは昭和58年台風17号(1983年)以来の被害だ!!」と。
そう、島の先輩たちが忘れもしない大被害を起こした伝説の台風です。
ここまで直撃したのも3年振りだったと思います。
近くの車は飛んできた破片で窓ガラスが割れてしまっています。
我が家は停電こそ2日間したものの、
家自体は無事だったので、この2日間はボランティアで集落の復旧作業に追われました。
2日間、ずっとチェインソーと怪力仕事の連続だったので、ヘロヘロです(笑)。
しかし、住んでいる家の屋根を失っている人もいるほどなので、
文句などいう気になれません。
そんな中でも大きなけが人や人命にかかわる事がなかった事が幸いです。
母島島民の記録として、これからの災害認定の材料として、この記事を書こうと思いました。
そのくらい母島の被害は発信しないと伝わらないと思いました。
被害のたった一部ですが、自然の力の壮絶さが伝わると思います。
色々停電で連絡がつかない中、心配して下さった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m
無事です!!
■台風最接近の10月24日朝7:00
非常に強い台風21号ブアローイは小笠原最接近時は950hPaでした。
10月24日の朝から強風が吹き荒れました。
父島では52.7m/sの強風を記録しました。
友人から頂いた経路図によると、母島は直撃、父島はわずかに西にそれているんですね。
どちらも暴風圏には入っていますが、母島の被害の大きさを見ると、このわずかな差が大きかったのかも知れません。
19号から2週間後というのもあるかもですね。
動画は朝7時前に自宅の窓から撮影しました。
凄まじい暴風雨でこのあと台風の中心に近づくにつれて、撮影はできない状況となりました。
雨戸を閉めて、じっと耐えます。
まだ停電はしていないとFacebookに投稿した直後、母島全域が停電となりました。
その後、翌日の午後まで停電は続きました。
そとでは轟音が続いています。
閉めた雨戸や家の壁に色んなものが飛んで当たっているのが分かります。
友人から「雨戸を閉めていて、その内側の窓ガラスが割れた!!」と電話が入り、
慌てずに状況を見極めて、お話ししました。
雨戸を閉めて、窓も閉めるとその間の空間が、
台風の気圧の変化に追い付かず、窓ガラスを割ることがあるからです。
案の定、台風接近時は耳がトンネルに入ったように、気圧の変化で痛かったです。
■台風の目に突入 8:30
さっきまでの風がピタッとやみました。
雨戸をあけて外を見ると、空が明るくなっていました。
台風の眼です。
サイズと速度から見て1時間弱程度は収まっていると感じました。
外に出て、唖然としました。
都住のガス庫の屋根がはがれていました。
このトタンは石膏の様なモノでできていたので、塊では飛ばず、バラバラだったのが幸いしました。
外はみんな停電でクーラーが使えず、周囲を確認する人がチラホラ。
この段階で、集落は幾つかの被害が確認できました。
診療所の車庫の屋根も飛んで落ちています。
どこにも当たらなかったのが、幸いでした。
網の門は壊れ、中の柑橘の木も倒れています。
子供達の通学路である「B線」は倒木だらけでした。
B線横に植えられたタコの木は校庭側に落ちてしまっていました!!
診療所は停電の為、自家発電の機械が稼働していました。さすがです。
役場や支庁出張所など重要なインフラは自家発電施設を併設しています。
様々な備蓄が蓄えられている防災倉庫。
これにお世話になるかもしれません。
台風の目のうちに、さっと自宅の飛びそうなトタンをロープで抑え、
車に乗って、一気に畑に行きました。
ヤギと鶏、家畜の餌やりと様子を見に行く為とチェインソーを持って来る為でした。
あとの通過後に書きますが、ここでも集落の様々な損害を目の当たりにしました。
しかし、これはまだ序の口でした。
道は様々な木が倒れています。
無事、畑のほとんどの木が倒れているのをさっと見て、家畜に餌をあげていたら、
にわかに風が強くなってきました。
台風の眼の終りを感じました。
急いで帰宅します。
帰り道もモノが散乱しています。
■強烈な吹き返し 9:30~
この瞬間から音がまるで変わりました。
色んなものが飛び交っています。
しかし、家の中ではまた別の異様な光景が(笑)。
そう、次女がトランプやUNO、将棋をやり終えて、ついにペーパークラフトを出してきました。
なんと島の暮らしを支える共勝丸のものです。
これを今やらずにいつやるのか!?と言わんばかりです(笑)。
この時もそうですが、今回の台風の停電でとても役に立ったのが、
手回し発電機能付きのLEDライトでした。
ラジオもソーラーもUSB充電機能も付いている優れもの。
去年の大々的に行われた防災訓練をきっかけに買った防災ツールのひとつでした♪
次女と二人で一生懸命に作り、
気付けばもうお昼になっていました(笑)。
ジャジャーン!!
これは初心者向けバージョンで、さらに上級向けにも挑戦し始めていたのですが、
外が暴風圏を過ぎて、落ち着いてきていたので、困っている所はないか周る事にしました。
とにかく吹き返しはもの凄い風でした。
■台風通過後の惨状 13:00~
台風通過後の集落の惨状は言葉を失うほどでした。
島の一番古い民間アパートの屋根が飛んでいました。
あまりの惨状に言葉を失いました。
すっかり屋根の張りが見えてしまうほどです。
ここには友人がたくさん住んでいるので、様子を見に行きました。
なるほど、玄関の上部分は綺麗に飛んでいます。
室内もガラスが散乱し、部屋によっては雨戸ごと飛んで無くなっている部屋もありました。
避難所に避難していたものの、このあとどうしたらいいのか唖然としている状態でした。
ひとまず、できる限りのフォローをして、
僕は独居の高齢者の所を周りました。
最終的にはこのアパートは台風通過の翌日にはブルーシートの屋根になっていました。
閉めた雨戸を開けたり、話をしたり聞いたり、入り口の倒木をチェインソーで切ったりどかしたり。
集落の商店の倉庫も倒れてしまっていました。
言葉になりません。
どれだけの損害になるのでしょう。
これは立派な被災です。
どうか、様々な制度で保障されることを願うばかりです。
もうすでに多くの人や業者さんが作業に当たっていました。
僕は業者さんが手の届かない所などをチェインソーで切ったりなど、
復旧作業を続けました。
場所によってはミラーが飛んでいたりします。
人に当たったりしなくて本当に良かったです。
駐輪場も壁がめくれてしまったり、
トレーラーハウスの屋根がはがれてしまったり。
何から手をつければいいか分からないほどでした。
川には沢山の部材が落ちて、小舟まで落ちていました。
消防車庫も天井と壁部分が吹き飛んでいました。
横から丸見えです。
以前の台風で壊れて更新したばかりのシャッターは無事でした。
りっぱな菩提樹の木が倒れてしまいました。
物置類も壊れています。
これはもう人が立ち入れないレベルです。
畑のバナナはまさにドミノ倒し状態でした。
村民会館も幾つかガラスが割れてしまい、
園庭にもこんな張り紙が。
とにかく、今回は川沿いの被害が酷かったようです。
大谷から吹き上げる風が尋常ではなかったのでしょう。
集落の目途が少し経ったので脇浜のカヌーの様子を見に行きました。
すると、凄まじい光景が…
強風で休憩所が吹き飛び、残る2つもグラグラ揺れています。
危険なので、遠目で見るだけにしました。
またカヌーも養生で縛っていたのですが、風でずれてしまい、横の杭にぶつかって、
僅かに亀裂が入ってしまいました。
村にこれだけの損害をもたらした中、補修してなんとかなりそうな亀裂で済んだのは不幸中の幸いだったかもしれませんが、
もっとできたこともあったと思うので、今後の課題となりました。
今回の台風21号はなんとっ屈強な養生中の漁船ですら何隻か傾かせました。
船体も何隻か傷んでしまったそうです。
■今回の台風21号はとにかく小笠原直撃コースで、あっという間に過ぎ去っていきました。
しかし、それがもたらす被害は20年に1度の規模と言われています。
出来る限りに備えて、養生していても、雨戸や屋根が飛ぶのを目の当たりにすると、
やはり自然の力の強大さを感じられずにはいられません。
停電のお蔭で私達の住むエリアは水も止まってしまいました。
普段からあまり家電のない暮らしなので、電気自体はさほど困らなかったのですが、
水にはやはり不便さを感じました。
しかし、屋根が飛んだ家の事を思うと、なんてことはない問題だと思いました。
また、電気は停電の翌日夜にはほとんどが復旧しました。
[復旧時刻 農協周辺24日24時頃 他商店、新都住付近:25日昼過ぎ 旧都住、脇浜15時過ぎ 学校より奥エリア 19時]
これは本当に有難いことです。
夜通し復旧作業をしてくれた東電の皆さんに感謝です。
電気が通った時、どんなに有難いと思った事か。
他にも当たり前の大事さに沢山気付かされるきっかけとなりました。
避難所を開設し、水の管理、さらに充電場所なども作ってくれた役場、
すぐに道路を通れるようにしてくれた行政や土建、農業者の皆さん、
自身が被災しているのにゴミ回収や商店の営業など、人の為に動く皆さん、
その他ほんとうに多くの人々のお蔭で、
もの凄い台風被害のあとでも、一筋の“島の逞しさ”というものを垣間見させてもらった気がします。
停電の最中、保護されたクロアジサシ。
強風とびしょ濡れで飛べないでいました。
電話が通じなくとも、電気が来なくても、
困った野生動物を助けようとする人の優しさに救われました。
翌日の昼に浜に行ったら元気に飛んでくれて、
何故かこちらがすごく力を頂きました☆
番外編として、台風養生の帰りに見た台風接近前の夕陽はあまりに美しかった事、
台風で全戸停電していた母島の夜は、真っ暗で星が美しく、とても静かな夜でした。
これからも復旧をしていきますが、
1日も早く、被災した皆さんが普通の安心した日常をおくれますよう、復旧を祈ります!!
小笠原に移住して17年。
ここまで甚大な被害を及ぼした台風は初めてでした。
写真はスナックとして親しまれていた「みち草」の屋根が飛んだものです。
台風のもの凄い力をまざまざと見せつけられました。
島の人々は言います。「これは昭和58年台風17号(1983年)以来の被害だ!!」と。
そう、島の先輩たちが忘れもしない大被害を起こした伝説の台風です。
ここまで直撃したのも3年振りだったと思います。
近くの車は飛んできた破片で窓ガラスが割れてしまっています。
我が家は停電こそ2日間したものの、
家自体は無事だったので、この2日間はボランティアで集落の復旧作業に追われました。
2日間、ずっとチェインソーと怪力仕事の連続だったので、ヘロヘロです(笑)。
しかし、住んでいる家の屋根を失っている人もいるほどなので、
文句などいう気になれません。
そんな中でも大きなけが人や人命にかかわる事がなかった事が幸いです。
母島島民の記録として、これからの災害認定の材料として、この記事を書こうと思いました。
そのくらい母島の被害は発信しないと伝わらないと思いました。
被害のたった一部ですが、自然の力の壮絶さが伝わると思います。
色々停電で連絡がつかない中、心配して下さった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m
無事です!!
■台風最接近の10月24日朝7:00
非常に強い台風21号ブアローイは小笠原最接近時は950hPaでした。
10月24日の朝から強風が吹き荒れました。
父島では52.7m/sの強風を記録しました。
友人から頂いた経路図によると、母島は直撃、父島はわずかに西にそれているんですね。
どちらも暴風圏には入っていますが、母島の被害の大きさを見ると、このわずかな差が大きかったのかも知れません。
19号から2週間後というのもあるかもですね。
動画は朝7時前に自宅の窓から撮影しました。
凄まじい暴風雨でこのあと台風の中心に近づくにつれて、撮影はできない状況となりました。
雨戸を閉めて、じっと耐えます。
まだ停電はしていないとFacebookに投稿した直後、母島全域が停電となりました。
その後、翌日の午後まで停電は続きました。
そとでは轟音が続いています。
閉めた雨戸や家の壁に色んなものが飛んで当たっているのが分かります。
友人から「雨戸を閉めていて、その内側の窓ガラスが割れた!!」と電話が入り、
慌てずに状況を見極めて、お話ししました。
雨戸を閉めて、窓も閉めるとその間の空間が、
台風の気圧の変化に追い付かず、窓ガラスを割ることがあるからです。
案の定、台風接近時は耳がトンネルに入ったように、気圧の変化で痛かったです。
■台風の目に突入 8:30
さっきまでの風がピタッとやみました。
雨戸をあけて外を見ると、空が明るくなっていました。
台風の眼です。
サイズと速度から見て1時間弱程度は収まっていると感じました。
外に出て、唖然としました。
都住のガス庫の屋根がはがれていました。
このトタンは石膏の様なモノでできていたので、塊では飛ばず、バラバラだったのが幸いしました。
外はみんな停電でクーラーが使えず、周囲を確認する人がチラホラ。
この段階で、集落は幾つかの被害が確認できました。
診療所の車庫の屋根も飛んで落ちています。
どこにも当たらなかったのが、幸いでした。
網の門は壊れ、中の柑橘の木も倒れています。
子供達の通学路である「B線」は倒木だらけでした。
B線横に植えられたタコの木は校庭側に落ちてしまっていました!!
診療所は停電の為、自家発電の機械が稼働していました。さすがです。
役場や支庁出張所など重要なインフラは自家発電施設を併設しています。
様々な備蓄が蓄えられている防災倉庫。
これにお世話になるかもしれません。
台風の目のうちに、さっと自宅の飛びそうなトタンをロープで抑え、
車に乗って、一気に畑に行きました。
ヤギと鶏、家畜の餌やりと様子を見に行く為とチェインソーを持って来る為でした。
あとの通過後に書きますが、ここでも集落の様々な損害を目の当たりにしました。
しかし、これはまだ序の口でした。
道は様々な木が倒れています。
無事、畑のほとんどの木が倒れているのをさっと見て、家畜に餌をあげていたら、
にわかに風が強くなってきました。
台風の眼の終りを感じました。
急いで帰宅します。
帰り道もモノが散乱しています。
■強烈な吹き返し 9:30~
この瞬間から音がまるで変わりました。
色んなものが飛び交っています。
しかし、家の中ではまた別の異様な光景が(笑)。
そう、次女がトランプやUNO、将棋をやり終えて、ついにペーパークラフトを出してきました。
なんと島の暮らしを支える共勝丸のものです。
これを今やらずにいつやるのか!?と言わんばかりです(笑)。
この時もそうですが、今回の台風の停電でとても役に立ったのが、
手回し発電機能付きのLEDライトでした。
ラジオもソーラーもUSB充電機能も付いている優れもの。
去年の大々的に行われた防災訓練をきっかけに買った防災ツールのひとつでした♪
次女と二人で一生懸命に作り、
気付けばもうお昼になっていました(笑)。
ジャジャーン!!
これは初心者向けバージョンで、さらに上級向けにも挑戦し始めていたのですが、
外が暴風圏を過ぎて、落ち着いてきていたので、困っている所はないか周る事にしました。
とにかく吹き返しはもの凄い風でした。
■台風通過後の惨状 13:00~
台風通過後の集落の惨状は言葉を失うほどでした。
島の一番古い民間アパートの屋根が飛んでいました。
あまりの惨状に言葉を失いました。
すっかり屋根の張りが見えてしまうほどです。
ここには友人がたくさん住んでいるので、様子を見に行きました。
なるほど、玄関の上部分は綺麗に飛んでいます。
室内もガラスが散乱し、部屋によっては雨戸ごと飛んで無くなっている部屋もありました。
避難所に避難していたものの、このあとどうしたらいいのか唖然としている状態でした。
ひとまず、できる限りのフォローをして、
僕は独居の高齢者の所を周りました。
最終的にはこのアパートは台風通過の翌日にはブルーシートの屋根になっていました。
閉めた雨戸を開けたり、話をしたり聞いたり、入り口の倒木をチェインソーで切ったりどかしたり。
集落の商店の倉庫も倒れてしまっていました。
言葉になりません。
どれだけの損害になるのでしょう。
これは立派な被災です。
どうか、様々な制度で保障されることを願うばかりです。
もうすでに多くの人や業者さんが作業に当たっていました。
僕は業者さんが手の届かない所などをチェインソーで切ったりなど、
復旧作業を続けました。
場所によってはミラーが飛んでいたりします。
人に当たったりしなくて本当に良かったです。
駐輪場も壁がめくれてしまったり、
トレーラーハウスの屋根がはがれてしまったり。
何から手をつければいいか分からないほどでした。
川には沢山の部材が落ちて、小舟まで落ちていました。
消防車庫も天井と壁部分が吹き飛んでいました。
横から丸見えです。
以前の台風で壊れて更新したばかりのシャッターは無事でした。
りっぱな菩提樹の木が倒れてしまいました。
物置類も壊れています。
これはもう人が立ち入れないレベルです。
畑のバナナはまさにドミノ倒し状態でした。
村民会館も幾つかガラスが割れてしまい、
園庭にもこんな張り紙が。
とにかく、今回は川沿いの被害が酷かったようです。
大谷から吹き上げる風が尋常ではなかったのでしょう。
集落の目途が少し経ったので脇浜のカヌーの様子を見に行きました。
すると、凄まじい光景が…
強風で休憩所が吹き飛び、残る2つもグラグラ揺れています。
危険なので、遠目で見るだけにしました。
またカヌーも養生で縛っていたのですが、風でずれてしまい、横の杭にぶつかって、
僅かに亀裂が入ってしまいました。
村にこれだけの損害をもたらした中、補修してなんとかなりそうな亀裂で済んだのは不幸中の幸いだったかもしれませんが、
もっとできたこともあったと思うので、今後の課題となりました。
今回の台風21号はなんとっ屈強な養生中の漁船ですら何隻か傾かせました。
船体も何隻か傷んでしまったそうです。
■今回の台風21号はとにかく小笠原直撃コースで、あっという間に過ぎ去っていきました。
しかし、それがもたらす被害は20年に1度の規模と言われています。
出来る限りに備えて、養生していても、雨戸や屋根が飛ぶのを目の当たりにすると、
やはり自然の力の強大さを感じられずにはいられません。
停電のお蔭で私達の住むエリアは水も止まってしまいました。
普段からあまり家電のない暮らしなので、電気自体はさほど困らなかったのですが、
水にはやはり不便さを感じました。
しかし、屋根が飛んだ家の事を思うと、なんてことはない問題だと思いました。
また、電気は停電の翌日夜にはほとんどが復旧しました。
[復旧時刻 農協周辺24日24時頃 他商店、新都住付近:25日昼過ぎ 旧都住、脇浜15時過ぎ 学校より奥エリア 19時]
これは本当に有難いことです。
夜通し復旧作業をしてくれた東電の皆さんに感謝です。
電気が通った時、どんなに有難いと思った事か。
他にも当たり前の大事さに沢山気付かされるきっかけとなりました。
避難所を開設し、水の管理、さらに充電場所なども作ってくれた役場、
すぐに道路を通れるようにしてくれた行政や土建、農業者の皆さん、
自身が被災しているのにゴミ回収や商店の営業など、人の為に動く皆さん、
その他ほんとうに多くの人々のお蔭で、
もの凄い台風被害のあとでも、一筋の“島の逞しさ”というものを垣間見させてもらった気がします。
停電の最中、保護されたクロアジサシ。
強風とびしょ濡れで飛べないでいました。
電話が通じなくとも、電気が来なくても、
困った野生動物を助けようとする人の優しさに救われました。
翌日の昼に浜に行ったら元気に飛んでくれて、
何故かこちらがすごく力を頂きました☆
番外編として、台風養生の帰りに見た台風接近前の夕陽はあまりに美しかった事、
台風で全戸停電していた母島の夜は、真っ暗で星が美しく、とても静かな夜でした。
これからも復旧をしていきますが、
1日も早く、被災した皆さんが普通の安心した日常をおくれますよう、復旧を祈ります!!
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