小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

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その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

すんごい楽しかった、4年ぶりの母島返還祭!!

2023年06月30日 | 島のイベント
■今年は4年ぶりの母島返還祭でした!!
コロナが第5類に移行し、本当に久しぶりのフルでの母島の最大の祭典。

無事に終えてみて、
「ほんと楽しかったね~」
「これが返還祭だよね!!」
「初めてだけど最高だった♪」
僕自身もそう思いましたが、
色んな方が口々に言っていて、
本当に嬉しくなりました♡

準備に練習、運営に後片付けと、
関係者の皆様、本当に有難うございました!お疲れ様でした☆

この写真は恒例のフィナーレとなっている小笠原望郷歌のシーンです。
みんなで櫓(やぐら)を取り囲んで、
千昌夫さん/北国の春を小笠原バージョンに替え歌にして歌う場面。
僕も大好きな瞬間です♡

歌詞の1~3番が父島なので、
母島は4~6番だけ歌っています。

この最高の瞬間は2日目の当夜祭の最後に行います☆
この一体感が最高で、2日間の楽しみに楽しんだ返還祭を締めるにふさわしい瞬間だと思います。

僕自身も準備や出番、運営に
議員としても八丈島から来ている来賓の方との懇談もあり、
なかなかすべてを撮ることはできなかったのですが、
せっかくの4年ぶりの返還祭なので、
僕が撮れたものだけでも紹介してみようと思います♪


■1日目は前夜祭で島の演芸大会が主になります。
子供達の太鼓やフラ、
青年会のダンスの披露などもありました♪

次女もバッチリ練習に励んでいたので、しっかりとフラを踊っていました。
眺めていて、6歳年上の姉に似てきたなぁと思っていたら、
妻も後で動画を見た姉もそう思っていたようです(#^.^#)

小さい子のクラス、上級生のクラスを終えると、
今度は大人メンバーのフラです☆

フラって、年齢、経験もありますが、
その人がどんな思いで踊っているかも如実に伝わる気がするので、
とても面白いです(^^♪

それぞれみんな素敵で、
4年ぶりに返還祭という舞台でこうしてフラを再び見れるのは感慨深いです☆

大人の上級クラスは堂々としていて、カッコイイです♪
フラの祭典「フラオハナ」でもそうですが、
こういう発表の前にみんなで花飾りを集まって作っている姿も、
なんだかとてもいいなぁと思うのです(#^.^#)

■1日目の締めもやっぱり盆踊り!
最初は早い時間で保育園児の子供盆踊りがあり、
最後は21時前に大人盆踊りになります。

今回はなんとずっと父島で踊られていた、
太鼓をしている平田ノリさん作の「マッコウ音頭」が採用され、
母島の櫓のまわりでも「どっぱん!どっぱん!」とみんなで跳ねる姿が拝めました(^^♪

今回の母島返還祭の盆踊りは
・炭坑節
・東京音頭
・大漁節
・小笠原音頭
・母島音頭
・大東京音頭
・1+1音頭
・マッコウ音頭
の8曲でした!

大好きな動物音頭が抜けたのは残念でしたが、
小笠原音頭のザブ、ザブ、ザブザブザブ、いぇ~い!のジャンプは健在で、
やっぱり大盛り上がりでした(#^.^#)

今年は脇浜の会場の工事もあり、
区画が狭められての返還祭だったので、櫓も一辺を1mカットしての設営でした。

もっと狭いかなと当初は心配していたのですが、
結果はあまり気になりませんでした(#^.^#)
良かったです!


■2日目は父島での返還祭を終えて、
沢山の来賓やお客さんも来ての当夜祭となりました。

当夜祭はスポーツ大会の表彰式に始まり、
小池都知事や齊藤国土交通大臣のビデオ挨拶、
渋谷村長に八丈島の山下泰也町長のご挨拶もあり、
静粛な雰囲気で小笠原返還55周年を祝いました。

そこからはやはり八丈太鼓の「六人会」が見事な太鼓を魅せてくれました!

法被の背中に書かれた為朝さんの絵がまたカッコいい!!

小笠原太鼓のルーツとなっている八丈太鼓。
今年の頭に急逝した師匠の佐々木政治さんは、
戦争が終わって愛知にいる時に1度だけラジオで八丈の太鼓が流れ、
心を鷲掴みにされたそうです。
たったそれだけの記憶を頼りに、
小笠原が返還されてから父島に来て、
最初はドラム缶にコールタールを塗って叩き始めたのが小笠原太鼓の始まりだそうです。

久し振りに聞いた八丈太鼓。
6人会の皆さんのしっかりと起伏のあるリズムはめっちゃカッコ良かったです!!
背中の為朝さんが痺れました(^^♪

遠路はるばる、ありがとうございました♪
最高でした!!

■八丈太鼓が終わったら島っ子姉妹の素敵な歌披露がありました。
曲は栄光の架橋♪

スマホのLEDを光らせて、
ステキな美しい歌声を聴かせてくれました☆

島の皆さんはもちろん、
八丈の皆さんも喜んでくれていました(^^♪

こんな光景は本当に4年振りで、
色々と動きながらも、
やっぱりとても嬉しいなぁとじんわり感じていました。

舞台裏で取り回しをしていた方がコロナ禍の間に急逝されて、
新しいスタッフが見事に声掛け、取り回しをしていました。
司会にPA,裏方がいてのイベントです。
本当に有難うございます!!


■歌に手話サークルを終えたら、今度は南洋踊りの出番です!
村長が会長で僕が副会長の南洋踊り保存会(^^♪

今年は子供達の気合いの入りようが凄くて、
事前練習で返還前の力強い踊りを伝えて実施してみました☆

久々の返還祭での南洋踊りの実施、
実は生カカ、生歌での披露は、
返還祭では初なのです!

2年前に急逝された母島の酋長、小高さんにも届いたかな~?


■南洋踊りを終えたら、花火大会!!

島の花火メンバーがコロナ禍2年目から
花火だけでもということで頑張って再開してくれていました。

今回は4年ぶりに演芸大会や夜店がある中での花火大会。
最後の凄まじい数のフィナーレ花火を終えた後の大歓声、みんなからの「ありがとう!」という感謝の声はとても素敵でした。

島の手作りのお祭り。
内地の花火大会に比べれば、
数も少ないし、規模も小さい。

でも凄い人混みの中でもなく、
みんなのどかに和気あいあいと、
近い距離で花火を見れるのが、
母島らしくて僕は大好きです♪

花火だってこの為に父島から来てくれる花火師がいる、母島にそのために資格を取った仲間がいる、
電気を管理する人、
準備をする人、
片付けをする人、
危険物を運搬する人、
待機する消防団の皆さん、
色んな人の関りでこの花火が実現している事を感じると、
やはり感謝の気持ちが溢れに溢れてきます。

本当にありがとうございました!


■花火を終えたら2日目前夜祭もやっぱり盆踊りです☆
閉めは冒頭の望郷歌ですが、
やっぱり返還祭も盆踊りです!!

前夜祭よりも人数も増えて、
フラも終わったので、女性の多くが浴衣になっていて、
とても華やかでした(#^.^#)

1日目、機材トラブルがあって、
なかなか盆踊りが出来なかった子供会メンバーも盆踊りできていて、
本当に良かったです☆

2日目は島外のお客さんも多くて、
話すと口々に夜店の値段の安さに驚いていました。

そうなんです。
母島の返還祭は
利益を上げるためではなく、
みんなで楽しむ為にやっている場合が多く、
これは原価程度なのではと思うほど、
子供達も気軽に買える価格で夜店が並んでいます♪

2日目は1日以上に盛り上がりをみせて、
最高の盆踊りとなりました。

みんな笑顔でほんと最高です♡

最後は冒頭で紹介した望郷歌でフィナーレです。
島の人は勿論、観光の人も、
村長も、八丈の来賓の皆さんも、
みんなで肩を組んで輪になって、
大声で歌って終えます。


■返還祭は小笠原がアメリカから返還されたことを記念して祝うお祭りです。
沖縄の返還よりも1年早く、
昭和43年(1968)6月26日に返還されています。

父島には欧米系住民がアメリカ統治時代も人が住んでいましたが、
母島は完全に無人島となり、ジャングル化していました。
小笠原が返還されてからもインフラの整備に、
母島は5年遅れで復興が始まっています。

それで、ずっとステージの横断幕には
返還記念の年と、母島の返還祭の開催数が5ズレて表記されていました。
今回はコロナ禍で一切の返還祭活動をしなかった1年があったので、
6ズレているのです。

戦前から太平洋戦争、
アメリカ統治時代、返還に復興、
そしてコロナ禍と4年ぶりの返還祭開催で、
色んな事に想いを馳せていました。

もちろん、今回も完璧ではなく、
楽しい中にも色んな学び、反省がありました。

だけど、準備、運営、片付けと関わっても、
どれも人と交流し、楽しく過ごせて、
僕はやっぱり返還祭が大好きであることが再確認できました(^^♪

それは皆さんがこうして関わって、
みんなの為に時間と労力を惜しまずに、
色んなパフォーマンスを発揮してくれるから成り立つのです。

返還祭を通して、母島の底力をまた痛感させられました☆
本当に有難うございました!!
あ~楽しかった♡








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